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そもそも「学校は居場所」なのではなく、学びは個別に選択できるようにすべきだと思います。

 12月13日の朝日新聞デジタルに、「形だけ登校、授業不参加…中学生の15%に「不登校傾向」NPO調査」という記事が出ています。

 認定NPO法人「カタリバ」が中学生約6千人にインターネット上で実施した調査で、「文科省調査と同様の「年間30日以上、学校を休んだことがある/休んでいる」との定義で不登校生の割合を調べたところ、全体の4.7%」で、「文科省の「問題行動・不登校調査」で不登校の中学生の割合は5%前後」であることから大きな差はなかったが、保健室登校などの「教室外登校」の生徒や「授業に参加する時間が少ない」生徒が4.9%、「1週間以上連続で休んだことがある/休んでいる」は3.9%、「オンライン登校」は1.7%」であり、「心の中では学校に通いたくない/学校がつらい、嫌だ」という「形だけ登校」は4.4%、このような「不登校傾向」の生徒は計14.9%、「幸福度について「幸せである」「どちらともいえない」「幸せではない」の3択で聞いたところ、「幸せである」と答えた割合は、不登校や不登校傾向に当てはまらない通常登校の生徒が73.4%に上ったのに対し、「教室外登校」は46.8%、「形だけ登校」は39.6%、不登校は37.4%」、「「学校とはどのようなところか」との設問で、「緊張するところ」かどうかを尋ねると、「あてはまる」と答えた生徒の割合は通常登校では4.0%だったのに対し、「形だけ登校」では19.2%に上った。また、「行かなければならないところ」かどうかを尋ねると、「あてはまる」と答えた割合は通常登校では33.7%だったが、「形だけ登校」では47.5%」だったということです。

 学校は「行かなければならないところ」で、「緊張するところ」であれば、もちろん「幸せではない」ですよね。よく学校の「居場所をつくる」という話がありますが、必ずしも学校を居場所にする必要はなく、そもそも学校は子ども達の居場所なのではなく、学ぶところであり、学ぶために長い時間いるから、結果的に居場所として認識されるようになったのだと思うわけで、学びの場が学校じゃなくなれば、学校を居場所にする必要がなくなり、何とかして居場所を確保する必要もないわけです。
 そもそも学校は学ぶところです。学びのスタイルが従来から変わらないから、学校になじめない子どもが問題になるわけです。その結果、学びの機会も失われるわけで、「学校で学ぶ」というスタイルを変えて、個別に学び方を選べるという形になれば、学校は「行かなくてはならないところ」ではなくなりますし、もちろん不登校の問題も起こりません。「個人を尊重」する風潮が強まっている現代社会なのですから、子どもに合わせた学びを確保していく必要があるでしょうし、また少子化で子どもの数が少なくなってきているのですから、子どもに合わせた学びを確保していくことも可能になるのではないでしょうか(少なくなってきたからできるというよりは、「個人を尊重」するという点において、そうすべきであるという方が重要だと思っていますが)。

 前にも書きましたが、「学校制度」は限界にきています。教育は重要であるということに反対する人は多くないでしゅうから、だったら、学びの機会を確保するために、「学校制度」は一度解体するべきです。「学校で学ぶ」(勉強ではなく、学びである点が重要です)というスタイルをリセットして(もちろん学校という学びの場のメリットを全否定するわけではないので、学校が残っていても良いですが)、「学び」のスタイルを選択するという形にするのが良いと思います。


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