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しほちゃんは、ういている#総集編

400字原稿用紙換算で「枚数35枚と7行」です

(1day)

2018年平成最期の夏がはじまる。

中間テストがおわった教室ではクラスメイト同士で、テストの答え合わせをする声が聞こえる。

「現国どうだった?」
「自己採点で60点」

ゆっくりと窓側の席をみると、透き通るような薄茶色い長い髪を気だるそうに触っている女の子がいる。

しほちゃんだ。

 彼女はトイレもお弁当も移動教室も、いつも一人でいく。笑っている顔をみたことがない。クラスのみんなが話かけても、返事はいつも単語だ。会話が長続きしない。コミュ症なのかもしれない。そんなことが続くようになってから、しほちゃんに話かける生徒はいなくなった。
 いつも、わたし達がお弁当を食べているグループに誘おうとしたら、しほちゃんは周囲に聞こえないようなか細い声で言った。
「みんなと一緒にいたら、あたしのミステリアスで孤独なブランディングが崩れちゃうからいい」
その言葉を聞いて心底驚いたが、彼女の哲学はとてもいいと思った。しほちゃんは今日もきれい。

(2day)

きょうの気温36度。金曜日の教室では女子達がMステの話をしている。

「原宿で玉森くんに遭遇しないかな」

 しほちゃんは、教室で誰ともしゃべらない。ずっとスマホをいじっている。わたしはその仕草をそっと見ていた。彼女のTwitterアカウントは、いつも荒れている。しほちゃんはインターネットでからんでくる、見ず知らずのひとに対して華麗にスルーする。いつだったか、土用の丑の日に彼女がうなぎが食べたいと呟いていたら「あなたは鰻を絶滅するまで食べるつもりか?」のクソリプに対して一切反応しない。なにごともなかったかのように、Twitterの更新をつづける。しほちゃんは無敵だ。今日の彼女は、ネクターのピンク色のジュースを飲んでいる。いつも誰も飲まないようなマイナーなジュースを愛用している。わたしもそのジュースをはじめて買ってみた。桃の缶詰の汁をのんでいるような、あまったるい味が口の中に広がった。熱の回った体が急速に冷えていく感じが、たまらない。

(3day)

 しほちゃんは、落ちているものを拾うのがすきだ。じぶんが拾ったものをインスタにアップしている。セミの抜け殻。きらきら光る外国のコイン。安物の百円ライター。東京の街はいろんなものが落ちている。
 放課後に拾ったライターで火をつけて彼女が遊んでいると、大きな声で生徒を威嚇する体育教師に見つかり、どこかに連れて行かれた。胸の奥のあたりがヒリヒリする。悪い予感がして、わたしは急いで二人の後を走って追いかけた。
 学校の中庭で体育教師は彼女がタバコを吸っているとおもい、きつく問い詰めた。しほちゃんは、何処か遠くを見つめ弁明しなかった。わたしは、彼女が学校のゴミ拾いをしておりライターを拾ったのを見たと嘘をついた。体育教師は腕を組み「もう行っていいと」と話した。ライターは没収された。わたしと彼女は、無言で中庭をあるいた。あおあおと茂らせた木がゆれている。
しほちゃんが静かに呟いた。

「声おおきい人嫌い」
「…そうだね」
「あいつと喋りたくない」

笑いが自然にこみ上げてくる。しほちゃんも笑っている。はじめて彼女の笑顔をみた。カールした睫毛がとてもきれいで、わたしは見惚れていた。

(4day)

