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ゴミまですべてをちゃんと処理できないのだから、これ以上続けることは出来ないと判断するのが普通のはず。

 2月14日の朝日新聞社説は、「核のごみ調査 疑問や懸念を直視して」というタイトルです。

 「原発が生み続ける「核のごみ」をどう処分するのか。難問への解は容易には見つからないこと」と言っているのですから、この問題が解決できなければ、原発を続けることは出来ないという判断が、本来は正しいはずなのに、そのことにはふれないで、調査の透明性を高めるべきという発言はおかしいです。

 そもそも「現在の科学的知見には限界があり、自然災害は想定の域を超える。先月の能登半島地震は、複数の活断層が連動したとみられ、大規模な隆起も確認された。廃棄物を10万年も閉じ込める場所を探すには、慎重な分析と検討が求められる。」、「現在の最終処分場の計画に対し、地球科学の専門家有志が昨年秋、地殻変動の激しい日本で適切な場所を選ぶのは「現状では不可能」と指摘する声明を出した。廃棄物をガラスで固め、金属と粘土で覆う「人工バリア」の安全性にも疑問を投げかけ」ているにもかかわらず、「むろん現行の計画は、海外の事例も参考に、さまざまな専門家の意見を踏まえて作られている。ただ、日本にふさわしいやり方については継続的な議論が必要だ」となるのは、論点がおかしいです。

 現状において原発は、ゴミまですべてをちゃんと処理できないのだから、これ以上続けることは出来ないと判断するのが普通のはずです。
 地殻変動の激しい日本で、廃棄物を10万年も閉じ込める場所を探すのは、現状では不可能であり、原発の処理は日本だろうと海外だろうとやり方は同じなはず、日本だけに合うような、ふさわしいやり方なんてあるわけないはずです。
 秘密行動で調査をしなければならないくらい、住民の根強い不信感がある状況で、原発から出る高レベル放射性廃棄物を地下300メートルより深い地層に埋める最終処分場に名乗りを上げる後続自治体は現れないのは当たり前です。

 2月11日付けの朝日新聞の原発の将来像 ④「脱炭素社会に向け、覚悟を持った政策を 原発は「ワン・オブ・ゼム」」という記事が出ていて、鈴木達治郎長崎大教授(原子力政策)の発言として、「いまやろうとしているカーボンニュートラルは、原子力だけの話ではない。脱炭素社会をめざすために何をしなければいけないかをリストアップしたときに、原子力はワン・オブ・ゼムにすぎない。脱炭素のためのエネルギー技術開発は国をあげてやりますという姿勢を示すべきときに、なぜ原子力だけ特別の研究開発の組織があるのか。」、「日本原子力研究開発機構は日本脱炭素エネルギー技術研究開発機構にすべきだ。それぐらいの覚悟で脱炭素を考えていくべきだ。」との意見がありますが、原発にかけるお金を脱炭素エネルギー技術研究に回せば、日本の技術力ならば、脱炭素のためのエネルギー技術開発が可能なのではないかと思います。むしろ、その方向に力を注いでいくことで、世界をリードすることが、唯一の被爆国として歴史に学ぶ日本の役割なのではないでしょうか。
 


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