山元康輔

自粛生活が続いております。
バイト先も潰れてライブも何もなくなりました。
でも、なんか少しずつ新しいことが始まったり、限られた人たちと電話したり、寂しいけど寂しくないといった変な気持ちにゆっくり慣れていってます。

新しく始めたことの中の一つ、ランニング。

走ってます。一日4kmほど。
シューズを買ったり、ウェアを買ったり、ランニングバッグを買ったり、ランニングと同時にショッピングも始まってます。

最初は家の近所の公園の舗装された道を何周も走ってました。
そこには僕と同じ発想のこの際ランニングでも始めてみるか!といったコロナビギナーズランナーが結構いました。
そのコロナビギナーズランナーを、走ることご我が人生ベテランおじさんランナーたちが颯爽と追抜いていきます。
負けじと頑張って走ってめちゃくちゃにしんどくなって家に帰る。
走るんめっちゃ嫌なったんで、公園を走るんやめました。
あと普通に飛沫すごいし。

今は一人で音楽を聞きながら走っています。
一人で走るのはほんま気持ち良い。誰のペースにも合わせず、自分の中のリトルヤマゲンに頑張りや〜とエールを送って走る。割と満足度高めでやってます。
たまに一人でも頑張り過ぎて足を止めそうになることがある。
そんな時は、尊敬する人達を思い出す。

まず一人目
元バンタム級王者 辰吉丈一郎選手
言わずと知れた浪花のボクサー。岡山出身やけど。
辰吉さんのロードワークメニューがこれ。

「6時頃から大阪城公園を中心に18キロくらい走る。2キロのジョグの後、1,600メートルダッシュを10本か、800メートルダッシュ20本。1,600メートルなら5分30秒以内で走る。それが終わってシャドーと両足跳び。2メートル以上のジャンプを何度も繰り返した」

無茶苦茶すごいんよ!ほんで今も現役でロードワークしてんねんで!
すごない!!!??超人!肉体はもちろんやけど、メンタル!!えぐっ!!

辰吉さんを思い出すと頑張れる。

次に、最近先輩からの勧めで読んだ本で色々知ることができた、
天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さん。

千日回峰行というとてつもなく大変な行を2度も成し遂げた僧侶の方。

『千日回峰行』とは、比叡山の山中や京都市内を7年がかりで千日間歩く荒行である。総距離は地球一周に相当する約4万キロ。途中で辞めると自害しなければいけないという厳しい掟があり、行者は常に首吊り用の紐と切腹用の短刀を持ち、死出の旅路を意味する白装束に草鞋姿で歩く。
お勤めを終えた深夜に出発。小田原ちょうちんを手に、260か所をお参りしながら1日約40キロを歩き、戻ってくるのは午前9時過ぎ。睡眠は約4時間弱。700日までは行者自身を磨く利自行で、701日めからは人びとの幸せと国家の安泰を祈って歩き続ける利他行となり、歩く距離も1日80キロに増える。

無茶苦茶すごいんよ!!肉体はもちろんやけと、メンタル!!えぐっ!!
こんな僕の言葉では言い表せない。ほんまにすごいな〜と思う。

この方は毎日この何倍の距離をみんなのこと思って歩いてはったんや!!と思うと頑張れる。

で、汗だくで家に着いて思った。

俺走る人好きやん。
とてつもなく走ってる人や、とてつもなく歩いてる人好きなんやな。
全然気づいてなかった。
これから尊敬する人の目安にいれてえぇぐらい、物理的に走ってる、歩いてる人たち好きなんやと思った。

今日も走ってきた。
今日はコンセプトを持って走った。

「沖縄料理屋さんのアルバイトが系列店に
大至急オリオンビールの生樽を借りに行くところ」

なぜか画像を縦向きにでけへんかはさておき、いい具合に急いで生樽借りにいけてる雰囲気が出せてたと思う。

これは縦でいけるんやな〜。
もういっちょ!!

あ、やっぱあかんな。なんでやねん!!

僕の名前は山元康輔。
冒険が始まりそうな冒頭やけど別に始まりません。
芸名はヤマゲンと名字のカタカナ音読みのみでやらしてもろてます。
本名は山元康輔(やまもとこうすけ)

高校からヤマゲンと呼ばれるようになった。
みんなの中では平仮名やまげんかも知れへんけど。
自分から名乗ったことはないのに勝手に呼ばれる。

芸人になっても個人名は山元康輔でやってたけど、ヤマゲンと呼ばれることが多かった。平仮名やまげんかも知れへんけど。

舞台上でもヤマゲンと呼ばれていた。
個人的には愛称で呼ばれることが嬉しかった。
野性爆弾のくっきーさんがくーちゃんって呼ばれてたり、FUJIWARA藤本さんがフジモンて呼ばれてたり、ウッチャンナンチャン内村さんが出川さんからチェンと呼ばれてたり。こういう愛称みたいなのって愛されてる感でるやん。
お客さんからもヤマゲン。さんとかあんま付かない。愛されてる。なめられよりの。それでも嬉しい。