 この間、夏休みに入る前の全校集会を蒸し暑い体育館でやった。制服の袖をまくり、ネクタイをゆるめても汗がタラタラと落ちる。うちわ禁止とかありえない。赤い透明な下敷きであおいでいたら、眼鏡をかけた先生に没収された。むかつく。私達は繊細なんだよ。今時エアコン無しとか、しねと言っているようなものだろう。
校長先生の話は、熱中症に気をつけましょうの話を三十分かけてじっくりと話した。どうせなら、YouTubeに上げといてほしい。わたしは絶対みない。
途中で気分の悪くなる生徒もいた。
 その中に彼女もいた。夏の体育館はサウナのように暑い。ゆだんしていると意識が遠のく。白衣を羽織った若い女の先生に肩をつかまれて、しほちゃんは色白肌に青色の絵の具を足したような顔色をして、保健室に連れられていった。彼女がいなくなっても、校長先生の話はおわらない。拷問はつづく。校長先生の話は「…では最後になりますが」の後が異様に長い。わたしは心の中で、時をかける少女のセリフである「タイムリープしてね?」を何度もつぶやきやり過ごした。
 ようやく解放されて、保健室にしほちゃんのようすを見に行った。エアコンの効いた真っ白なベッドで、しほちゃんはすやすやと眠っていた。

(5day)

 きょうの気温36度。わたしは制服から財布をとりだし、近くのコンビニにアイスを買いにいった。太陽が肌をじりじりと攻撃する。コンビニまでの道のりがまるで修行のようだ。每日救急車を見かける。熱中症で搬送された人だろうか。アイスがおいてある冷凍庫のしろい冷気がうでにあたり、ひんやりとする。このまま頭をいれてしまいたい衝動にかられた。冷凍庫の中は色とりどりのアイスがひきめしあって、花壇のように整頓されていた。
 コンビニのレジをみると、しほちゃんがコンビニ限定のいちごフラッペを買っている。いちごフラッペは、値段が三百円もする。高級品だ。この値段のアイスを買うのは勇気がいる。わたしが普段たべている、ガリガリ君のソーダ味のアイスならゆうに三本は買える。彼女はセレブだ。
 いちごフラッペは一体どんな味がするのだろう?わたしは気になって、いちごフラッペのアイスの裏面をみた。いちごの果肉がびっしりと詰まっているかき氷のようにおもえた。その艶やかな色彩は、とても食べ物にみえなかった。いちごの鮮烈なあかは、わたしの脳髄を直撃した。舌が合成着色料で真っ赤になりそうだ。インスタばえしそう。しかも、このいちごフラッペは、わたしが愛してるガリガリ君をつくっている会社と同じだった。なんとなく、愉快なきもちになった。
さんざん迷ったあげく、わたしはいつものガリガリ君のソーダ味をレジの前に持っていった。

(6day)

 しほちゃんは水にいる生き物がすき。学校では、水族館で買ったクラゲのクリアファイルをいつも大切につかっている。通学用のカバンにはダイオウグソクムシの大きなぬいぐるみをぶら下げている。お気に入りのポケモンはヒトデ型のポケモンのスターミーだ。ポケモンGOでは水ポケモンだけにこだわって、集めていた。日曜にテレ東で放送している「池の水全部抜く」は録画してかかさず見ている。将来はこの番組の女性アシスタントになって外来種を驅逐すると意気込んでいた。
 夏休みになり彼女は今、ザリガニ釣りにいっている。タコ糸にスルメイカをつけて、すきな音楽を聞きながら、釣りを楽しんでいる。
 暗く濁った用水路に餌つきのタコ糸を垂らし、狩りがうまくいくことを祈願して彼女はなぞの踊りをおどった。その踊りの動画をインスタのストーリーでみた。動画からは、あちこちで鳴き続ける虫の声が聞こえる。そのへたくそな踊りをみてわたしは思わず、声をだして笑ってしまった。
インスタのストーリーは配信終了後に消えてなくなってしまう。一瞬の煌めき。裏技をつかって動画を保存する気には、なれない。いつか消えてしまうものを、慈しむ心を大切にしたい。それでも、わたしは真夏のよく晴れた日におどっていた、しほちゃんのことは一生わすれない。

(7day)

