備忘録 10 からっぽのハートの衝撃

平原綾香の「からっぽのハート(An Empty heart)〜with friends〜」Official MVをYouTubeで聴いた。見たのではなく、聴いたのだ。サクソフォンによる長い前奏に違和感を感じたが、出だしの「お願い息を吸って」を聴いて、引き込まれた。平原綾香って、こんな歌い方する歌手だったっけ?そう思った。感情のこもった歌い方を不思議に思って、ネット上でこの曲の背景を調べた。

「からっぽのハート]は、2023年9月に発表した20周年アニバーサリーアルバムの最後の曲で、2021年11月に69歳で亡くなった平原綾香の父親「平原まこと氏」 へのレクイエムだった。歌詞の最初の部分の「お願い、息を吸って」は、実際に、父親が最期になくなる瞬間まで、彼女が父親に声をかけていた言葉そのものと、平原綾香さんがコメントしている。その言葉以外も、歌詞のすべてが、父親に対する思いが言葉になって刻まれていて、「本当にプライベートなものを書いた」という本人の言葉通り、平原綾香さんでなければ書けないし、彼女でなければ、ここまで感情を込めて歌えないと思わせました。

事情を知って聴くと、なんともせつなくて、「音楽って、こんなにプライベートなものだったのだ。」と初めて知りました。そういえば、生後8日で亡くなった長女を歌ったという説がある野口雨情作詞の童謡「シャボン玉」もプライベートな曲だったのかもしれない。世の中にはもっと沢山そのようなプライベートな曲があるのかもしれないと思い始めた。例えば、そのようなプライベートな曲を何もしらない他人がカバーした場合、とても上手に歌えたとしても、本当にその歌を歌ったことになるのだろうか?

クラシックの演奏でも、作曲者の意図などはっきり分からないので、楽譜とその時代の背景や演奏手法を研究して、演奏することが多い。しかし、「からっぽのハート」を聴いてからは、音楽とは何か?音楽とどのように向き合えば良いのか戸惑いを覚えている。もちろん、小説でも、アニメでもそうなのかもしれない。著者の意図を超えて、社会では、様々な受け入れ方をしている。それはそれで、必然なのかもしれない。しかし、そのような感慨を覚えるほど、「空っぽのハート」との出会いは衝撃的だった。この一週間、この曲を何度聞いたかわからない。

不思議なことに、20周年アニバーサリーアルバムに収録された「空っぽのハート」は、上記に述べたような感慨を私に与えてはくれない。おそらく、アルバムの曲全体のトーンを統一するために、一定の音量、ダイナミズムに調整しているのだろう。歌い方が、Jupiterなどのこれまでの平原綾香の標準的歌い方でアルバムに収録されているのである。YouTubeの「からっぽのハート(An Empty heart)〜with friends〜」だけが、私に衝撃を与えてくれているのだ。何回聴いても同じである。このYouTubeでの歌い方は繊細で、感情が非常に籠もっていて、心に直接突き刺さる。「わたしはいつか あなたのような人と結婚します」とそばで泣いた。。。という歌詞は、それじゃあ、結婚できないじゃん。。。とツッコミを入れたくなった。愛が深すぎるのである。最後にくり返す「おかしいな まだ あきらめられないのは なぜ」は、父親が亡くなってから2年ほど経過した時点での偽らざる心境なのだろう。愛しい人が亡くなったすべての人に共通する感覚だろう。そして、それ故に、平原綾香は、このプライベートな曲を世に問うたのだと思う。

父親の「平原まこと」氏は、有名なサクソフォン奏者で、平原綾香も音楽大学でジャズサックス専攻だった。姉も歌手/サックス奏者である。音楽一家で、しかも、みんな同じ楽器を演奏していることに驚きを覚える。私の子どもたちは、私と同じ専門を学ぼうなんてこれっぽっちも思ってなかった。そう思うと、平原家はびっくらぽんである。ましてや、こんな素敵な曲を娘が贈ってくれるなんて、なんて幸せな人だろう。いや、それだけ素敵な父親だったのだろう。平原まこと氏が亡くなった年齢に私もなった。これから良い父親を演じたら、こんな曲を贈ってくれるかな?無理だとうな。せめて、これまでの父親業を詫びて、よい爺さんになろうかな?無理かもしれないが。。。