見出し画像

僕が一般企業で働きはじめた話

一般企業で働きはじめた。

驚かせてしまっただろうか?無理もない。一番驚いたのは僕だし、1週間わけもわからないまま働いて日曜日を迎えてもなお、明日はこれまで通り学校のある右側に最初のウインカーを出しそうである。

3月の半ば。皆が異動の内示を受けたその日、僕も校長室に呼ばれた。言葉は嘘をつけれど、身体はいつも正直だから、僕にはきっとまだ今の学校でやりたいことがあったんだろう、サッカーも志半ばだったんだろう、ゆえに心拍数は急に上がり出す。

勘弁してくれよと思った矢先に伝えられた、

「来年、半年間企業行くよ」

事態は飲み込めないが言葉は嘘をつく。「こんな機会なかなかないんで喜んで受けさせてください」1週間働いてみた今も心拍数こそ落ち着いたものの実感はない。「企業どう?」日に1回は来る同僚からのLINEに返信する自分の指先が嘘をつく。

今年、社会人10年目の節目の年をまさか学校ではないところで迎えるなんて思ってもみなかった。僕と同じ世代がこぞってし始める自分の意志をもっての転職ではないのだからこれはキャリアアップとは違うのだろう。パジェロに矢を刺すよりもっとキュとした枠だからちゃんとしてこいよと言われたものの、どう考えても僕がこれまで築いてきたキャリアは特筆すべきものではないため、今年は山田という名の付く、ちょうど身長170㎝の保健体育科の天然パーマの男性が条件の年だったんだろう、それぐらいしか思い当たる節がない。

それかあまりに社会人として足りない部分があり過ぎて、手に負えないから一度こいつは修行に出そうと現場が手放した可能性がある。確かにそれには思い当たる節がいくつもある。生徒が教室で長縄の練習を始めた時に、止めるより先に跳び始めた過去がある。そうだ、あれだ。あれが理由か。

新社会人を鼓舞するために誰だかが言った「20代で何者にもなれなかったら後の人生で挽回することは難しい」にそうなのか、そんなん学生のうちに教えてくれやともう取り返しのつかない20代を嘆いたけれど、それでも学校で子ども達と過ごした僕の20代も相当に素晴らしいものだったし、子ども達にとってはもしかしたら何者になれたかもしれないのだから満足はしている。

それに老後○○万円問題も30代、独身、実家暮らしのパワーと少しばかりの投資で早々にクリアしたのだから今はもうお金にもあまり興味がなくなった。となると、今は1日の中にいかに幸せだと思える充実の時間があるかを軸に生きられるようになった。大人になるってのは複雑に思考しながら、シンプルに生きることだから。

だから、そんな平穏な日常が奪われてしまう不安があった。

慌ただしくも子どもがいて、子どもがいることで笑っていられる時間が多い仕事だったから、それを日常から切り取ってしまった時に非日常が日常になっていく不安があった。

一般企業で働きはじめてから1週間が経った。

意外にも子どもがいない寂しさや不安みたいなものを感じずにいる。きっとまだそんな感情に届くほどの心の余裕がないのもある。「慣れた?」「そうですね意外と」言葉は嘘をつく。いつも以上にたくさん寝ることを許されてしまうから、許された分だけ寝てしまった1週間だった。自分の知らないところで緊張していたんだろう。きっとこの緊張が解けはじめた頃、寂しさは波のように襲ってくる。

4月、慣れた環境を捨てた人にも、慌ただしさに時間を奪われた時期を超えるとふと日常が戻って来る。その日常の中にこれまであったものが無いことに気づくと、3月の別れが実感を伴いはじめる。僕はそれを4月のさよならと呼んでいるのだけれど、きっと今年もあるのだろうそんなさよならが僕にもみんなにも。寂しさはネガティブの顔をしてやってくるけどで思い出をより良いものにしてくれるだけである、楽しみしていよう。

働き始めて1週間のやつに、この仕事はどうだとか、おもろいだとかおもんないだとか、そんなことを決める権利はないのだけれど、純粋に来てよかったなと感じている。

とにかくみんな温かい。小さな仕事しかできていない僕にも、ありがとうと声を掛けてくれる。

できることが今のところまったくないという意味でも来てよかった。僕の同期はエスパルスに行ったんだけど、憧れはありつつもサッカーの世界はある程度見てきたからできることがきっとたくさんあった。それでは、予想の範疇での成長しかなかったかもしれない。

初めて仕事に就く人の立場を10年目にして経験できるのもよい。どんな関わり方をしてくれると上手くチームに馴染めるのか、どんな言葉を掛けてくれると不安は和らぐのか、どんな仕事から任せると働いている実感がもてるのか。人を育てる側の人間が、育てられる側の人間の立場を経験できることはとても有意義だと思った。僕の教育係に就いてくれている年下の男の子は全部間違っていない。彼はとても教育が上手い温かい人だ。

目的が違う働き方をしている人達の高い基準を知ることができたのもよい。まだ何が繰り広げられているかついていくのに必死なミーティングもとにかくディティールまでこだわっていることがわかる。子どもがすることだから失敗しても大丈夫な雰囲気がある学校の会議はどこか曖昧さを残していたり、先生方の臨機応変さで対応できてしまったりする部分があるが、それでは後手だとお客様を対象にした失敗できない人達の覚悟を感じている。

誰にでも師事できる自分がいることを知ったのも嬉しかった。一緒に働く人の中には10近く年下の方もいる。僕はその方に何度も同じことを聞いてしまうが、その度に丁寧に教えてくださる。社会人経験の長さを理由におごらない自分がいるんだと知ったことも嬉しかった。仕事を覚えても変わらない自分でいたい。

まったく違う働き方があることを知ったのも衝撃だった。学校にいると担任、授業、部活と決められた時間の中で日々をこなす必要がある。自分の仕事に取り掛かれるのは放課後になってからであることが多い。この放課後の時間の仕事を1日掛けてやれるイメージがある。自分のペースで働ける、そういう意味での心のゆとりがあるのは嬉しい。

なんて偉そうに企業と学校の違いを毎日レポートにまとめているのだけれど、一番強く感じたことは学校で育った自分が結構好きだなということだ。

あいさつは自分から、コミュニケーションは大切に、感謝を忘れずに、どんな仕事もおもしろがれるといい、そんなことを日々子ども達に説いてきた人間だからか、そんなことが当たり前にできる人になっていた。

築いてきたものの大きさは思いの外大きかったりするだろうし、予想通り小さかったりするだろう。

今の自分はどんな自分もおもしろがれる自分である。

それではいってきます。









「先生、頑張ってきてね」

「新しい気持ちで頑張ってきます」

「うん、それも大事だけど先生が9年間で身に付けた先生だけの眼鏡で見てきてね」

「僕らしい、おもしろがり方してきますね」

この記事が参加している募集

仕事について話そう

いただいたサポートでスタバでMacBookカタカタ言わせたいです😊