【 #わたしの旅行記 】因島88ヶ所お遍路、島のグルメレポ
旅って、何年経っても忘れない経験ができますよね。
【旅の概要】
【旅の目的】夢に見てうなされる程好きなポルノグラフィティの出身の島を訪れること
【お遍路の目的】特になし
【お遍路を選んだ理由】ただ島に遊びに行くのでは他のファンと同じなので違うことをしたかった。
【本当は87ヶ所しか廻っていない】
因島に行ったのは大学在学中だった。10月後半から11月の頭、ここなら休日と絡めて十日間授業を休んでも大丈夫だと思えるタイミングで計画的に休んだ。計画運休、最近はよく聞くではないか。その先駆けだった。
ただ彼らの過ごした島を訪れるのでは面白くないと思った私は、長い自作の秋休みを使って88ヶ所のお遍路をしようと考えた。
宿やレンタサイクルについて調べているうちに、島内に四国の88ヶ所遍路を模した札所があると知った。因島は狭い島だと聞いていたが、88ヶ所も札所を作れるほど広いらしい。
今は観光サイトに詳細な地図があるが、当時は個人サイトしかなかった。個人サイトに貼ってある、詳しいのか詳しくないのかよく分からない地図を印刷し、ノートに貼り付けて自分で地図を作成した。
印刷代がもったいないので大学のパソコン室で延々と印刷した。大学のパソコン室はモノクロ印刷しかできないようにケチんぼ学長が設定していたので、せっかくサイト主がカラーで『竹やぶの横の細い道を登る』と書いてくれている注釈もモノクロになってしまった。
この竹やぶの横の細い道は、竹がにょきにょき侵入していてもう道ではなくなっていたので途中で諦めた。先に言っておくが私は87ヶ所を廻った。竹やぶの妨害にあった58番仙遊寺は、地元の人によると年に一回、三月だけ竹が伐採されてお参りできるらしい。
因島では様々なことがあったので何個か印象的なエピソードを紹介したい。
【お弁当いる?】
遍路三日目、Googleマップもなくガラケーの私は道に迷った。紙の地図は現在地を教えてくれないので完全に迷子だった。
中庄(なかのしょう)のデイサービスか老人ホームに入り、道を聞いた。片手に雨でページがベロベロになったノートを持ち、遍路の札所はどこかと聞いてくる旅人(へんじん)はそのデイサービス史上初だったのだろう。
「お遍路してるんですか?」と聞かれた。向こう一週間ネタになりそうな変人を逃すものか、という気迫を感じた。
名古屋から来たこと、大学の休み(自作であることは伏せた)を使ってお遍路をしていること、この島には来るのが初めてだと話した。その場にいる職員が全員「そんな人会ったことない」とぽかんとしていた。
「今日会議があったんだけど、お弁当余ったからいる?」
「今夜は何食べるの?」
「みかんもあるけどいる?」
矢継ぎ早にメシの心配をされた。そして立派なお弁当とみかんを三つ頂いた。
道を聞いた帰りには両手に食料を携えていた。どんな物々交換やねん。
遍路の地図を拝借した個人サイトには確かに、お大師さんの日(三月)にお遍路をするとお堂を守っている地区の住民がお茶と菓子を用意し、いわゆるお接待をしてくれると書いてあったが、秋に来ても接待をして頂けた。接待というより「この大学生心配だわ」の方がニュアンスが近かったが、ありがたかった。
【勇者は みかん をもらった】
ある日、どう考えてもこの獣道の先に札所があるのだが、信じたくなかったので畑で作業をしていたご婦人に「札所ってこっちですか?」と聞いた事があった。
作業を中断してご婦人は教えてくれた。
「そっちであっとるよ。でもあんまり行く人がいないから汚いかも。研究されてる方なの?」
「大学生ではあるんですけど、研究はしてないです。趣味で廻ってます」
「そうなの?若いねぇ」
下の句が違う気がしたが黙って突っ立っていた。ご婦人は「ちょっと待ってて」と言い残し家に入って行った。私が大阪で見た事ないくらい広い一軒家だ。
戻ってきた彼女の手にはどっさりとみかんの入ったビニール袋が握られていた。
「こんなに!?」
「今みかんのシーズンやからたくさん採れるんよ。ちょっと青いやつもあるんだけどね、しばらく置いといたらええよ」
