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映画感想文 「アリスとテレスのまぼろし工場」 変化するのとは別の仕方で

このアニメは見伏(みふせと読む)という架空の町が舞台だ。鉄鋼を製鉄所の高炉が街の中心だ。いわゆる企業城下町だ。夷さんの下の記事を参考にした。

合併再編された今の日本製鉄の釜石市を参考にしているらしい。映画の中の町並みが作り出されていていい感じだ。この町の中にいたいとそう感じさせる。商店街のアーケードの感じも面白い。

1990年以降製鉄業界は再編されていくことになる。構造的な問題点を上げるなら、バブル経済崩壊後の長期的な国内需要の低迷、海外からの安価な鋼材輸入の増加、国際競争力強化に向けた業界再編と構造改革の加速といった理由により高炉の廃止が進んだ。1990年には約1億1千万トンだった粗鋼生産能力は、2023年には約6千万トンにまで減少した。その過程で釜石の製鉄所も徐々に縮小していった。

日本のバブル崩壊後の姿を映しているだろうし、製作者もそれは意識してるだろう。産業の構造転換は人が動くことでもあり、構造転換と一言では言い表せられない事態が起こっていた。

製鉄とは鉄をつくるという製造業の側面ももちろんある。しかし古来製鉄と神は親しい関係を持ってきた。製鉄に関係する神々が日本には存在する。この映画でも製鉄と神とは関係深い物として描かれている。街の中心にあり、まぼろしの町を守護するものでもある。町の製鉄所が徐々に無くなっていく過程とは働き口が減り、人口が減って衰退していく過程でもある。

映画では衰退する前の町を永遠に保った。冬の時期のまま時間が止まったようなのだ。人が老いることのない理想郷とも言える設定だ。でも老いないということは成長しないということであり、主人公達は永遠の14歳となってしまう。主人公は大人になることを望む。それは変化なのだが、変化はこの世界では排除の対象なのだ。変化は世界を変えてしまうがゆえに持ってはならない願望とされる。最後は変化が肯定される。成長が肯定される。

ここに保守的なものと革新的なものの対立を見るのはたやすい。変化できるものほど強者なのだ。でもと思ってしまう。変化するとは病に倒れることも変化であり、老いることも変化なのだ。強者と弱者と語られることとは別のことであり、変化は良いとか悪いとかとは別のことではなかったのか。変化しなくてはいけないという強迫観念は違うという感じがしてしまう。

反復が大事なのだろうか。くりかえす中になにかヒントがあるのだろうか。

傷つくことも変化であり、衰退することも変化なのだ。変化とは受動的なものであり、ただ受け入れるのみなのだろうか。

人間は、ある時生まれ、急激に成長し、生産し、死んでいく。そういう成長の物語が人生の物語なのだろうか。もっと別の仕方で人生をおくれないのだろうか。もっと別の仕方で語ることはできないのだろうか。変化は人生と同じではなく、別の仕方で訪れることはないのだろうか。そんなとりとめのないことを考えるのだった。


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