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【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】もし慶應義塾大に進学していたら……中日、侍ジャパンを救う運命に引き寄せられた髙橋宏斗がプロ入りするまでの経緯

WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。世の中も大いに盛り上がり、触発されて野球熱が再加熱した方もいたことでしょう。
これから侍ジャパンの選手をNPBの試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、アマ時代など選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より選手に愛着を持てるはず!
ということで、そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。

今回は髙橋宏斗(中日ドラゴンズ)をご紹介。高卒3年目のシーズン前、20歳という最年少での侍ジャパンWBC代表入りを果たし、決勝戦ではトラウト、ゴールドシュミットから三振を奪いました!
先発で150キロ超は当たり前、イニング以上の三振数を奪うのも当たり前という規格外の若手投手は、どんな経緯でプロ入りしたのか?

『野球太郎No.037 2020ドラフト総決算&2021大展望号』で掲載した記事を用いて、プロ入りまでを紹介します。
(取材・文=尾関雄一朗)

甲子園交流試合で150キロ台連発の怪物右腕


〝慶應待ちプロ〞

 大学受験の結果に関係者らの注目が集まっていた。高校生ナンバーワン投手と目されていた髙橋宏斗は、早くから進学を志望。兄が野球部に在籍していた慶應義塾大のAO入試を9月に受験した。10月6日の合格発表を待った。
 ドラフト会議より20日早い〝運命の日〞まで、皆が気をもんだ。8月頃、チームメイトの中山礼都(巨人3位)を取材するため同校を訪ねた際、高橋源一郎監督にエース右腕の進路について振ってみた。すると「ありがたいことに、プロのスカウトの方々からは、『プロ志望届を出せばドラフト1位で競合する』と言っていただいています。ただこちらからは、入試の結果が出たらすぐにご連絡します、とお伝えすることしかできず……」ともどかしげ。中山も「僕はドラフト指名されるか微妙な状況。宏斗には『うらやましいな』と言っているのですが、本人は(志望が)違うようで……」と冗談めかしつつ様子を明かした。周囲のそんな雰囲気をよそに、髙橋はプロ志望届を出すことなく、吉報を待った。
 結果は残念ながら不合格だった。かつては江川卓(元巨人)も不合格となった慶應義塾大。時代が変わりAO入試制度ができたが、「スポーツ推薦」とは異なる。その難易度は、一般の高校3年生と同様に高かったとみられる。
 合否判定が出たその日の夕方、髙橋は会見を開き、プロ志望への方針転換を表明した。「落ち込んでいても何も変わらない。次の目標へ進もうと思いました」と堂々と話した。ドラフト戦線において、その年のトップ級投手が異例の形で〝最後の大物〞として加わった。
 ドラフト界隈において、「プロ待ち」という言葉がある。「プロ待ち大学」「プロ待ち社会人」という形でも使われるこの表現、プロ入りを志望進路の本線とし、もし指名漏れしたら大学や社会人に進むという意味だ。これに対し、髙橋の場合、いわば「慶應待ちプロ」という特異な状況だった。もちろん本人に尊大な意図はないが、プロ入りが〝滑り止め〞になるというなかなかないケースだった。