 東京の街では、オリンピックのポスターがふえてきた。むかし、アキラの漫画でみた東京オリンピック2020はすぐそこだ。あまり実感がわかない。
 夏のギラギラした太陽がアスファルトに降りそそぐ。陽射しに敏感な彼女は外出する時、パリス・ヒルトンみたいなサングラスをかけている。なぜなら、空を直視するとそのうつくしさに泣いちゃうからだ。いちいち空を見て泣いていては身が持たない。ふつうに生活できない。あおく澄んだ空を見ていると、満ちた気持ちになる。なにも食べなくていい。しほちゃんは空を見るのがすきだ。彼女のインスタはあおぞらの写真がおおい。

「#とうきょうそら」

 わたしから見たら、どれも同じだが彼女には違ってみえるらしい。しほちゃん、ずっとそのままでいてね。

(8day)

 雲が照り返して銀色にひかっている。きょうは久しぶりに雨が降った。通学路には連日の猛暑で野良猫がぐったりしている。

「おーーい。ゆうさく」

 ゆうさくと呼ばれた黒が多いぶち猫が、しほちゃんにきづいた。彼女は猫のからだを撫でながら「あついね」「げんき」「ご飯たべてる?」と話しかける。通学路には何匹かの猫がたむろしている。街の住人が餌でもやっているのか。みな警戒心がない。人間がちかづいても、逃げようとしない。平和な世界だ。
 彼女は、すべての野良猫に名前をつけている。ゆうさく。みふね。たつや。ぶんた。まさむね。と強そう名を好む。しほちゃんのセンスは計り知れない。彼女は猫を心底あいしている。SNSのアイコンをすべて猫にするくらいの愛猫家だ。猫ずきは、どことなく本人も猫ににている。とらえどころがなくて眼が大きい。きまぐれで、追いかけると何処かへ行ってしまう。どこまでも自由だ。しほちゃんも追いかけたら、逃げるのだろうか。彼女がいなくなったら、わたしの生活から彩りがなくなってしまう。

しほちゃん。
しほちゃん。
猫目のしほちゃん(ΦωΦ)

(9day)

 東京の気温25度。台風12号がすぎたあとは涼しくなる。きょうは、エアコンがいらないくらいに過ごしやすい。そとにでると植木鉢や空き缶がころがっている。また今年も、破壊の季節がやってきた。
 彼女はお気に入りのブランドのレインコートをまとって、台風の日は外にでる。なぜなら、台風の日はフードを深くかぶっても誰にも怪しまれないし、顔を見られないから最高だ。レインコートは他人からの好奇な視線から彼女を守ってくれる。支えてくれる。たよれる相棒だ。
しほちゃんは顔をみられるのが、きらい。
 いつもは人で混んでいる商店街や映画館も、台風の日ばかりはお客さんがまったくいない。貸し切り状態だった。しかし、いま話題の「カメラを止めるな!」だけは台風の日でも連日満席だった。この映画は都内では池袋と新宿の2館でしか上映していなかったが、口コミやSNSが人気を呼び全国上映が決まった。制作費約三百万。撮影日数八日。無名の新人監督と役者だからできた映画のストーリーが反響をよんだ。
 スタバにむかうと、いつもなら席の窓際でMac Bookを持ち込んで、むづかい顔をし作業してる人たちが一人もいないので、殺伐としていない。本屋さんは立ち読みしているお客さんがふだんに比べて、すくない。気分がいい。店内でゆったりとした時間がながれる。JRの電車はガラガラで人気がない。まるで東京中の機能が停止したみたいだ。

(10day)

 しほちゃんが熱中症でたおれた。きょうは「ポケモンGO」のコミュニティデイ。数時間だけ、特定のポケモンが大量発生する日だ。駅前では、スマホを触っている多く人で賑わう。みんな伝説のポケモンを狙っている。彼女のお目当ては、この日限定のサングラスをかけているゼニガメだ。炎天下の中で水分補給もせずに、3時間以上も休憩もとらずに遊んでいたら、突然ぶっ倒れた。彼女はその後、救急車で搬送された。駅前の自動販売機を見ると、ポカリスエットやアクエリアスも、いろはすも全て売り切れになっていた。

