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キーパー生活

僕は中学のときサッカー部に所属していた。
人生で1番スポーツに没頭したのはこの3年間くらい。
ポジションはゴールキーパー、そうGK、そう守護神、そう唯一の手を使っていい人、そう1人だけユニフォーム違うひと、そう怒ってる人、そう負けている試合で後半ロスタイムのコーナーキックとかで、自陣のゴールはほったらかしでゴール前まで上がってくる人。
今になってこれだけは言える。
3年間程度のサッカーやったら絶対キーパー以外を選んだら良かった。

大人になり、フットサルをしたりする。
僕のいくつか行ってるフットサルは未経験の人も多い。
みんなで楽しく球蹴りましょ〜の優しいやつ。
サッカー経験者達は輝く。
芸人でやることがちょくちょくあるんやけど、
いつもソフトな優しい系ツッコミのやつもサッカーになると、経験者ならではの弾丸ライナーを放ったり、大味なボケのやつがドンピシャのスルーパス出したり、キャラで太ってるやつが繊細なタッチをし最小限の動きで相手を置き去りにしたり。
見ていて羨ましい。
僕は3年間程度のキーパーだったのでそこまで輝くことはない。
順繰りで回ってくるキーパーでたまにのたまに好セーブをするくらい。
経験者たちからの小さな「ナイッキー!(ナイスキーパー)」が宙を舞う。
大半はシュートが怖くて入れられる。おっさんやからキーパーで無茶したらボロッボロなってまうことが容易に想像出来る。

僕は中学で本当はバスケがやりたかった。
小学生の6年の時、スラムダンクの影響でもなくバスケをやっていた。
スラムダンクが連載されて以降初スラムダンクの影響を受けずにダムダムした人と勝手に認識している。高校なって初めて読んで今ではエグいくらい好きやけど。

中学に進学して本格的に部活でバスケを始めよう!と意気込んでいた。
入学した、バスケ部なかった。野球部もなかった。
なんやこの閉店間際の焼き鳥屋みたいなん。
肝とせせり終わりましたみたいな中学。

部活を選ぶまでまだ時間がある。よし、盛大に悩もう。

そんな週末、うちの家族と幼馴染たちの家族と出かけることになった。
この幼馴染たちというのは幼稚園の時期から小学校2年の途中までを同じ地元で過ごした、僕ら家族は引っ越したので時を経ての再会。親同士はめっちゃ仲が良い。
僕は気まずかった。1人だけ皆と過ごした時間がないことに劣等感を覚えた。
皆は広場で楽しそうにサッカーをしている。
僕は遊びに行った施設の中にある体育館でひたすらフリースローをしていた。
フリースローにも飽きて体育館の2階に上がったところからシュート入るかってやつをやった。一発で入った。自分でもビックリして「やっ!」みたいな声出た。
多分やったー言いかけたんやろな。
見てる人もおらんのが寂しすぎた。これはあかん。
皆とサッカーしたい。ってか輪に入りたい。
今はサッカー下手くそでしょうもなみたいな眼差しくるかも知らん、とか不安一杯で仲間に入れてって言われへんけど、絶対うまなってみんなとサッカーやる!!
で、サッカー部に入った。
でキーパー選んだ。
なんでやねん!!!!

キーパーを選んだ理由。
僕はサッカー部に入部した。
周りのサッカー部の同級生達はみんなちっちゃい頃からサッカーをしていた。
小学校も一緒やから別にここでの緊張感とかは無かった。いつも通り。
1年生は先輩のシュート練習してるゴール裏から
「ナイッシュー!(ナイスシュート!)」をひたすら叫ぶところから始まった。
サッカーをやってきていた同級生たちは、この先輩はこれくらいのうまさねって査定している様に見えた。
僕はそんな目も持っていないし、とりあえずナイッシューを叫び続けた。
先輩に「お前入れ!」と出してた声の大きい順から練習に参加した。
僕のシュートは明後日の方向へ飛んでった。めちゃめちゃにナスッシュー(ナスティー シュート)やった。
2チームに分かれて軽いミニゲームをすることになった。
このサッカー部は人数が少なかった。キーパーは1人やった。
もう1チームのキーパーを僕がやることになった。

試合が始まった。
スキルもない僕はがむしゃらにボールにくらいついた。
そのミニゲームはなんとか勝った。
僕はこの時少しニヤニヤしていた。勝ったことにじゃない。
シュートを幾度となくとめた、フォームなんて知ったこっちゃない、幾度となくとめる度に「おぉ!!!!ナイッキー!!!!」と好セーブに対して反射的に漏れてしまってる先輩たちの声。
エースの人が放ったシュートをキャッチしたときの「おぉ!やるやん!!!」
もうナイッキー超えたときのあの「やるやん!!!」という声。
僕は初めてスポーツで褒められ快感が駆け巡っていた。
それがニヤニヤで顔にも出ていた。