別格のパフォーマンス

 今年は新型コロナウイルスの影響で春夏の甲子園大会がなかった。ただ、もしも甲子園が例年通りの形で開催されていたら、近年では吉田輝星(日本ハム)のような感じで、髙橋が野球界にとどまらないスターになっていた可能性もあったはずだ。
 それほど髙橋の投球は群を抜いていた。新チーム発足以後、公式戦で負けがないのがすごい。恵まれた体からのストレートがうなり、球速は150キロ前後を連発する。集大成となった8月の甲子園交流試合では、智辯学園高を相手に10回を投げ、そのうちの35球が150キロ台をマークする破格のパフォーマンスを披露した。9回表にも153キロを叩き出している。
 また、ストレートのみならず、変化球でもカットボールが特筆モノ。球速とキレがあり、高校生では攻略困難な球筋だ。スプリット、ツーシームの沈む変化球も操り、カーブがアクセントになる。
 髙橋は高校1年夏からベンチ入りしている。当時の様子を、高橋監督はこう振り返る。
「彼を初めて見たのが中学2年頃でした。体は細く、粗削りな面はありましたが、いい腕の振りをしていて将来性を感じました。入学してきた時には体が大きくなっていて、キャッチボールでも目を見張るような球筋の球を投げていました。早い段階から見通しが立ったので、1年夏の大会からベンチに入れました」
 高校で残した最初のインパクトは、1年秋の東海大会だった。当時自己最速の146キロをマーク。試合後、まだあどけなさの残る背番号10は「入学時の球速は134~5キロぐらいです。50メートルの短距離ダッシュなどを重ねて下半身にキレが出たので、球速も上がってきたと思います」と自ら分析していた。
 髙橋はここから、ひと冬ごとに成長を遂げていく。よく高校生の選手に「ひと冬越えたら……」と期待をかけるが、言うは易く行うは難し。そう青写真通りにはいかないものだ。しかし、髙橋に関しては、シーズン毎のパワーアップが著しかった。
 2年春にエースナンバーをつかみ、夏の愛知大会準々決勝では愛産大三河高をシングルヒットのみの6被安打で完封した。これが公式戦初完封。体つきが変わり、線の細さが解消され、球の力がぐんと増していた。ドラフト候補だった上田希由翔(明治大)との対戦では、最速を更新する147キロを計測している。「中途半端ではなく、厳しく内角を攻めることができました」と頼もしい。
 高橋監督はこの間の成長を称える。きっかけとして前年秋、先輩投手とともに東海大会準決勝で打ち込まれ、センバツ出場を逃していたことを挙げ、「そのときの悔しさから、冬以降、高い自覚をもって取り組みました。体力や筋力はもちろん、精神面で大きく成長し、グラウンドでの顔つきや姿勢が変わりました。先輩についていくだけではなく、『オレがやるんだ』という気持ちが芽生えました」と内面の変化を証言。本人は「冬の間は週に2~3度、1日に200球以上を投げ込み、投げる体力がつきました」とタフさも身につけた。
 2年夏は準決勝で誉高に惜敗し、またも甲子園を逃した。これも髙橋のハートに火をつけた。
「自分がピンチを招いて降板し、チームも負けたことが本当に悔しかったです。しっかりと投げ切れるピッチャーになりたいとあらためて思いました」(髙橋)
 新チームになった2年秋は県大会、東海大会で優勝。さらに神宮大会でも頂点に立った。代がわりして最上級生となると力上位は歴然。神宮大会では、対戦した明徳義塾高・馬淵史郎監督から「ストレートは松坂大輔(元西武ほか)よりも上」と、最大級の賛辞を受けた。

コロナ明けにも驚異的投球

 2年冬から3年春にかけての成長も驚異的だった。この時期は新型コロナウイルスのためセンバツが中止となり、部活動も自粛を余儀なくされた期間だ。この期間中に走り込みや投球フォームの改良に取り組み、さらに飛躍した。夏の甲子園交流試合での快投は必然の結果である。その前段の練習試合から強烈だった。
 自粛明けの6月、練習試合初戦の愛工大名電高戦で6回からリリーフ登板。自己最速を5キロ上回る153キロを計測した。視察したプロ7球団のスカウト陣が一気に色めき立った。
「センバツで155キロ出すことが冬の間の目標だったので、まだ達成はできていませんが、自己最速を更新できたことは成長の一つとしてよかったです。最速更新の手応えは普段の練習の段階からありました」と本人。感触十分でマウンドに立っていた。
 球速だけではなく、総合力も良化した。本人は「コントロールも意識して、フォームをイチから作り直してきました。具体的なテーマとしては〝投げ終わり〞を意識すること。投げ終わった時、一塁側に体が倒れるクセがありましたが、左足一本でしっかり立っていられるぐらいのバランスをつけてきました」と説明。これに各プロ球団のスカウト陣も反応し「以前は下半身が淡泊だったが、粘りが増し、リリースを打者寄りまでもってこられるようになった」「コントロールもよくなった」などと評価を上方修正している。
 敵将の愛工大名電高・倉野光生監督も賛辞を惜しまなかった。
「昨年のこの時期に対戦した奥川投手(恭伸/ヤクルト)がコンスタントに147~8キロを出していて、そこまではいかないかなと思っていたら、髙橋君は体格、球のスピード、テクニック、いずれも奥川くんを上回っている。150キロは久しぶりに見た。これは怪物投手だね」
 また、7月の智辯和歌山高との練習試合では、力まずとも球が走る感覚をつかんでいる。高橋監督は、むしろその一戦を強調する。
「名電さんとの試合は、練習試合初戦で休養十分ということもあり、かなり力が入っていました。ただあれでは1試合もたないし、故障にもつながる。逆に智辯和歌山さんとの試合では140球ほど投げて完投した中で、100球を超えたぐらいから、力を抜いてもボールが走るようになっていました」
 甲子園交流試合では150キロ台を連発しながら、髙橋自身は試合後「本調子ではない中で修正し、丁寧に抑えられました」と話している。派手な面が注目される一方で、「いい時はいいが、そうじゃない時にどう自分をコントロールできるか」(高橋監督)という課題もクリアしていた。