しほちゃんは病室のベットでずっと白い天井をみていた。

 エアコンが効いてる室内にいるのに体温がまったく下がらない。頭痛がする。トイレに行くだけなのに眩暈がする。からだが、まったく自由にうごかない。彼女はじぶんを心底憎んだ。見知らぬ部屋。知っている人が誰もいない空間は彼女を憂鬱にさせ、心細くさせた。

何もする気がしない。

 しほちゃんは、気分転換のために売店に向かった。そこで果汁100%のりんごジュースを買った。病室までの道の茶色いベンチで休んでいると、大学生にナンパされた。

(11day)

 大学生の男はしほちゃんの隣に座った。汗くさい。襟がくたくたになったエルトン・ジョンのTシャツからはタバコの匂いがする。腕には青やピンク、黄色のカラフルなリストバンドを付けている。

「入院してんの?」

 しほちゃんは気だるそうに「熱中症」と答えた。大学生の男はその後も、なにかにつけて話しかけてくるので彼女は適当に「はい。うん。へえ。そうなんですか。」など相槌を繰り返した。そんなやりとりが暫く続いた。彼女は心の中で早く終わんないかなと願い続けた。

この時点でしほちゃんは、こいつの着てる服も匂いも声も顔も気の使い方も全部嫌いだと思った。

「HINDSて知っている?」

「…知らないです」

「この間のフジロックでHINDS初めて見たけどちょー盛り上がったよ。文化祭みたいだった。あとYOSIKIも来てフジロック!フジロック!てずっと叫んでた。あれ笑ったわ。くそ暑い中、みんな命削っててまじサイコーだった。ロッキンもサマソニも早く行きてえ。今度一緒にいく?」

「人混み苦手」

 大学生の男は、じぶんの財布からiTunesのカードを取り出してしほちゃんに渡した。

「これで聞きなよ」

「…いらない」

「あげる」

 無理やりiTunesカードを渡し、強引に彼女のLINE IDを交換すると大学生の男は「またね」と何処かへ行ってしまった。

(12day)

しほちゃんのiPhoneが震えている。

 知らないアドレスからのLINEがきた。TKっすと名乗った男はしほちゃんを病室の待合室でナンパした大学生だった。アイコンが顔写真だったから、すぐにわかった。待合室で嗅いだ「TK」のタバコの匂いを思いだし、彼女は憂鬱になった。日本人のくせに名前をアルファベットにしてんじゃねえ。ふざけんな、しね。くたばれ。小室哲哉きどりかと、しほちゃんは頭の中で何度もディスった。

 LINEは、今度遊び行こうとかそんな内容だった。しほちゃんは既読無視した。無視してもどんどんLINEがくる。

 焼き肉。カラオケ。映画。ボルダリングのできるラブホ。VRゲームセンター。インスタ映えのするカフェ。ラウンドワン。と誘ってきたが、どれもしほちゃんの興味をひく遊びはなかった。彼女は、こんな軽快な人間の思い通りになるようにはなりたくなかった。

しほちゃんは「TK」からもらった。iTunesカードで、百円のLINEのスタンプを1個買った。しばらくすると再びLINEがきた。

「死体みたくない?」

それを読んだ直後、しほちゃんは血の気がゆっくりと引いていくのを感じた。彼女は指を動かし、無心で文字を打ち続けた。

(13day) 

「TK」と遊ぶようになってから、俗的なことを避けていた彼女はふつうの高校生が遊ぶような場所に行くようになった。

しほちゃんは茶髪になった。

 この間、浴衣を着て「TK」とならんで歩くしほちゃんの姿をみた。商店街の夏祭りでイカ焼きを美味しそうに食べていた。とても綺麗だけど、なんか無理だった。彼女をすごく遠くに感じてしまう。しほちゃんは、浴衣を着て男と花火にいくような人間とはちがうと思っていた。彼女は世界と戦う、高潔なうつくしい精神を備えた女の子なのだ。

