雲雀

2011年3月11日、石巻市南浜町の実家と母を喪った。44歳の私は0歳に還った。原野と…

雲雀

2011年3月11日、石巻市南浜町の実家と母を喪った。44歳の私は0歳に還った。原野と化した郷里に丸裸で産み落とされた気がした。”10歳”を迎えた2021年5月、市内でバーを開いた。コロナ禍の逆風下で店をやりながら何をしたいのか模索している。順序が逆だがオコチャマだから仕方ない。

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逆張りという呪縛

いつからそういう性癖がついてしまったのかわからないが、周囲が思いつきそうな選択を避けるようになった。スナックに行ってもカラオケはほかの人が入れない曲ばかり。車を走らせても抜け道ばかり。文字通り「我が道を行く」という自己主張が強い。そういう志向や行動を「逆張り」と称するようになったのは3年ほど前からだろうか。会社の編集部長が会議で使い出した。最初は意味がわからなかったが、使い方を学ぶうちに「オレがよくやってるやつだ」と思うようになった。 ネットの論壇でいうならネトウヨの常套手

    • 体内シリンダーの容量チェック

      いちおうこれでもマスコミで30年働いた。長年親しんだ東京の職場に別れを告げ、郷里・石巻で働きはじめて4か月。充実感に乏しい日常の根本的理由を解き明かしてみたい(いつまでそこに留まってるのかと言われそうだけど)。 37年前に「こんな町で夢など追えるか」と石巻を出たのは若気の至り。どこまでも浅薄な自分を恥ずかしく思うけれど、東京に職を得て30年働いたことは、何がしかの自負心を抱かせるほどに充実していたのは確かだ。そして今回、石巻に帰る決心をしたのには、さまざまな要因(根拠)があ

      • 旧統一教会をめぐる思索③

        ①②を公開し、下書きで③まで用意していたが、「デリケートな内容だから公開しないだろう」と思っていた。ところが先日の月命日に菩提寺の遺族会に参加したところ、このテーマに関連して大きな動きがあったので、補記してみた。下書きのままにするか公開するかわからないが、ひとまず書いてみる。 2011年、郷里・石巻の沿岸部が東日本大震災で壊滅してから数ヵ月後、実家跡の近くに目障りな造作物が現れた。 震災報道を見た人なら、一度は目にしたことがあるだろう。いわゆる「がんばろう看板」である。3

        • "働く"とはいかなる営為か?

          37年ぶりに帰った郷里で働きはじめて1ヵ月が過ぎた。東京で働くのと、これほどまで違うものかと愕然としている。働いて3日目で辞めたくなった。グッとこらえて1週間。ググっとこらえて1ヵ月。もつにはもったが、展望は見えない。終業時間が来ると、逃げるように退勤する毎日。大学を卒業してから32年、いろんな職場で働いてきたが、こんな就労は初めてだ。なぜこんなことになったのだろう? 東京では、本や美術や音楽に関わる仕事をしてきた。マスメディアの世界にポジションを得て、東京から情報を発信で

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        逆張りという呪縛

          37年前の4月1日

          1986年4月1日、大学入学のため上京して東京に移り住んだ。それから37年をどうにかやり過ごし、今日、生まれ故郷の石巻に帰る。家の整理ができていないので完全なUターンではないが、月曜から新たな仕事に就いて、昨年購入した「わが家」から通うことになるので、実質的に今日が「帰郷」と言ってよいだろう。 新幹線に乗るべく大宮駅に向かえばよいのに所沢に向かっている。調布自宅からバスに乗って三鷹駅へ。そこからJR中央線で国分寺駅に行き西武線に乗り東村山、所沢で乗り継いで目的地の航空公園駅

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          若者が嫌いになっている

          「寄る年波に勝てない」という結論で全然かまわないが、最近このことを如実に感じるシーンばかり。とりあえず列記してみる。 ①酒場のバイトくん よく行くバー(東京地元)で、バイト男子に声をかけられてもまともに返事ができない。ぜんぶくだらなく聞こえる。向こうも何を話せばよいかわからないので自分の話をするのだが、大概つまらない。なぜバイト君の身の上話を聞かなきゃならんのか。こういう時はサッカーW杯など当たり障りのない話題にすべきだが、別にそんな話をしたいわけじゃない。オレはマスターと

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          オレ様BARの限界

          閑古鳥が鳴いている。どんな鳴き声がするのかと思ったら「シーン、シーン」と鳴くんだね。怖いのでオーディオの音量を大きくして紛らせている。 やっぱり女性に任せた方がよいのだろうか。 年末年始は5日間営業してのべ30人がご来店。うちまったく知らない客は12/30の女性2人だけ。あとは全員顔見知り(ほとんどが同級生)だった。これがよいことなのかどうか。オレはダメだと思っている。知り合いなだけで常連とは言えない。たまたま年末年始に帰省したか、飲み会で街に出てきたとか。去年も来てくれ

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          「スピン」という雑誌

          雨の月曜日、久しぶりに書店に寄った。山の雑誌でも買おうかと思ったのだが、総合雑誌コーナーに河出書房新社の新雑誌「スピン」を見つけたので手に取った。発売前に1万部重版したというので気になっていた。税込330円と激安。早速買い求め、近くの居酒屋でハムカツを齧りながら読んでみた。 スピンとは本のノドから出ている布紐のこと。栞とも言う。恩田陸が命名したそうで巻頭言も恩田が書いている。紙の本を象徴するパーツが雑誌名とは気が利いている。それにしても執筆陣に知った名前がほとんどいない。文

