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オムライス

 フライパンの中で、チキンライスをとろりとした玉子で包み込む――ほどの腕のない陽介ようすけは、白い皿に盛っておいたチキンライスの上に、丸く焼いた玉子焼きをかぶせた。菜箸の先で整え、ソテーしたニンジンとブロッコリーを添える。ケチャップのボトルを手にすると、ニコニコと冷蔵庫を振り返った。
「先輩。ハートマーク描いてあげましょうか?」
「いらない」
 陽介の冗談を一言で切り捨て、同居人の月也つきやは冷蔵庫から背を離す。陽介の手からケチャップを抜き取った。上手に焼けたと陽介が心の中で自画自賛している玉子の上に、丁寧に一文字を描く。

 ψ

 ギリシャ文字、プサイ。
 あまりに月也らしいチョイスに、白と黒のマグカップにオニオンスープを注いでいた陽介は笑った。
「波動関数ってやつですね」
「あ、覚えた?」
「量子論はたくさん聞かされましたから」
 月也は愉快そうに、もう一つの皿にも「ψ」を描く。そうして、満足そうに二つの皿を持つと、居間に向かって歩き始めた。
「好きなもんに好きなもんかけたら、もっと楽しくなるからな」
 マグカップとスプーンを手に続いた陽介は、癖の強い黒髪が揺れる背中を見つめ、少し泣きたい気持ちになる。鼻をすすって誤魔化して、狭い通路を無理矢理追い越した。
 月也の目を見上げ、微笑んだ。
「そんなこと言えるようになったんですね、先輩」
「そういう風に観測してくれた奴がいるもんでね」
 わざとらしく口を尖らせ、月也は丸いリビングテーブルにオムライスを並べる。偽りの不機嫌は、お気に入りのオムライスを前にしては長くは続かなかったようだ。スプーンを求め、せかすように手をひらひらさせた。
 陽介はイタズラ心に焦らしてみる。けれど、それもすぐにやめた。オムライスもオニオンスープも、あたたかいうちに食べた方が美味しい。
 臙脂色のソファの前、月也の横に並んで座る。二人一緒に手を合わせ、同時に同じ言葉を口にした。
「いただきます」


〈終〉

 彼らが、いつまでも私生活を覗かれたくないみたいなので。
 これからの二人は大きな変化もなく、このままの関係で、なんでもない日常を続けることに幸せを見出していくのだと思います。
 あえて、関係性を名付けたり、ラベリングすることなく。中途半端に、曖昧に、煮え切らないことに悩んだとしても、それすらも受け入れて。
 確かであると同時に不確かである、そういう在り方で……。

【本編】はこちら↓ BL(恋愛)ではありません。「なんでもない」関係です。
 全4巻。完結まで、約3000円で揃います。空気感の素晴らしいコミックスもお勧めです。
 殺人事件は起きません。日常の謎と理科(量子論)を主とした連作です。
「死にたがりの完全犯罪」とは何か。彼らにとって完全犯罪とはなんだったのか……?
 4巻で世界が反転する、言葉よりも大事な感情を紡ぐ二人の物語。