今は個人の芸名をヤマゲンとしている。
しているというか、せなあかんなった。
そんなきっかけがあった。

大阪吉本時代、今から10年ほど前かな。
当時baseよしもとという劇場があって、そこに複合してYES-fmというラジオがあった。今は違う場所にあるんかな?
毎日夕方日替わりで先輩たちがやっていたオンストというラジオ番組があって、劇場にいると出させていただけることが度々あった。

その日は天竺鼠さんの回やった。
いつものように出させてもらおうとハイエナのように劇場をうろついていた。

あ、良かったら出てくれへん?
きたー!!!最高!
ルンルンと緊張、ルン緊でブースへ入った。
CMがあけて、天竺鼠瀬下さんが
「今日はヤマゲンが来てくれましたー」と紹介してくれた。
すると天竺鼠川原さんが
「お前ってヤマゲンって芸名なん?」
「いや、違います。山元康輔です!」
「ほな、ヤマゲンって呼ばん!肉の塊って呼ぶ!」
「ちょっと!待って下さいよ!」若手の先輩にツッコむそれNo.1
「いや、ほんまに」
「えっ!」
「ヤマゲンに改名するか、肉の塊って呼ばれるかどっちか」
「ほんまに言うてますか?」
「どっちにする?」
「…改名します」
「はい、ヤマゲンでーす!」
と言った具合で物の1、2分で改名が決まった!
若手を見てるマネージャーが慌ててカンペみたいなのを書いてラジオブースに向けて『ほんまに??』と出した。
初めて見たカンペやった。ドッキリのパネルの逆のやつみたい。

そんなこんなで川原さんきっかけでヤマゲンになりました。
勝手にカタカナにしました。

元々呼ばれてたのでスムーズ過ぎる改名でした。
バリアフリー改名。

なんならうちのオトンも職場でヤマゲンと呼ばれていたらしい。
おじいちゃんもヤマゲン。ダム建設業をしていたのでダムのヤマゲンと呼ばれていたらしい。
弟たちもヤマゲンと各々の場所で呼ばれている。
俳優の方の弟はマネージャーにヤマゲンって改名したらと勧められたと言っていた。
兄弟で全く同じヤマゲンって芸名で活動するんややこしすぎるやろ。
全員見た目がヤマゲン感あんねやろな。濁点感というか。

地元の友達は僕を下の名前の康輔と呼ぶ。
もちろんオカンも。そらそうや。あんたがつけたんやから。
オカンはたまに「やまもと!」と謎のシンプル名字で呼んでくるが、ほとんどは康輔か兄ちゃんか康兄のどれか。弟の前やと兄ちゃんか康兄になる。

オカンに小学校の時に自分の名前の由来を聞いた。

オカンは
あんたが産まれる前の話なんやけどな、お父さんが夢で見たんよ。
夢の中で子供がいて、その子のことをコウスケって呼んでてんて。
それで良い漢字を探して康輔って名前になってん。
良い字画なんやで、金には困らん、目上の人に可愛がられる、未来の皇帝、女運だけ全然ない。皇帝なんねやからめちゃくちゃえぇやん!!

と言っていた。
皇帝って何?未来の皇帝。
そんなえらいもんになってしまうんかと幼心に思ったのを覚えている。

そっから随分経ってオカンに、そういえば由来聞いたときそんなん言うてたよな〜って話を大人になってからした。

するとオカンは、

ちゃうで。なにそれ。そんなんちゃうで、由来。

えぇーーーーーーー!!!うそーーーん!!!
言うてたやん!だって言うてたやん!!!

知らんで私それ。

シランデ、ワタシ、ソレ??
えっ!これ誰の記憶??誰が間違えてるん??なにこれ??
むずいむずい。。

ほな、由来なに??

ドラマ。中村雅俊の。俺たちの旅ってドラマ。その時の中村雅俊の役名がコウスケやねん、皆からカースケカースケって呼ばれてる。なんか魅力的な役柄やったからこんな男なって欲しいと思ってコウスケにした。

知らんで僕それ。
初めて聞いたけど。そうなん。

あ!そうや!
漢字は??康輔って字画!!

それは金には困らん、目上の人に可愛がられる、未来の皇帝、女運だけ全然ない。

それは全部合ってんのかえっ!!!!!
皇帝てなんやねん!!ほんで、女運はあれ!!!そこもいってくれ!!

そっから薄っすら中村雅俊に親近感ある。

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