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体内シリンダーの容量チェック

いちおうこれでもマスコミで30年働いた。長年親しんだ東京の職場に別れを告げ、郷里・石巻で働きはじめて4か月。充実感に乏しい日常の根本的理由を解き明かしてみたい(いつまでそこに留まってるのかと言われそうだけど)。

37年前に「こんな町で夢など追えるか」と石巻を出たのは若気の至り。どこまでも浅薄な自分を恥ずかしく思うけれど、東京に職を得て30年働いたことは、何がしかの自負心を抱かせるほどに充実していたのは確かだ。そして今回、石巻に帰る決心をしたのには、さまざまな要因(根拠)があった。

  • 震災を経て石巻に帰りたい、郷里の復興の担い手になりたいという思いが募るばかりだった

  • 子供が大学生になって家事をする必要がなくなり、家を離れても家族に迷惑をかけることはないと確信した

  • 好きな仕事を30年続け、それなりに達成感があったが「このへんでヨシとしよう」とリタイアを決心した

東京の中堅出版社を辞めて石巻の零細企業に入れば、畢竟、職業としての充実感・達成感は目減りするけれども、郷里で働ける喜び、なにより石巻市民に戻れる喜びがそれを補って余りある――はずであった。そこには一つ、重大な思い違いがあった。自分という人間は、大きな一個のバケツのようなもので、そこに「仕事」「家族(ふれあい)」「趣味」「郷土愛(復興への貢献)」「遊興(酒・カラオケなど)」などの何種類かの“水”を注ぎ、バケツ全体を満杯に近づけるイメージだったが、実はそれらは個々のシリンダーに分かれていて、相互に水を移し替えることはできないのであった。

自分のなかにある数個のシリンダー

石巻で働いて、何が起きたかといえば、「仕事」と書かれた大きめのシリンダーに水が貯まらないのだった。東京で満杯にして帰ったシリンダーの水を北上川にダーっと流し、新しい蛇口にセットして貯まるのを待ったがポタポタ滴るだけで一向に貯まらない。高校卒業のときに、そのシリンダーを満たそうと思っても「この町では無理だ」と観念したことが、そのまま現実に起きている、ということだろう。

問題は、高校生の稚拙な勘が当たったか外れたかでなく、東京で40年近く生活しながら、どの水がどの容器に入っているのか、自分でわからずにいたことだ。そのくせ、Uターン決意時に「これからは、何をして働くかではなく、どこで働くかを重視したい」などとワケシリ顔で宣言したオノレが、石巻で働けど働けど、空疎しか感じないことに仰天し、焦燥しているのがなんとも滑稽である。こうなればシリンダーを替えるしかない。「仕事」用の水を入れていたシリンダーを「石巻/追悼/復興」用に使い、その他を適宜昇格/降格させて、仕事シリンダーを小さいものにすれば、充足感なるものはある程度ゴマかせる。

そもそも「57歳になるのだから、仕事の優先順位をそこまで高く設定しなくていいじゃないか」というのが石巻に帰る際の言い訳だった。石巻で受けた面接でも「第一線で働くのは若い人に任せて、われわれ年長者はバックアップに回ればよい」と言ってしまった。そこはちょっと甘かったようで、代表からは「若い人と同じように働け」とばかりに仕事がガンガンおりてくる。

いま困っている悪いクセは、たとえば東京から来たマスコミの人に会うと、今の地味な名刺を渡しつつ「実は3月まで東京で出版社に勤めておりまして」と余計なことを言ってしまうことだ。
「へー、どちらに?」
「○○書房です」
「えー、すごいですね。なぜ石巻に?」
てな会話が、たいてい始まる。自分の印象が強まることは確かだが、なぜそれを言わなければいけない? どこかで「石巻でこんなつまらない仕事してますが、本当はそんな人間じゃないんです」とでも言いたいのか? 高校生のときに「こんな町じゃ夢は追えない」と吐き捨てた本音が、いまもオレの舌先にビリビリと残っている。56歳でUターンしたのも「この町なら、ちょっとレベルを下げれば働き口はあるだろう」という目算があってこそ。石巻の人も「(東京の出版社を辞めたなんて)もったいない」とよく言う。「こんな町」は割と共通認識だったりする。

いやいや、そんなことを言いたいわけじゃない。容器に水をためるイメージがそのまま「生きる」ことには当てはまらない。シリンダーとかバケツとか言ってる前に、まず動け。東京のマスコミ人に嫉妬している暇があったら、石巻でしかできないことを率先してやれ。東京と比べたりするな。石巻を、真剣に、生きろ。