田熊(たくま)の宿に帰って数えてみると、13個も入っていた。その日から、帰るまでにみかん食べ食べゲームが始まった。みかんは話しかけた住人全員にもらえた。誇張していない、誇張していない。因島には私が知らないだけで、他府県から来た人にはみかんを押し付けるというルールがあるんだろう。まだ青いみかんもあったが、食べられないほどすっぱいというわけではなく、全てありがたく頂いた。
【畑の真ん中からコーヒーのお誘い】
札所の順番は気にせず、宿のある田熊や金山(かなやま)から適当に廻っていたので終盤に島の北側である大浜を廻っていた。今度は獣道ではないが、急勾配の山道を登り終え、ぜえはあ言いながら下っていたところで、畑にいるご婦人がこちらを見ていることに気づいた。変質者だと思われる前に挨拶をした。
「こんにちは」
「こんにちは。コーヒーでも飲んでいくー?」
坂の上にいる私と坂の下の畑にいる彼女。
「飲みまーす!ちょっと待っててくださいねー!」
と言いながら会うまでかなりの時間を要した。
最初の数日は雨だったが今はすっかり晴れている。カラッとした天気にコーヒーは最高の相棒だった。問題は私がコーヒーが苦手なところだった。言えない。この状況では言えない。
カラカラと音を立ててアイスコーヒーを持ってきた彼女にお礼を言った。「ガムシロはいる?ミルクは?」と聞かれたが、コーヒーを嗜まないのでそれらがいるのかも分からない。全部首を横に振った。あっているのか、これで。
親切なご婦人の前で「ブフォッ」と吐き出したら一生寝る前に思い出す恥ずかしい思い出になってしまう。電車で涎を垂らし制服に湖を作ったことのある私。これ以上恥ずかしい思い出を増やしてどうする。
ストレートで飲むコーヒーは苦くなく、さっぱりしていて美味しかった。私はこの日からコーヒーが飲めるようになった。遍路をするだけでこんなご利益があるとは。
大学生であり大阪出身ということを話すと、ご婦人は海を見つめながら言った。
「娘が大阪に出て行ったんよ。大学で出て行ってそこから全然帰って来ないわぁ」
「大阪、確かに若い人には魅力的かも」
「遠いもんね、ここ」
都会から遠くとも、どこからでも海が見渡せるこの島は素敵だと思う。でもごみごみした都会で育ったから、この島の凪いだ海を綺麗だと思うのかもしれない。この島で育っていたら、私は眠ることを知らない都会の方が好きになっていたかもしれない。
【ビギナーには発見できない島のおでん屋】
旅の終盤、土生(はぶ)の商店街にある松愛堂さんにお邪魔した。スーパーへ寄った際に見つけた。ポルノグラフィティのポスターが店頭に貼ってあり気になったのだ。
彼らのファンで、遍路をしていることを告げると「大変でしょ?すごいねぇ」と褒めてくれた。若いからやる気が変な方向に突っ走ってこうなったのだが、素直に褒め言葉を受け取ることにした。
札所の前の大きな蜘蛛の巣に引っかかったり、猪がいるのではと恐る恐る山道を進んだりする内に何度も
「え?もうやめにしない?今日の仕事、ほぼ蜘蛛退治じゃん」
と後悔していたが、少し救われた。
お菓子屋の店長さんは例によって「夕飯は何を食べるのか」とこの島の島民全員が口にする疑問を尋ね、当てのない私はもごもごと口ごもった。
すると、商店街の中におでん屋があるから好きなのを選びなさい、私が買ってあげる、とおでん屋へ連れて行ってくれた。
私がさっき散策した時はおでん屋なんてなかったと思うのだが、よく見ると確かに店頭に鍋が置かれていた。金色の凹んだ鍋におでんがぎゅうぎゅうに詰まっていた。遍路の後でお腹が空いていたので、出汁のいい匂いを嗅いだ私は倒れそうになった。
店長さんと仲良くなったので私は連絡先を交換し、遍路が終わればまたお店に寄ることを約束した。このお店には数年後も、別件で訪れる。
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以上、わたしの旅行記とわたしの著書の宣伝でした。
”ラストライブ”の中でも因島の旅の記録は異色で、それ故に多くの人に読んでもらいたいと考えていたのでこのような企画があり大変ありがたかったです。
どんな世田谷自然食品よりも私の活力になります。