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【演劇】駆込み訴へ

 彼が舞台に立ったとき、身体はひどく強張っていて、こちらと会話していても話を聞いている様子は微塵もなかった。中身空っぽのハリボテの身体を必死で自立させているようにも見えたし、逆に、はち切れそうなほどパンパンに膨れ上がって形を留めるのに必死にも見えた。そうして、彼が語る言葉の、何が本当で、真実なのかを、我々は考えさせられることになる。

 愛と憎しみが一つになって次々と形をかえる。彼の主への想いは愛なのかどうか私はわからなかったけれど、確かなのは、その硬く握りしめた右手の拳は間違いなく殺意だということ。私達は、見届けなければならなかった。見極めなければならなかった。その握りしめた拳の中にあるのが、愛なのか、ただの憎しみなのか。彼がなぜ、主を殺めることになるのかを。

 きっと、私はどこかで、信じたかったのかもしれない。愛ゆえの殺意があるのだと、彼の言葉を信じていたのだと思う。

 けれど、握りしめた右手が開かれた時、その手のひらからこぼれ落ちたパンのひとかけらに、私は愕然とした。いや、絶望に近かった。あまりにも彼が愚かで、浅はかで、不憫で、不幸で、涙が止まらなかった。
 結局、お前の殺意はただの弱さではないか。愛だの、憎しみだの、そんな高尚なものじゃない。お前が必死になって握りしめていたのは、ちっぽけで、ありきたりで、幼稚な殺意だったのだ。

 物語は、神の慈悲で終わりを迎える。耳鳴りのような鳥の歌が、彼を導いてくれた。彼がこのちっぽけな殺意を『愛』だのと曰わずに済み、自分の醜さ故の過ちと認め、落ちぶれた人間として留まることが出来たのは、神の恩寵にほかならないだろう。 

 作品の海で溺れたのは、どれくらいぶりだろうか。生で観た演劇で、こんなに泣いたのは初めてかもしれない。太宰治のテキストもさることながら、演出も、役者も、本当に素晴らしかった。

 願い叶うなら、もう一度観たいと思った。

 

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