 ザリガニ釣りをしていた頃のしほちゃんはどこに消えてしまったのだろうか。インスタのストーリーで見た彼女は、私の夢だったのか。しほちゃんはわたしだけの特別だったのに、好まない変化をしてしまった。まるで彼女が死んでしまったみたいだ。こころが鮮やかな鋭利な刃物で切られたように、燃えるようにあつい。傷口はほっとくと、ぐちゅぐちゅして化膿する。なんとかしなければと思い、ノートを開き青色のペンで「TK」もしほちゃんもつまらない。くだらないと何度も書き殴った。軽蔑する。そう思い込むことで、じぶんを肯定しようとしたが、抑えれば抑えるほどに感情がこみ上げてくる。傷口にバンドエイドを貼るような音楽をきいたが、まるで響かない。涙がおちてノートに書いた文字のインクが滲んだ。

わたしが一番気持ち悪い。

(14day) 

 しほちゃんは堕落していた。「TK」はいろんな遊びに連れてくれた。そして美味しものを、何でもご馳走してくれる。イベントのバイトを何本も掛け持ちしていてお金があるそうだ。彼女は受け身の居心地のよさに溺れていた。昭和の文豪は堕落した姿が人間のあるべき姿なのだと語っていた。

 彼が死体を見せてくれると言ったあの日から、しほちゃんの中で何かが決定的に変わった。彼女の中にあった、どす黒い得体の知れないなにかは消えてしまった。「TK」の話によると近所で熱中症で、倒れた一人暮らしのおじいさんがそのまま亡くなったと聞いた。畳上には黒い染みがこびりついており、悪臭が漂い虫が這っている。身寄りのないおじいさんの荷物は、大家が手配した業者が住んでいた痕跡を残さずに清掃した。生前着ていた洋服や靴、雑誌、CD、電化製品が無慈悲に廃棄された。その話を聞いただけで、しほちゃんは具合が悪くなった。

 彼には年上やいろんな友人がいる。一番年配の友人は60歳くらいのアパート経営をしている男性だ。「TK」が社長と慕うこの男は千葉県に住んでおり、3〜4人ほど乗れる何千万円する大型のクルーザーを所有している。夏になると、社長の船でクルージングをするのが恒例となっている。「TK」はしほちゃんを連れて社長の船で夢の島まで遊びに行った。若者としゃべるが好きな社長は彼女をとても歓迎した。二人でならぶと、まるで孫のようだ。海の上には渋滞がない。スピードを上げると、水しぶきがキラキラと舞う。船の上から見上げると、空と太陽しかみえない。東京の街並みとちがい、視覚情報が少なく目が疲れない。ディズニーシーよりたのしく、落ちるかもしれないというスリルが彼女を興奮させた。

 夢の島に到着し、レストランで海の幸を食べながら「TK」はビールを飲んでいる。社長は茶色いサングラスをつけ、外の白色のベンチで日焼けしている。完全に金持ちの休日だ。ほろ酔い気分の「TK」がいい所があると言い、しほちゃんの手を引きドーム型の灰色の建物まで連れて行った。

(15day)

 しほちゃんが「TK」に連れられドーム型の建物に入ると、そこは熱帯植物館だった。園内には南国を思わせるような艶やかな植物が生い茂っている。真っ赤に咲いたサンタンカや、黄色く熟したマンゴーからは甘ったるい匂いがする。彼女の大好きな食中植物もたくさんある。

 しほちゃんは小学生の頃に学校で、ハエトリソウの中に虫を捕まえて入れたことがある。彼女には大きく刺々しい口をひらいたハエトリソウは獰猛な宇宙人のように見えた。虫を捕食する瞬間が見たくて、しほちゃんは日が暮れるのも忘れて夢中になって眺めていた。図書館で読んだ図鑑ではハエトリソウは捕食しなくても、水や光合成だけでも生きれるとあった。しかし、彼女の脳内では食中植物の体内に虫を入れるとつよい酸が吹き出し、虫を一瞬で溶かすものだと思っていたが実際はそうでもなかった。しばらく見ていても、虫が溶けることはなかった。彼女にとって、食中植物を見るのはそれ以来だった。

