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海岸で石を拾おう

 僕は君が嫌いだ。
 とはいえ、僕は君と海岸に来ている。…まあ、いいだろう。
 さて、僕は石を拾う。君は何をする?
 …君はいつも"目的"を探している。休日にはどこかへ行きたがる。いつも何かをしたがっている。何か意味のある事を。
 散歩一つするにも、"ダイエットの為"とか、目的意識を持ちたがる。
 まるで君は形作られた世界の一部であるかのようだ。世界はその全てが目的化されているから。
 多分、この地獄はヘーゲルの歴史哲学、こいつから始まった。ヘーゲルが歴史を等質な空間とみなした時から、世界の地獄は始まった。世界の水平化は始まった。究極的にはそこから君の"目的意識"も生じている。
 …とはいえ、今日は哲学談義はやめておこう。僕らは海岸に来ているのだから。
 
 僕は石を拾う。ほら、拾うよ。ほうら、拾った。
 見てみなよ、この石。紛れもなく、何の変哲もない。いいところが一つもない。
 そこらの石と全く見分けがつかないし、水切りにも使えそうにない。珍しい形をしているわけでも、珍しい色をしているわけでもない。手触りだってごく普通だ。この石は、石界の中でもとりわけ平凡で、目立たない存在だろう。
 何のいいところもない石。だけどこいつを僕は拾った。"こいつ"を、僕は拾ったんだ。
 この事は一体、何を意味するだろう? 僕はこいつの"個別化"を果たした。そう言えるだろう。他の石ではない。"この石"でなければならなかったんだ。たとえ、それが偶然だとしても、結果として僕は他の石ではない"こいつ"を拾ったんだ。
 "こいつ"を拾った事自体にとりたてて意味はない。だけど意味のない行為によって"こいつ"は個別化を果たした。自らを世界に対して、定立させたんだ。…僕の助けを借りてね。
 さて、僕はこいつを海に放り込んでしまう。いくよ、いくよ。そうれ。…意外に飛ばなかったね。石は、水しぶきも見えないままに沈んでしまった。
 さて、これによって"石"は失われた。僕の"石"、"あいつ"はね。
 それでも、もしかしたら、"あいつ"だって幸福なひとときだったのかもしれない。僕としてはそう思いたいね。なにせ、あの石がこの地球の作用によって生まれて以来、あいつを拾い上げた生命体はおそらく僕が最初だろうからね。…いや、もちろん、推測だけど。
 
 さて、僕が君に言いたい事はこれで終わりだ。何が言いたかったって? さあね、知らないよ。
 ただ、僕は一つの石を拾い上げただけだ。それが"どこ"の海岸か、"どの"石であるか、それが君には気になるかもしれないけど、実際、僕にはどうでもいい事だ。
 ただ僕は"その石"を拾い上げた。それだけの事だ。
 それが何を意味するかはわからない。だけど、僕にはそうだったという事だけの事だ。
 ここには目的がない。ただ目的がないという目的だけがある。
 だけどそれでも石を拾い上げる事ができる。存在に意味を与える事ができる。
 僕がそいつを拾い上げた、というたった一つの事実によって。
 僕としてはそんな風に考えてみたいんだ。
 さて、僕としてはこれ以上、言いたい事はない。
 ただ、一つだけ忠告しておくと、風の強い日には石を拾い上げようとしないほうがいいかな。君が石を拾おうとして、よろけて、海に落ちてしまうと、危ないからね。その時には君を助ける事ができないし。
 君が石を拾い上げる時は、もう"僕"はそこにはいない。だけどそこには"君"がいる。だから、そこには"石"があるんだ。
 それが、どういう意味があるかは僕には全然、わからないんだけどね。何せ今言った事は僕の"推測"に過ぎないし、"実際"に石を拾い上げるのは他ならぬ、"君"なんだからね。

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