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三十一の言葉の牢獄

この言葉は、短歌について、寺山修司(1935-83 歌人、詩人、劇作家、演出家、映画監督、競馬評論家とマルチな才能を発揮した)が子どものころの思い出を語った言葉である。牢獄という言葉から、創造性を発揮するにあたって、強い制限を意識していたことがうかがわれる。また、「三十一文字という入れ物が短歌の特色となり、創造性をはぐくむ」という逆説まで考えが至らなかったことも示している。

美術においては、キャンバスに何か描こうとする際、そうした支持体(キャンバスや紙など)を超えて描くことはできない、と考えるのがふつうである。また、音楽は、時間の流れに逆らうことはできない。

どんな芸術ジャンルにも枠(制限)があり、作家はそのことを自明としているに違いない。一方、それを逆手にとって表現することだってできる。ようは、「制限」も考えようであり、制限されているという意識から生まれる作品もある。たとえば、左手を失ったピアニストのために書かれたピアノ協奏曲が挙げられるだろう。

寺山が小さなころ感じた短歌の「牢獄性」は、生涯つきまとったかもしれない。寺山は、30代になり劇団活動を始め、「歌のわかれ」をしたとして、短歌を詠み、歌集を出すというのをやめてしまうことになる。

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