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仏教系学園ラブコメ小説 「ダーリンはブッダ」 第十八回 思いはどこから

思いはどこから

 ガリ子は部室を飛び出した後、タカハシが追いかけて来なかったのでショックを受けてバスに飛び乗り、デブ子の家に向かっていた。

 ガリ子はバスに乗るとき、ステップの段差で股関節を外しそうになる。
慎重に慎重にとバスに乗り込むと、乗るのに時間がかかったためか、久しぶりに感じる嫌な視線を身に浴びた。
(これだからバスって嫌なのよね。ママの言うとおりにタクシーに乗れば良かった。人のエゴには超うるさいくせに自分のエゴは可愛いとか思ってる集団が乗っているんだもの。

どんなエゴだって可愛いって事をわからせてやりたいわ……)

「3千グラム……」 

 ガリ子は思わず声に出して言った。
(新生児一人分の重さを増やせだなんて、どういうことなのかしら……ひょっとして高橋君、私の、赤ちゃんが欲しいのかしら……?)


 そう思った途端、ガリ子は何やら晴れやかな思いが胸に宿るのを感じた。バスの広い窓から陽光が差し込んでガリ子を照らし、頬が薔薇色に染まった。空は驚くほどに青かった。
(そうね、赤ちゃんを作るんだったら、もう少し体重を付けてもいいのかもしれないわね。どうせ産んだら出て行った分3千グラム減るんだし。胎盤も出て行ったらもう何キロか痩せるのかもしれないわ。ああ、高橋君がそこまで考えてくれていたなんて……! 私だったら臨月の妊婦の状態で、ヒカルさんぐらいのウエストでいられるわ。どうしよう、ヒカルさんと裕子ちゃんに相談しなくっちゃ。)
 ガリ子は薄っぺらい自分のウエストを見て、生まれたばかりの赤ちゃんを想像していた。
(そういえば生理は止まっているけど、3キロぐらい太れば元に戻るのかしら? そういえば生理が止まったのって40キロを切った辺りだったわ……それじゃあ、もっと太らなきゃダメっていうこと? まさかタカハシ君ったら、私がまだ相談していない生理のことまで心配して……?)
「でも、私と高橋君の子どもだったら、可愛いこと間違い無しだわ。」

 ガリ子はタカハシのことを考えるだけで幸せだった。目をつぶると改造した学ランの太い腕を自分の左側に想像できる。タカハシのことだったら髪の生え際の、赤く染まる前の黒髪でさえ愛せるような気がした。悲しいほどつまらない学校生活を送っていたガリ子にとって、自分が興味を持てる存在がいるというのは不思議なほどに刺激ある出来事だった。そして夢中になっているうちに、少し自分への興味が薄れているのに気がついた。カロリーを計算する時間が減って、タカハシの顔ばかり思い出している。
(高橋君、いつも赤い靴下を履いているから、きっと赤が好きなのね。来月はクリスマスだもの。赤いマフラーを編んでプレゼントしようかしら。それとも、赤い髪が目立つようにマフラーは赤が映える色にしたらいいのかしら……)
 冬の青空はガリ子に祝福を与えている。ガリ子は青空が自分に語りかけてくるのを感じた。透明な雲の向こうからメッセージが伝わってくる。
 よく気付いたね。良かったね。本当に良かった……と。
 

 その頃、冴馬は春日先輩を三年の玄関まで送り届けていた。送り出すときに一言、「この携帯を見ても事態は変わりません。」と言った。
「もっと言ってしまえば、この中には瀬ノ尾さんの作った桃太郎とか浦島太郎のお話が入っているだけです。物語を聞いた人が亀をいじめたと言って、現実と非現実の境目を失って悪さをするかもしれませんが、その物語も長く続けば効力を失います。人は必ず飽きるんです。きっと、明日にでも。」
 春日は力弱く頷くと、人気のない中庭を見てホッとして家路を急いだ。冴馬はそれを静かに見守っていた……。


「……それじゃあ、ロジスティクスの説明をするね。」
 冴馬は部室に戻ると白い紙を広げ、何やら説明を始めた。
「ロジスティクスは、ようは供給ルートなんだ。もしもヒカルさんが学校に来る途中、消しゴムを欲しいと思った時にはコンビニと百均と文房具店という購入手段があるわけだけど、この辺で一番買いやすいのはどこの消しゴムだと思う?」
「この辺だったら……ローソンかな? 文房具屋さん、遠いし。」
「そう。さほど遠くなくて値段も高すぎない。近い場所のものを僕らは選ぶ。ローソンの消しゴムは中央から搬送されてくる。搬送ルートを断てば、僕らはローソンで消しゴムを買うことができなくなるのでやむなく文房具店まで行く。百均はもっと遠いからね。
 これを瀬ノ尾さんの無自覚なイジメに置き換えると、供給源は瀬ノ尾さんのパソコンで、ルートはネットの情報サイト、受け取るのは端末を持った読者である60パーセントの学校の生徒達やその他の人達……。それのどこかを断てば、春日先輩への報復は弱まると思うんだ。だけどその供給源を断つ方法は、瀬ノ尾さんのパソコンを壊すか、書き込みができなくなるほど忙しくさせるか……、興味を他の対象に移し替えるしかないと思う。

