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小説未満 寒い夜明け

 あれもこれも忘れてる。
 腕時計も、スマホまで持ってない。取りに戻る時間はあるんだろうか。
焦ってしまう。不安にすっぽり包まれた。

 わたしの前を行く人が、「早く、早く」と心配そうに振り向く。知ってるはずの人だけど、誰だろう。
 一歩、二歩と必死に歩く。けれど足が重くて進めない。
 どんどんおいていかれる。○○さん。呼びかけると、○○さんは振りむいて「急いで」と言う。
 ○○さん、呼びかけているのに誰なのか思いだせない。
 気持ちがあせって息苦しい。それでも右足、左足と一歩が地面を引きずる。進めない。
 ○○さん……行ってしまった。見えなくなった。
 ちゃんと呼んでるのに。あの人は誰?

 足が重くて歩けない。そういうときは夢をみているときだとわかっている。
 わたしはいま夢をみている。
 わかってる、いつもそうだ。もうすぐ眼が覚めるのだ。

 ふっと足が軽くなって、急ぎ足になった。
 
 霧の中をおおぜいの人が行きかっている。でも誰にもぶつからない。
『ほらほら、早く乗って』
 ざらついた年配女性の声が聞こえて、車の助手席にすわっていた。
 運転しているのは知らない人で、わたしに話しかけてくれるけど、一言も聞きとれない。年配女性の滑舌が悪いわけじゃないし、日本語を話している。でも聞きとれない。
 年配女性はわたしがちゃんと返事をしないので怒りはじめている。
 態度が急に横柄なった。後ろを向いてわたしを怒る。
「危ないから、前を見て運転してください」
 わたしは懸命にしゃべっているのに声が出ていない。女性の態度も運転もそれもこれもひっくるめて、とにかく怖い。

 すごく寒い。
 いつもそうだ。寝てるときに寒いと怖い夢を見る。
 わたし、掛け布団をはねのけちゃってるんだ。掛け布団を抱き枕よろしく抱いてる。
 まだ起きちゃだめだ。
 もぞもぞと掛け布団にくるまった。

 目覚まし時計は鳴らない。
 いま何時だろう。
 カーテンの向こうに夜明け前の薄闇を感じられた。だけどいま起きると、きっと一日中睡魔にみまわれる。
 起きちゃダメだ。わたしは眼を閉じた。

 右のふくらはぎに痛みの前兆がはしった。
 足がつる。
 足首をゆっくり動かして足首とすねをできるかぎり鋭角にする。だけど起きちゃダメだ。眠たい一日は使いものにならない。どうしようもない眠気のなかで一日が過ぎていくだけだ。

 鳥居の下にいた。
 柱は両手でつくる円ぐらいの細さで、虫食いがあったり裂け目があったりしている。朽ちかけているところもある。
 鳥居の笠木かさぎぬきも柱と同じぐらい細く古い丸太で、柱に麻紐で結えてある。

 ここから先は踏み入らないほうがいい。悪寒が背中をはしる。

 わたしはそのまま後ずさりして鳥居から離れることにした。
 誰かが背中を押した。
 後ずさりしようとして地面から離れた右足が一歩前へ踏み出してしまう。

 おおぜいの人の声といろいろな物音が聞こえるが、その姿は見えない。
 まわりは白っぽいが霞で、空気が白く濁っているようだ。
 左側に社の朽ちた階段と、朽ちた濡れ縁が見える。

 足元にまっ黒いミミズのようなものがくるくる動き回っている。
『気をつけて。毒をもっているよ。噛まれると死ぬよ』
 社の縁にもたれて、ボロボロの服を着て腰の曲がった老人が言う。
 まっ黒なミミズはくるくる回っているだけで襲ってくる気配はなく、わたしはダンスのように動くミミズを眺めていた。

 まっ黒なミミズに三毛猫がじゃれついている。
『おや、あの猫はあんたのお守りにきたようだね。あんたに惚れてるようだ。仲よくしておやり』
 三毛猫のお尻におおきなボンボンのような玉が二つついている。

 オスの三毛猫だからわたしに惚れてるんだ。わたしはメスだから。
 ミミズはだんだん弱っていくようで、三毛猫は得意げにわたしを見てミミズを攻撃している。

 大きな白い犬が走ってきて、わたしの右手首に噛みつこうとする。
 逃げられないので、右手を拳にして犬の口の中へ入れ、奥へ奥へと差し込んでやろうと思った。
 猪が、犬とわたしの間に走り込み、犬の首に噛みついた。
 二匹はくんずほぐれつしながら融合して、白と茶のマーブル模様の丸っこい人形になった。
 神主が丸いお盆を持ってきて、「この地の大事な……」と言いながら丸っこい人形をお盆にのせた。

 足元で黒いなにかが、黒い大きな魚を大事そうに抱いて座っている。
 わたしは「獲ったの? すごいね」と褒めてやった。

 三毛猫の玉玉はリュックにつけてるお守りだ、と思いながら眼が覚めた。
 友人にもらった旅のお土産だ。
 目覚し時計が鳴る三分前だった。目覚し時計が鳴るまで待った。


 寝る前に上げたつもりの冷房の設定温度が二度も低くなっていた。

 了

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