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初めての復興支援

東日本大震災から、今年で8年になります。
東京でも、あの時大きな揺れがあり、交通機関もマヒ、携帯もつながらず、家族との連絡もつかないまま、不安な夜を過ごしました。

少しづつ東北の状況がテレビで流されるようになり、ただ事ではない様子が意識され始めました。友人のOさんから、もし東北に行くようなことがあったら、一緒に行くかと聞かれ即答。
それから、物資を集めましたが、多くの方に協力していただき、一台では運べない物資が集まりました。

その時の様子をメモしていたものが出てきましたので、あの時の絆、繋がりを忘れないために、備忘録としてここに記します。

2011年3月27日

22時   府中発
別便にて、半分の荷物は、花巻のOさん奥さまご実家へ。

2011年3月28日

5時     花巻到着

7時30分  列に並んで、ガソリンを給油。

8時30分  Oさんの奥さまご実家に立ち寄りました。

9時30分 「ゆいっこ」の花巻事務所で打ち合わせ、ランドセル、下着、野菜等、約半分の荷物を渡し、Oさんの奥さまご実家にとんぼ返りし、残りの荷物を積み、遠野、釜石を経由して大槌へ向かいました。
途中の釜石は、津波で市街地が壊滅状態。
車、建物には、× の印が目立ちます。

11時    大槌着
大槌は、地震、津波に加え火災が起こっため、爆撃を受けたように跡形もなく街が消え去り、その惨状に言葉を失います。
中央公民館に立ち寄る。
物資置き場が狭くなり、今日から野球場にできた支援物資の集積場に運んでほしいとのこと。
Oさん奥さまの友人の安否を名簿にて確認し、野球場へ向かいました。

11時30分  野球場には自衛隊が駐屯、大型テントを設営されていて、中には支援物資がきれいに仕分けされていました。次々に運ばれる物資を運び込む、その手際の良さに驚きます。
こればかりではなく、現地での自衛隊の働きには頭が下がる思いでした。
瓦礫をスコップや竹ぼうきを使い、きれいに、道路わきに片づけたり、瓦礫の中から遺体を収容したり、本当に大変な作業を黙々と進めていました。

12時30分 吉里吉里地区に向かう途中、避難所になっている安渡小学校に立ち寄りました。

13時    避難所の物資担当の方から、作業着、紳士下着、靴下などが欲しいとのリクエストをもらい、今日の荷物にあったと思われる作業着を探すために、野球場の集積所に引き返し探しましたが、テント脇にあった荷物はすでに自衛隊により仕分けられていて、びっくり。
結局、今日の荷物には含まれていなかったことが分かり、吉里吉里に向かいました。

14時    Mさんの義姉宅を探して、町内を一回りしても見つかりません。
Mさんの携帯が繋がらないため、Oさんが何人かに電話し、ご主人の携帯と繋がり、やっと会うことができました。

15時    Mさん義姉宅にお邪魔してお話を伺う。
津波を高台で見ていたというお姉さまのご主人が、津波が押し寄せる光景を生々しく語ってくださいました。
津波の後、至る所で火の手があがり、プロパンのボンベが爆発、あちこちで空高く飛ぶ姿がとても恐ろしかったそうです。
また、お姉さまからは、過疎地で、やっと若者がホタテやワカメの養殖を手伝うようになっていたのに、昨年の台風被害、とどめにこの地震で、おそらくこの地から離れてしまうだろうと、複雑な心境を吐露されました。

15時30分  吉里吉里を出発。

18時15分 「 ゆいっこ」に立ち寄り、食料を買って鉛温泉に向かう。

19時45分   鉛温泉に到着し、早速、温泉に入り疲れを癒すことに。
古い湯治宿なので、部屋の窓も昔のガラス窓で、鍵は昔のねじ込み式…寒くて、寒くて。
それでも食事を済ませ、疲れから朝までぐっすり眠りました。

2011年3月29日

7時     朝起きて、びっくり。一面雪景色です。寒いわけです。

8時45分    朝食はカップヌードルを持ち込んだ携帯用の簡易コンロでお湯を沸かして食べ、出発しました。

9時30分  「ゆいっこ」では、吉里吉里小、安渡小、大ヶ口の荷物を預かり、出発しました。
途中で、Mさんに頼まれた、ろうそく、電池、カメラを購入して大槌へ向かいました。

12時15分    孤立した集落が大ヶ口に40戸ほどあり、お米を届けるため、大ヶ口に着いたところ、40戸どころではなく、200戸以上の集落でした。
届け先を土地の方に尋ねても、なかなか見つからず、再度、届け先を「ゆいっこ」に確認して、さらに周辺を捜して、やっとのことで、オーダーのあったお宅に届けることができました。
周辺に比べ、新しい住宅が立ち並び、周囲との付き合いがあまりないため近所で聞いても分からず、孤立していたようです。
府中でも自治会に入らないマンションや人たちが多くいますが、同じように孤立してしまうのではないでしょうか。
地域の繋がりを考える出来事です。

13時      安渡小に到着。
野菜、作業着、防寒着などをお渡しし、小学校の副校長から、前日、Oさんがお願いしたN小のPTAからのお話で、安渡小で必要なもののリストを受け取りました。

14時30分   Mさん義姉さん宅にろうそく等を届け、Mさんからの連絡で、
ご主人のご実家跡に向かいました。

16時    実家の跡地で、探し物のお手伝いを1時間ほどした後、帰路に着きました。
今日の宿は北上です。

19時30分   北上のビジネスホテルに到着。食事に出掛けました。
なかなか開いているお店もなく、やっと見つけたお店では、店員さんが山田の出身。
多くの友人、親戚が犠牲になったそうで、疲れ果て、重苦しい心境を語ってくれました。

大勢の方が犠牲になり、多くの財産が失われたこの震災ですが、途方もない被害に立ち竦むことがあっても、決して目を背けることなく、現実をしっかり見て明日に向かって、できることを一つずつしていくしかない。

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