 瀬ノ尾さんのパソコンを壊すと器物損壊の罪になるからこれは却下だ。パソコンがなくても端末から書き込めるだろうし。だとしたら、サイトで扱う商品を替えるまでだよ。消しゴムが欲しい人に、ノートを薦めてみるんだ。読者だって本当に消しゴムが欲しかったかどうかなんてわからないわけだし。」
 冴馬は紙に「消しゴム=春日先輩のイジメ問題」→「ノート=違う問題」と書き込んだ。
「そこで、思ったんだけど。僕が目立って瀬ノ尾さんの興味を引けば、イジメの対象は僕に変わるのではなかろうか?」
 冴馬はあまりにも普通にそう言った。

「ちょ、ちょっと! そんなことをしたら冴馬の方が陰険なイジメの被害者になって非道い目に遭わされるわよ! それに春日先輩だって自分でいじめてた相手に報復されているわけだもの、自業自得じゃない?」
「うん。たとえ自業自得でも、あの人はこれ以上ないくらい弱っていたんだし、痛みを知れば人を傷つけることはなくなるし、もう許されていいと思うんだ。それに、天罰は天が下す物であって、人が下すものではないと思うよ。」
「だからって冴馬があんな目に遭ったらどうするの!?」
「さっき言ったように、大体の人は近ければ安い百均よりもローソンへ行くよね。近いっていうのは少し危ないことなんだ。他の条件が空ろになって分けて考えられなくなるからね。脳の中の事象であっても、自分の身に遠いことよりも近いことを本気で考えてしまうでしょう? 『自分』というものは、自分に一番近いからそれを狙われた春日先輩は少しおかしくなってしまったんだ。だけどその上で身の安全を守る方法もあるんだよ。自分を、最も遠い場所だと……他人であると考えると、自分が狙われても平静でいられる。」
「ハイイ!?」

「ああ、ごめん。色々と話がごちゃまぜになった……。ようは、僕は自分がどうなってもそんなに気にはならないんだ。」
(気にならないって……)
「……ただ、」
 冴馬はうつむきながらヒカルに言った。
「ヒカルさんが同じ仏教部の部員ということで、巻き込まれてほしくはないんだ。僕は、自分のことは他人に思えるけど、ヒカルさんのことは、他人とは思えないから……」
 私は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。他人に思えないって、どういうことなんだろう……? 冴馬は、一緒に歩いた北校からの帰り道ことを、まだ、覚えてくれているのだろうか。私はいつでもあの日の満月のことを考えている。月が満ちてくると冴馬のことを考えてしまう。冴馬は……?
「面倒くさいのう。友愛会ってヤツをボコボコにすればいいだけの話じゃないんけ?」
 タカハシが言った。
「それでは友愛会がやっていることと同じになってしまうからね。ただ、こういうことは気になるか、気にならないかで決めていいと思うんだ。僕はさっき、春日先輩とネットとの関係に興味を持ってしまったから、もう関わってしまっているのだと思う。だとしたらこれは、僕の問題なんだよ。僕は、気になるということを大切にしたい。高橋君とも、気になったからこうして一緒にいられるんだしね。」

 冴馬は邪気のない笑顔で言った。タカハシは「ばかやろう……」と照れた。私はこれから起こることについて何の見通しも立てていなかった。自分が大変な目に遭うとも知らずに……。

 帰り道、タカハシがガリ子を探しに行き、私と冴馬は二人きりになって歩いて帰った。恋人ではないけれど、一緒に歩いていられる今の距離が、嬉しい。月はまだ半月で、冬の夜空に星がきれいだった。帰る途中にパチンコ店の前を通ると、そのネオンが群青色の闇に浮かんで驚くほどにきれいでびっくりした。
(クリスマスのネオンみたい……ただのパチンコ屋さんなのに……。)

 冴馬のことを好きになってから、色々なものが美しく見える。風が吹いて落葉した桜の木が揺らいでいる。その枝の間から星が見える……。きれいすぎて、時折悲しくなるくらい。
「ヒカルさん、僕にとっては学校生活っていうのは特別に思えないものなんだ。学校では瞑想している時間の方が長い。それよりも、この学校に居づらくなってしまった人が、少しでも安心できる場所を作りたいと思っているんだ。僕は、みんなといるとすごく落ち着くから……」
「そうだね。」


 冴馬が普通のことを私に語りかけてくれるのが嬉しい。できるだけ、近くにいて、冴馬が動く度に秘かに聞こえる衣擦れの音を聞きたい。隣にいると暖かく感じるいつもの冴馬の匂いを嗅ぎたい。できることなら、冴馬と一緒に見ているもの全てを、ずっと覚えていたい……。



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