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男時・女時(世阿弥)

世阿弥の時代には、「立合」という形式で、能の競い合いが行われました。立合とは、何人かの役者が同じ日の同じ舞台で、能を上演し、その勝負を競うことです。この勝負に負ければ、評価は下がり、パトロンにも逃げられてしまいます。
立合いは、自身の芸の今後を賭けた大事な勝負の場でした。しかし、勝負の時には、勢いの波があります。世阿弥は、こっちに勢いがあると思える時を「男時おどき」、相手に勢いがついてしまっていると思える時を「女時めどき」と呼んでいます。the 能.comより

世阿弥はパトロンを獲得するために、勝負の世界に生きていた。

宿命とか悲哀も味わっていたということだ。

芸術に関して言えば、コンクールというものがある。その開催の是非が問われることもある。

芸術に優劣をつけるのはいかがなものか、というのはたやすい。

しかしながら、浮き沈みの中に自分を置くことも、ときにはあっていいかもしれない。

それで何かを得ることができるならば。何かというのは、芸術を人生に重ね合わせることができることだろう。人生に引きつけて考えることができるということ。

芸術作品が人生から乖離していることは多い。

負けること自体がメッセージを持つことがある。それはそれなりに意義あることだ。

コンクールですくい取ることのできない作品もある。そういう作品を知りたいし、味わいたい。

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