          「スピン」という雑誌

          旧統一教会をめぐる思索②

          「真如苑」という宗教がある。統一教会のテーマで語っていいのかわからないが、「これだから新興宗教は大嫌いなんだ」と感ぜしめたのが真如苑だ。 会社にNさんという女性パートさんがいた。10歳ほど上で数年前に退職したが、会社の近くに住んでいて、仕事中に「ちょっと話したいことがあるので帰りに家に寄ってもらえませんか?」と言われた。まさか色仕掛けとも思えず、パソコンを直してくれとかその類いかと思って無警戒に立ち寄ったら入会の勧誘だったというつまらない話。その時のことをFacebookに

          旧統一教会をめぐる思索②

          弔意について 終戦/原爆/3.11

          今日は9月27日。私淑する作家HYさんの78回目の誕生日である。Hさん、まさか自分の誕生日に、宿敵であった安倍晋三元首相の「国葬」なるものが敢行されるとは、ご心痛はいかばかりかと拝察する。この夏から新たに始めた(再開した?)twitterで、国葬に対する思いを共有させてもらっており、心強く感じてもいる。いささか品がないのがアレだれど。 たかが国葬。法的根拠もなく、岸田内閣の単なる戯れ。デモに参加もしないし議論もしない。ただ黙殺するのみ。今日は朝イチで会議があり、それが終われ

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          旧統一教会をめぐる思索①

          あの事件の数日後、実行犯Yへの取り調べから旧統一教会への恨みが犯行の根底にあると知り、ある思いが込み上げたのでFacebookに以下の文章を書いた。きわめて未消化な状態だったが、あれから1ヶ月以上経って読み返してもさほど状況が変わっていないことに驚く。引用に続けて、その先を書き足してみたい。 最後のところはうまくまとめられず苦し紛れがバレバレだが、今の実情に合致していないこともない。自民党のグズグズぶりは見てのとおりだ。 そもそもなぜ今頃になって旧統一教会が毎日騒がれてい

          旧統一教会をめぐる思索①

          母親を亡くすということ

          *見出し画像は高橋英吉《母子像》(1941) 50代ともなると親世代がお隠れになる頃合だ。オレの場合は44の時に震災が来たので、周りより少し早かった。前年に父が77歳で亡くなり一人暮らしだった母は津波で一瞬にしてあちらに逝ったわけだが、膝が悪い程度で全くもって元気だったし3.11の数日前も電話で話したので、死んだという実感がおよそない。当時75歳、生きていれば今も元気で短歌や押し絵をやっていたことだろう。 自分の身に何が起きたのか、摑みようがないのは本当にいずい(東北弁で

          母親を亡くすということ

          絵本作家Sさんのこと

          ※画像にあるお名前のとおりだが、本文中ではイニシャル(お名前のほう)にさせていただく。 現在愛知県刈谷市の美術館で回顧展が開催中だ。これまでのSさんの展覧会にはたいてい行ってきたが、毎週末に石巻通いをしている身で西日本に行くのは厳しく今回は見送ることにした。 Sさんとは1995年からのお付き合いだ。勤めていた出版社で80年代に何冊か本が出ていて、T兄弟(双子の兄Yさんも絵本作家)の本を出している在京出版社として声がかかり、兄弟を囲む会に出席したのが最初だ。 共同制作の絵本『ふ

          絵本作家Sさんのこと

          さて、何をするか。

          ボチボチと職探しを始めている。来年4月には無職になるのだ。まずはwebのハローワークでアカウント作成。プロフや希望条件などを登録するとマッチングする求人が出てくる…はずなのだが、まぁそこは石巻なので、これまで考えたこともない職種ばかり。精密機械の組み立てや水産加工の仕事は想定内だが、いちご農家での摘み取り、ワカメの仕分けなんてのがある。いいなぁ、魅力的だなぁ。夢の第一次産業。歳が歳だから、昔のようにガテン系でバリバリ働くのは無理だが、自然とふれあいながら働けるのには憧れる。本

          さて、何をするか。

          会社の辞め方ご指南申し候

          来年3月で会社を辞めることにした。飽きっぽいオレが17年もいたのだから、たいそう居心地がよかったわけだが、石巻へ帰りたい思いは断ち切れなかった。 会社を辞めるのはこれで5度目。取締役(経営者)という立場なので存外に厄介だった。取締役会規程によれば6ヶ月前に辞任願を提出せよ、とある。社長(取締役会議長)にメールで辞意を伝えたのが2月半ば。そこから定例会、臨時取締役会を経て先週初めにようやく承認された。後任の選任(本人の同意)が一番の障害だが、なりたい奴はゴロゴロいるから大丈夫

          会社の辞め方ご指南申し候

          追悼か鎮魂か慰霊か

          今年もまた3.11がやってくる。11回目だが、そこに向かう心持ちは初回(2012年)のそれと大して変わらない。ただただ故人の冥福を祈るだけだ。昨年は10年でマスコミの数が多かった。今年はどうだろうか?自治体の追悼式典も、10年を区切りに今年から施行しないところもあると聞く。 石巻は、南浜津波復興祈念公園内の慰霊碑前で式典を行うという。市内で亡くなった3800人(うち行方不明者500人)の名前が刻まれた場所だ。それまでは内陸の屋内施設で挙行されていた(ここ2年はコロナ禍で中止

          追悼か鎮魂か慰霊か