 あの頃とちがって、しほちゃんは虫を捕まえるようなことはしない。ハエトリソウの棘棘した葉を撫でるように指で愛でた。熱帯植物園の中はむせ返るように、蒸し暑い。このままずっとここで立っていると、世界と自分の境界があやふやになる。何で此処にいるんだろう。意識がぼんやりとする。「TK」がしほちゃんの腰に手を伸ばした。彼女は驚いて振り向くと、唇を塞がれた。彼の舌先が触れるとアイスクリームのように溶けてしまいそうだった。

(16day)

 真夏の日差しを浴びた、サンタンカのあかい花は優しさに満ちてた。

「TK」としほちゃんは寄り添いながら熱帯植物館を散策した。目にうつる全てが二人を祝福するかのように煌めいてた。きょうは園内にほかの客は見られない。まるで地上最後の楽園のようだった。その考えは彼女を愉快にさせた。たのしそうな、しほちゃんを見て「TK」もわらっている。

彼の携帯が鳴った。電話の相手は社長だった。

「そろそろ帰るか」

 その言葉を聞き、つかの間のバカンスも終わりだとしほちゃんは悟った。落胆した彼女を慰めるように「TK」はまた来ようねと囁いた。熱帯植物館をでて、社長の船に乗り込むと雲ひとつない暴力的な青空がどこまでも広がっていた。あまりの空の青さにショックを受けて、このまま死にたい気分だった。そして、そよそよと湿った海風が吹いている。ぬるい。あまりの不快さに彼女は裸になりたかった。船上からは高層ビルのシルエットがみえた。これから、またあの配色センスのない看板のひきめしあっている、排気ガスの匂いのする東京に戻るのだとおもうと憂鬱でたまらなかった。彼女はiPhoneをかざし空を撮り続けた。インスタに空の写真をアップロードした。すると、通信中のぐるぐるマークがずっと回っている。いつもよりも長い。エラーになったらどうしよう。その時、彼女はむかし教科書でよんだ芥川龍之介の一節を思い出した。

「幸福とは幸福を問題にしない時をいう」

(17day)

8月31日、それは滅びの呪文。

 口にしたら最後すべてが終わってしまう。今週は台風のせいで気圧の変動が激しく、しほちゃんの気分を腐敗させた。彼女はエアコンの温度を25度まで下げて、頭から毛布をすっぽりと被りiPhoneを弄り横になっていた。

学校に行きたくない。

 夏休みは自堕落な生活をした為、朝起きて電車に乗る事がとても尊いように思えた。起きただけで褒めてくれる、介助ロボットがほしい。ICカードをtouchする気力すらない。朝の満員電車は乗るだけで、体力を奪われる。まるで人の生き血を吸う魔物のようだ。それに電車遅延が加わると、乗客の怒りはMAXに達し車内には怒号や不穏な空気が漂う。その空気に耐えられる自信がまるでない。お腹が痛くなる。今までどうやって生きてきたんだろう。そんな疑問を無視するかのように、今日もオレンジ色の中央線は定刻どおりにやって来る。

 そんな時しほちゃんは必ず、すきな音楽のボリュームを全開にして心を閉ざしてやり過ごす。まもなく8月31日だ。やになっちゃう。

(18day)

 アスファルトは熱気を帯び、地面には蝉の死体が転がっている。残暑が思いの外に厳しい。最近、しほちゃんのお気に入りの野良猫のゆうさくを見かけない。夏の猫たちは涼しそうな場所を見つけて、潜んでる。駐車場の車の下や、電車の高架下や公園の茂みの中でじっとしている。彼女はそんな猫たちを愛している。普段なら人間が一定の距離に近づくと逃げ出す猫たちも、この暑さでぐったりとしている。動きにキレがない。彼女はゆうさくのために好物の猫ごはんをナチュラルローソンで買った。このキャットフードは国産で保存料・着色料を一切使用しないと謳っている。猫も健康を気にするのだろうか。
しほちゃんはビニール袋をぶら下げてゆうさくの名前を呼んだ。

