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ヴィパッサナー瞑想体験記

10日間

 はじめてヴィパッサナー瞑想に参加してみた。瞑想をきちんとした機会で学ぶことも初めての経験だ。友人から度々話に聞いていたが、絵を描くこと自体が瞑想のようなものだし必要ないかと思っていた。けれど、度々その名前を聞くうちに、いつの間にかこの手はポチッと申し込みのボタンを押していた。

 ヴィパッサナー瞑想で初めての人は10日間コースが必須となる。
「10日間、何があっても施設を出ません。」と誓約し、携帯電話や貴重品、本や筆記用具など全ての個人的所有物を預けてコースに参加する。分かりやすく言えば刑務所生活のようなものだ。(僕は刑務所に入ったことはないのだが…)
 朝4時起床、朝4時半から夜9時までほとんどの時間を瞑想に費やし、夜9時半には消灯。他の参加者との会話だけでなくアイコンタクトや身振りなど一切の交流も禁じられる。

まず1日目。アーナパーナ瞑想という呼吸に集中することから始まる。呼吸が鼻腔の入り口や奥に当たる感覚をただただ丸1日12時間近く観察する。観察するうちに感覚が、心が研ぎ澄まされていくことを目的とする。

「なんで引越し目前のこの忙しい時期に来てしまったんだろう。自己向上のみを目的としたプロセスは終わった。帰って絵を描き手渡し、引越し準備をした方が自身のためにも他者のためにもなる。やっぱり帰ります、といつ切り出そうか。」と心はぐるぐる彷徨い集中できない。
1日の終わりには講話の時間があり、S.N.ゴエンカ氏による
「あなたは今日1日呼吸の観察と言いながら、考え事ばかりしていたかもしれません。」的な痛いところを突かれるテープが流れる。

大体みんなが逃げ出したくなるタイミングは同じなようで、
①来たばかりの1、2日目
②瞑想によって体の痛みや環境に耐えられるなくなる、或いは無意識が顕在化してくる中盤5、6日目
③終わりが見えてソワソワ7、8日目
というところだろうか。
毎日規則正しい生活と瞑想をし続け、3日半アーナパーナ(呼吸)瞑想の後、ヴィッパサナー瞑想となる。

意識の力

 ヴィッパサナー瞑想は今まで鼻腔に集中させていた意識を頭の先から足の先まで身体の隅々までに移動させていき、それぞれの場所で感じる暑さ、寒さ、痛みや痺れ、かゆみなど、あらゆる感覚を観察するというもの。
 意識を動かすたびに身体のその場所の感覚が浮き立ってくる。脈は心臓や手首で感じるものだと思っていたのだが、全身あらゆるところで脈を感じることができるのだ。そうか、血管は全身を巡ってるんだ。意識の力ってすごい。
 友人である鍼灸の先生が
「針を通して意識を入れることが重要。究極、針は必要ない。」
といつも言っているのを思い出す。意識の力、セルフ鍼灸だ。
 やがて全身をエネルギーが駆け巡るのを感じることができ、気持ち良い瞬間もやってくる。

「気付き」と「平静さ」

さて、大まかな説明はこれくらいにして
(細かく説明するとキリがないし、正確性もないので、興味のある方は詳しくは参照してほしい。)

何度も繰り返されていた大事な言葉は「気付き」と「平静さ」だ。
体のある特定の部分に痛みを感じても「嫌悪」せず、全身を駆け巡るエネルギーに気持ち良さを感じてもこれをまた感じたいと「渇望」せず、ただただ「平静でありながら」「気付いている、観察している」。
 これ、まさにデッサンだな〜とひしひしと。
「このトゲトゲは描くの面倒だから無いことにしよう。」
「ここの形がちょっと違うけどまぁいいか。今更直すと面倒だからこのまま進めよう。」
「ここの形は好きじゃないから自分の気持ちの良いように変えてしまおう。」
見て見ぬ振りをしたものは結局辻褄が合わなくなって、後々自分を苦しめる。どうやら心もそう言うことらしい。自分の心に見て見ぬ振りをしたものは、心のクセとして心に蓄積されているようだ。

 さて、僕はと言うとこの5年間本当に修行の日々だったので(母の死くらい大きなイベントが10個以上あった…)相当鍛えていただいた。日々「気付き」「平静である」ことがここ数年で日常の中に織り込まれて、やっと上手く回り始めたような感覚がある。荒治療だったので相当痛みも伴ったが、ヴィパッサナー瞑想は全ての人に安心して広く活用できる方法だと感じた。
 人生の波とそれに反応する心のクセにどのように「気付き」「平静であるか」。こんな個人的な話もシェアすると、それぞれの人生に照らし合わせて「気付き」の参考になるのだな、と友人とお互いをシェアする時間を持つようになって、いつもありがたく感じるので、いつかまとめて話すような機会も持てたらと思っている。

「無常」

 そして、もう一つ繰り返されていた言葉は「無常(アニッチャー)」。痛みも気持ちよさも全ての感覚は「無常である」。

 改めてこの作品をシェアしたいと思う。1日1枚、毎日自画像を描き続けた日々。

Artist : YAMADA Yuki / 山田祐基 / yamadayuki.jp
Movie : JIKAN Design / jikan.tv/
Music : MEGURI Nao / めぐりなお
Design : OHARA Kantaro / 大原漢太郎


当時は重ねることに意識が行っていたけど、今改めて見るとこうして瞬間瞬間移り変わる振動を、
「どんなに疲れていても線一本だけでも良いから観察して出力する」
と、向き合っていた時間それ自体が貴重なものだったんだな。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

鴨長明

「全ては燃焼と振動である」

ブッダ

まとめ

なんとも素晴らしい10日間でした。
行ったことのある方とはヴィッパッサナーあるあるシェアしたいし、まだの方で心のクセを変えたいと思ってる方には是非オススメしたい。

また、9日間苦楽、寝食を共にした、その目も名前も知らない、ただその人の振動のみを知っている、という他の参加者たち。10日目には沈黙が解かれ話すことができる。靴の揃え方やご飯の食べ方、扉の閉め方、トイレのタイミング、散歩の頻度などから既に愛着は湧いていて、安心して打ち解けることができた。
 行きも帰りも一緒に歩いて帰った19歳のSくん(光に満ちているね!)。食事の席が隣だった同い年のYくん。他にもたくさん…大切な友人となる気がします。
10日の間に季節もすっかり進み、来た時はまだ蕾だったモクレンが、帰る頃には満開だったのも嬉しかった。

そして、すべての雑事を忘れて瞑想に専念できるよう世話をしてくださった奉仕の方々。純粋な気持ちに触れるとグッとくるものがあります。11日目の朝、最後の瞑想は純粋な心だけが残ったような振動を感じてポロポロ涙が出ながらの瞑想でした。

また行くかどうか、今はなんとも言えないけど(この与えてもらっている絵を描き届ける時間を全うしたい!)、朝晩1時間ずつの瞑想は続けてみるよ!旅に出るけど続けるよ!みんなのお家に泊めてもらうかもしれないけど続けるよ!(環境の変化に弱いので宣言しておく。)

 しかし絵もサーフィンもやっぱり瞑想だなと。瞑想しすぎだと思ったらやめるかもしれません。

 そして、最後に受け取ったメッセージは「軽さ」。
海外の参加者の方々とも交流できた時間や、またすぐ海外に旅立つというSくんの話。海外からの風も吹いてきた!


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