そうなんです。僕はサッカーの楽しみを知る前にキーパーの快感を覚えてしまってキーパーを選んでしまいました。

その週末にはおとんと難波のスポーツタカハシ、通称スポタカでキーパーグローブを買ってもらった。その時に初めて知ったんですが、僕ビックリするくらい手が小さかった。大人用のキーパーグローブはデカ過ぎてブカブカで、キッズ用のナイキのキーパーグローブを買ってもらった。ジャストやった。

そこから僕のサッカーライフ、いや、キーパー生活が始まった。

練習にも馴染み、サッカーいや、キーパーが楽しかった。
キーパーは基本的に長袖やった。真夏でも。
グラウンドで横に飛んだり、ボールカットしにスライディングするとどうしても地面と擦れる。長袖長パンやないと怪我まみれになってしまう。
怪我>暑さ 怖さの大なりが怪我に傾いていた。
おまけにグローブをして汗の量が尋常じゃなかった。
夏、部活が終わりみんなでウォータークーラーで水を飲む。
それはそれは飲む。とにかく喉を潤す。頭からも浴びる。
みんなでわいわいしていると、とある先輩が
「お前汗かき過ぎてクサいで。」とわざわざそれだけを言いに来た。
僕は涼しくなった。
むしろ寒かった。
矢文の矢も刺さった感じ。

匂いの原因はキーパーグローブやった。
蒸れる、とにかく蒸れる。飲茶。もう飲茶楼でめちゃくさかろう。だ!えい!
毎日練習終わると洗って干して帰るようになった。
キーパーは気候に不利な上に、しいたげられることもあり!

初めての練習試合。
基本的に皆でチャリで中学の前に集合する。
揃い次第、近くの中学へみんなでチャリで向かう。
基本的に土日にあった。
土日みんなでチャリで集まること自体が楽しかった。
集まった時点で満たされてた。
みんなでわいわい話しながら向かう。
僕の住んでいた街は少々の田畑、まぁまぁの工場、国道。車の通りも多い。
みんなで大きな声で1つの話題を話していた。
先頭には副キャプテン。しっかりした男気のある男前の人やった。
最後尾にはキャプテン。しっかりはしてないがみんなから愛される背のちっちゃい優しい人やった。
会話が盛り上がり誰かが
「そうでしたよね?キャプテン!」と、キャプテンに投げかけた。
返事がない。
みんなが「キャプテン!」と呼び振り返った、キャプテンの姿がない。
10秒前くらいまで喋ってたのに、なにこれ。どういうこと。
「キャプテーン!!」と誰かが大声で叫んだ。
遠くの方で「助けてくれ〜」と、か細いキャプテンの声がした。
キャプテンの声のする方向に向かった。

田んぼに落ちてた。
チャリのまんま。田んぼにチャリ乗ったまま落ちてた。
なんなんこの落ち方。
僕は一気にナメた。
そっからなに言われてもチャリのまんま田んぼ落ちたな〜とチラついてしまうようになった。チャリもだっさーいトンボやったな。少しの曲線も許さん!みたいなトンボ乗ってたな〜。いい感じのトンボとか売ってるのに。真っ黒の線みたいなハンドルのトンボのまま落ちてたな〜。となった。

そんなキャプテン3年が引退した。
3年生の話はキャプテンの田んぼトンボダイブがインパクト強すぎてこれしか覚えてない。

2年の先輩でめちゃ男前でサッカーがうまい人がいた。その先輩に憧れていた。
その先輩はやはりモテていて、彼女がいた。
彼女は太っていた、それも結構。
どういうところが好きなんやろな〜内面めっちゃ良い人なんやろな〜と思っていた。
人生経験のない僕にはまだ内面をはかれる物差しはなく、可愛いか可愛くないでの仕分けしか出来てなかったので気になった。
先輩がある日「おっぱい大きいねんな〜」と言った。
その次の日からその人のおっぱいばっかり見てまうようになった。
学校で1番大きかったんちゃうか。
その先輩と話すとおっぱいがチラついた。ゆさゆさした。

違う先輩でめっちゃ変な人がいた。
僕はこの人が好きやった。
僕らの世代はサッカーブランド的にアディダスとかミズノが流行っていた。ミズノのモレリアはブラジルのリバウドが履いていたので特に流行っていた。
その先輩はフィラを履いていた。中田英寿が履いているからと行っていた。
「このインフロントのザラザラした部分が引っかかって摩擦でカーブかかるねん」っていっていた。そんなことよりサッカー下手くそやった。カーブとかそんな話じゃなかった。
突然、ボクシングを始めたこともあった。
部活が終わってヘトヘトの状態で名門帝拳ジムへ通い出した。
いつも部活が始まる前にボクシングの練習の生活を見せてもらう時間があった。
鉄の柱を軽く拳で殴りゴーンと鳴らす。
「こんな音普通は出ぇへんから!軽いパンチでも芯捉えるとこれくらい鳴るから!やってみ!」
後輩はやらされた、もちろん僕も。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
「全然あかんな〜!」
いや、違いわからんねん。なんやそれ。

