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旧統一教会をめぐる思索③

①②を公開し、下書きで③まで用意していたが、「デリケートな内容だから公開しないだろう」と思っていた。ところが先日の月命日に菩提寺の遺族会に参加したところ、このテーマに関連して大きな動きがあったので、補記してみた。下書きのままにするか公開するかわからないが、ひとまず書いてみる。

2011年、郷里・石巻の沿岸部が東日本大震災で壊滅してから数ヵ月後、実家跡の近くに目障りな造作物が現れた。

撮影は2011年4月頃だろうが看板が引き立つよう加工されている。
震災の写真にはわりと捏造写真が多い。

震災報道を見た人なら、一度は目にしたことがあるだろう。いわゆる「がんばろう看板」である。3.11の前後にはこの看板前にキャンドルが灯され、祈りを捧げる人たちが、被災地からのメッセージとして映し出される。これがなぜオレにとって“目障り”だったのか?

大津波からまだひと月も経っていない4月上旬、ベニヤ板を使ってあの看板は突如建てられた。行方のわからない家族、大事な家財を探して瓦礫のなかを彷徨う被災者にまったく寄り添わず、ただただ市外・県外の部外者に「ここにオレはいるぞ」と言わんばかりの自己顕示を披露した薄っぺらいシロモノだ。低劣な目立とう精神、ポピュリズム、自己陶酔、承認欲求、そしてとある組織における権力欲にまみれた看板だからである。“ある組織”とは何あろう、創価学会。建造主K氏は、それはそれは熱心な信者である。

この看板が全国有志のボランティア魂に火をつけ、復旧復興を推進した功績は、認めよう。だが、ここでやる必要があったのか? 被災地一丁目一番地である南浜町(正確には門脇町に建造され、のちに南浜町に移設された)で「がんばろう」と声高に叫ぶデリカシーのなさに呆れた。うずたかく積まれた瓦礫の中から発せられた「がんばろう」というメッセージが、復興支援にプラス効果をもたらしたかもしれない。建造主Kの話によれば、自営していた水道工事店が全壊し、本人も松の木にしがみついて夜を過ごしたというから「被災者」には違いないだろう。自らの土地に看板を建ててはいけないという法律があるのかないのか知らないが、少なくともあの土地ではやめてほしかった。看板の半径百メートルだけで何十人(私の母や叔母を含む)が犠牲となったのだ。建造主氏はそれを知ってか知らずか、自己顕示欲をエスカレートさせ、今では市民運動家気取りでテレビや新聞の取材を受けては看板の意義を誇らしげに語り、2021年の東京五輪のときには聖火ランナーまでやってのけている。

許しがたいことはいろいろある。彼がどの宗教に帰依しようが知ったことではないが、その信仰心(すなわち学会内での承認欲求)を門脇・南浜という被災地に持ち込んで公私混同をしたことだ。彼は、自分が学会員であることは公表していない。オレのスマホに創価学会HPのキャプチャー画像が残っている。現在はどういうわけかサーバから削除されている。彼は、宗教者であることを秘匿し、一被災者ないし、一篤志家の顔をして、有名看板を建てた”スター”にのし上がった。

2012年当時の東北創価学会HP「復興へ歩む友」(現在は削除されている)

なかでも彼が犯した最大の罪は、われわれ遺族から祈る場所を奪ったことである。おそらくは彼の裡に、そんな意図は毛先ほどもなかったろう。「こんなことをしたら池田大作センセイに誉めてもらえっぺな」という軽いノリだったに違いない。事態は彼の愚昧な想像をはるかに超え、3.11には14時46分の黙禱に続いて色とりどりの風船が放たれ歓声が上がる。支援者が飛ばすドローンがブンブンとうなり、近くで手を合わせるわれわれから静かな祈りの時間を奪っている(オレの実家は看板から50メートルも離れていない)。夕方には看板前で数百のキャンドルが灯され、祈りが捧げられる。3.11でなくても全国から被災地・石巻を訪れる人は何をおいても看板を目指し、花を手向け、無心に手を合わせて「慰霊」をしたつもりで立ち去ってゆく。遺族からすれば、「がんばろう」なるお気楽メッセージに手を合わせて、いったい何をしたいのか? おざなりの儀式でその場を繕っているに過ぎなくないか? と見えてしまう。

市や県もまた憎き共犯者である。がんばろう看板前にいつしか献花台が設置された(←ここが最大の不条理)のをいいことに、遺族や来訪者が手を合わせる「慰霊碑」「献花台」の設置を怠り、Kの思惑を黙認し、追悼公園(復興祈念公園)の理念や建設を迷走させた責任はとてつもなく大きい。あんな看板は内陸ののどかなスポーツ広場にでも移設して、風船を飛ばすなりキャンドルを灯すなりコンサートを開くなり、大いに騒げばいい。南浜町という悲しい町で騒いでほしくない、静かに祈らせてほしいというのが遺族の願いだ。市や県は、無宗教の慰霊碑・追悼碑を早急に建立すべきだった。この市と県の怠慢をいいことに、全国から動員された創価学会員が看板前に集結し(「われらの同志に力を貸そう」とかなんとか?)、聖教新聞の古新聞でくるまれた生花がうず高く積まれたのである。これを読んでいる人で、石巻の「がんばろう看板」に手を合わせた人がいたら、ぜひとも近いうちに再訪して清らかな追悼を行っていただきたいと、強く願う次第だ。

5月23日に南浜津波復興祈念公園を訪れた秋篠宮家佳子さん(毎日新聞HPより)。
誰もこんな献花はしない。遺族もここ(池)で手を合わせない。
なぜ宮内庁はこの献花方法にこだわったのか?
なぜ犠牲者の名前が刻印された慰霊碑に佳子さんを連れていかなかったのか?
佳子さんはこのあと「看板はどこにありますか?」と言ったという。
日本の皇族が創価学会の色濃い看板で手を合わせたら前代未聞だったろう。
【参考記事】https://kahoku.news/articles/20230523khn000070.html

そろそろ擱筆したい。こんな話題を「旧統一教会をめぐる思索」なる胡乱なタイトルで公開することに疑問を抱かないわけではないが、羊頭狗肉のタイトルでもないだろう。過去の投稿も含め本稿で伝えたかったのは、敬虔な宗教心が、本人の意図せぬところで他者を傷つけ、本質を見誤らせるということを、自分なりに整理したかったからだ。しかしながら、この自分の文章(遺族原理主義)も、我田引水だったり独善的だったり、他者のみぞおちあたりを握り拳でゴリゴリねじ込んでいるかもしれない。

2011年のあの日から毎月のように郷里・石巻を訪れ、南浜町で手を合わせるたびにあの看板を目にし、「ガソリンをかけて燃やしたい」と何度思ったことか。それは、山上徹也容疑者が安倍元首相めがけて発砲した情念に、案外近いかもしれない。