世代ナンバーワン投手

 性格は投手向きで、かつプロ向きだ。指揮官は「負けず嫌いで、向かっていく気持ちの強さがあります。さらに爆発力があり、経験も積んでいるので大きな舞台ほどすごいプレーができます。ひょうきんなところも、ちょっと変わったところもある。ムードメーカー的な存在です」と明かす。
 当初の予定進路とは異なるが、日本でその年にたった12人しかいない、超狭き門の〝ドラフト1位〞に選ばれた。指名後は「小さい頃から憧れていた球団。1位で指名されてうれしかったです」と人懐っこい笑顔を見せた。地元で応援され、成長できるベストな環境だ。プロでは「勝ちに貢献したい。ストレートにこだわり続け、最低限でも球速155キロを出したい」と思い描く。
 世代ナンバーワン投手――新チーム発足時に作ったTシャツの袖に、髙橋はそう刺繍を入れ、目標として常々公言してきた。通算の甲子園最多勝利記録(133勝)をもつ中京大中京高のエースとして、公式戦を無敗のまま終え、あらためて同校が王者たる貫禄を示した。自らも世代最速の154キロをマークし、ドラフトでは高校生で最初に名前を呼ばれた。宣言通り、世代ナンバーワン投手の座を射止めたと言っていい。
 来年以降、「陸の王者」の応援歌を背に投げることはなくなったが、今度は近い将来、球界の王者たる投手として君臨する。

★(当時の)プロフィール★
髙橋 宏斗(たかはし・ひろと)

身長185cm /体重85kg /右投右打
2002年8月9日生まれ/愛知県尾張旭市出身/投手

中学 豊田シニア
高校 中京大中京高

★ターニングポイント・豊田シニア★
 中京大中京高の先輩にあたる堂林翔太、磯村嘉孝(ともに広島)らと同じく、中学時代は豊田シニアでプレー。小学生までは小兵の内野手だったが、監督の勧めで中学2年時に投手に転向した。上背も伸び、有力株に。

★こんな選手★
 名実ともに世代No.1の投手。2年秋に明治神宮大会を制し、コロナ禍に見舞われた3年時も夏の県独自大会、甲子園交流試合まで公式戦無敗を貫いた。超高校級のスペックを備え、最速154キロのストレートは伸びがある。

★プロでこんな選手に★
チームの大黒柱

 投球スタイルは菅野智之(巨人)、存在は則本昂大(楽天)。長きにわたり、エースとして先発ローテーションの軸となる。高校時代は2年秋の新チーム発足以後、公式戦で敗戦がないように、プロでも最多勝のタイトルを期待。

★ここを売り込め!★
本格派右腕としての魅力

 馬力のあるストレートはまだまだ速くなる。ストレートとわかっていても打者は押されるはずだ。鋭く曲がるカットボールとのコンビネーションで早い段階から通用しそう。全体的な精度アップと、通年のスタミナさえつけば。

★Column★
B+評価の真意

 6月23日発売の本誌『野球太郎No.035 2020高校野球&ドラフト大特集号』では、髙橋をドラフト1位相当の「A」ではなく、一段下の「B+」に格付けしている。いま思うと相当に見当違いだが、これには根拠があった。前年までの段階では、プロ球団スカウト陣の中にも「まだドラフト中位クラス」「膝が硬い。あんなに硬くてドラフト1位はない」という声がオフレコで聞かれたからだ。
 しかし発売の3日前、本文でも触れた練習試合(愛工大名電高戦)での破格の投球を見て筆者は「しまった。Aにしておくべきだった」と悔いた。この時点ではもうすでに雑誌は製本されて発売を待つばかりで、原稿は修正できない。コロナ明けの一発目、懐疑論を一蹴する超絶デモだった。
 なお、筆者はこの後、『野球太郎』読者でもある別のスカウトから「髙橋がAじゃないなら、一体誰がAになるの(笑)」といじられることになる。

(取材・文=尾関雄一朗)
『野球太郎No.037 2020ドラフト総決算&2021大展望号』で初出掲載した記事です。