 いつも見かける、通学路の狭い路地を見ても一匹もいなかった。地面を触ると熱が伝わってくる。こんな所を裸足で歩いたら、肉球がどうにかなってしまう。みんな何処に行ってしまったのだろう。夏の暑い間は猫たちは暑い東京を離れ、集団で避暑地で優雅に暮らしているのかもしれない。そんな事を考えたら自然と口元が緩んできた。結局、ナチュラルローソンで買った猫ごはんは開封せずに家に持ち帰った。猫ごはんのパッケージに口づけをし彼女はいつの日か、ゆうさくと見つめあった日のことを、ぼんやりと思い出した。しほちゃんは会えなくても、猫たちが元気ならいいよと空に願った。君のしあわせをおもう。

(19day)

空模様が怪しくなってきた。むんむんと湿った空気が充満している。ゲリラ豪雨が振りそうだ。しほちゃんはメルカリを眺めている。

 スマホを使って簡単に何でも売り買いができるこのフリマアプリ「メルカリ」では何でも売っている。夏の甲子園では秋田県の高校が100年ぶりに決勝に進出して話題となった。その後日、メルカリを覗くと「甲子園の砂」とついた名前の商品が売られていた。油性マジックで大きく甲子園の砂とラベルの貼られたガラス瓶には、なんの変哲のない砂が詰まっている。現在の価格¥5000円。彼女は歓喜した。甲子園球児たちの青春が売られている。反吐が出そう。それはまがい物かもしれないが、何でも商品になって売買ができる。値段がつけられる。そんな世界があると言うことは大きな発見であった。未知の惑星を見つけたような喜びがしほちゃんにはあった。

 メルカリのアプリから「甲子園」で検索すると、新しい商品が次々と表示された。野球ボール。シューズ。タオル。優勝メダル。ジャンパー。リストバンド。需要と供給のバランスでテレビで紹介されたものは、みんなが欲しがるため高い値段がつけられる。まるで株のようだ。彼女は出品者とのやりとりのコメントを見るが好きだった。XXXX円でどうですか?XXXX円にして下さい。それなら要らないです。了解しました。値引きの競争はまるで熾烈な戦いのようだ。ガチの戦いはずっと見ていられる。

翌朝、最近検索した「甲子園の砂」はほとんどが売り切れになっていた。

(20day) 

 きょうは学校の登校日。外に出ると夏の日が激しく照り返している。最寄り駅まで歩いただけで、額が汗で濡れている。しほちゃんはひさしぶりに制服を着た。彼女は制服を着るのがすきだ。じぶんの身分を説明する必要がない。見た目だけで高校生とカテゴリーされる。そのため、彼女は制服をきっちりと着ることに情熱を燃やしている。寝ぐせや、シャツの襟の曲がりがないか。袖のボタン。革靴の艶。鏡の前ですきがないか入念にチェックをする。うつくしく着こなした制服は彼女の脆さを際立たせた。家に帰るとすぐに制服を脱ぎ、いい匂いのする消臭プレーを吹き付けハンガーにかけて皺のならないようにした。一連の流れをこなすと、安心する。

 ひさしぶりの電車には、白いワイシャツを着た色彩のない服装の人達がぎゅうぎゅうに乗っている。電車の隅には部活のジャージを着た日焼け顔の中学生たちが集まっている。友達同士で「ぎゃははは」と笑っていた。耳障りだ。汗くさい。声も会話もすべてが許せなくなっていた。

-うるさい。

 彼女は午前中のホームルームの間、ずっと上の空だった。見慣れた灰色の校舎。それなのに、クラスメイトはどこか違う。蛍光灯のびっしりと埋め尽くされた教室を見渡すと、夏休み中に日焼けしたのか肌の浅黒くなっているものや、家から一切出なかったのか肌の白いものが混在している。しほちゃんはオセロみたいだと思った。ホームルームが終わり、みんなで一斉に下校した。その光景は蟻の行列のように続いていた。彼女はこの行列を指でぴんと弾いてみたかった。目の前の女の子は夏休み中に髪が伸びたのか、後ろで結い上げられるくらいになっている。

まもなく平成最後の夏がおわろうとしていた。

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