シュート練習とかで自分の番が回ってくるまでよくシャドーボクシングしてた。
グラウンドで。
唯一、2つのスポーツを同時に練習してた。
そんな先輩が好きやった。

そんな先輩達が引退する時、引退する先輩達対、僕らの紅白戦をした。

先輩達は11人もいなかったので他の部から助っ人を呼んでいた。
僕らは後輩たちも入っていたので11人揃っていた。
試合の結果は先輩達チームの勝利。
助っ人の陸上部の人がハットトリックして終わった。
今までの節目の締めくくり的な携わったやつの中で1番わけわからんかった。
先輩達も「俺らなんのために頑張ってきたんや〜」と明るく言っていたがなんとなく寂しそうやった。
相変わらずシャドーしてる人もいた。もうゴーンないんかと思うと寂しい気持ちになった。

僕らが3年になった。
自分達の時代。僕は副キャプテンに任命された。
続々と後輩が増えた。

マネージャーが入った。
2年の女の子。

僕は練習に励んだ。
とにかく頑張った。
とにかく格好良いと思われたかった。

そのマネージャーは体操服とかじゃなくて基本的に制服のまま日陰に座ってた。

マネージャーとしての仕事なんて多分こんな小規模な弱小サッカー部になかった。
マネージャーへの憧れがあったんやろな、サッカー部マネージャーってなんかえぇやんみたいな感じやと思う。

ある日、座っていて無防備になっていた。
完全にガードは降りていた。
そう、パンツ見えてた。結構長いこと。
全然シュートとめられへん、全然シュートも枠にも入らへん。
みんな気づいてた。
みんな気にしてたんや、マネージャーの存在。

その日から注意が散漫となりずーっと練習グダグダやった。
パンツが離れなくなった。

その時辺り、同級生のチームメイトの奴と付き合うようになった。
僕らはなんとも言えない気持ちになった。
再びサッカーに集中することができる日々が帰ってきた。
誰もそいつに「ちょっと待ったー!」なんて言う勇気なんてなかった。

付き合ったチームメイトはそこから点を良く得るようになった。フォワードやったけどそれまでと雰囲気が変わった。
ハリが出たのか、紅白戦でも練習試合でもどんなに泥臭くても良いから点を入れた。そいつのユニフォームの汚れ方が変わった。
めちゃくちゃ見直した。
前までは1人でボールキープするようなことも多かった。
でも、得点を入れるためにパスも出す。泥臭い献身的なプレーヤーに変わった。
ゴール前でファウルをもらいに行ったりもした。得点への飢えといか、執着が凄かった。

チームはまとまり、引退がかかった夏の大会。
地区大会、次勝つとグループリーグ突破。僕がこのサッカー部で超えたことのない壁。
僕らの同級生のキャプテンは在日韓国人の大阪代表に入るくらいのめちゃくちゃうまいやつやった。キャプテンとそのマネージャー彼氏とでここまで勝ち進んでこれた。
気持ちを1つに挑んだ。

開始10分くらいマネージャーの彼氏がユニフォームの背中の部分を軽く引っ張られた。ここはファウルをもらいに行こう思ったんやと思う。
豪快に後ろにコケた。ネイマール以上に。
後ろコケる勢いが強すぎて地面で頭打った。
ファウルは一応もらったが、そいつは立たない。
いや、立てない。
そのまま担架で運ばれた。
頭打ったので一応検査ということで病院に運ばれた。

試合再開!
フリーキックも全然ちゃうとこ飛んでった。
ピッチの外に目をやると顧問の先生もマネージャーも誰も見てなかった。いてなかった。
病院に付き添っていった。
普通に負けた。
完全にあのタイミングでみんな動揺した。
ほんで、俺らの最後誰も見てへんねやってなった。
僕らの夏は終わった。

あれから何年も経ち、その時の話になったことがある。
なんであん時、「あんなに点にこだわったプレーに切り替えれたん?」

「点入れたらチューしてくれんねん。」

「ん??」

「あのマネージャーの子と約束してん!点入れたらチューさせてくれって!」

「そうなんや。」

僕らはあの時気づいてなかった。
接吻フットボールをやっていた。
接吻フットボールをやってるやつのチームメイトなだけか、めっちゃ脇役頑張ってた。
接吻フットボールはおっぱいバレーより先輩やったんやな。
そら頑張れるわ。

これからなんとなくキーパー選ぼうとしてる人!(志ある人は頑張って下さい!)

点入れたらこういう奇跡的にチューしてくれる彼女できるかも知らんけど、
キーパー点入れらへんし、
臭いし、暑いし、大人なってもやってた感出にくいし、
あんまおすすめはせーへんで!!

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