「レビ人の上に手を置く」民数記8章9章~ちょびっと聖書  a little Bible

12/16(金)

<気づき>
民数記8章

・10そして、レビ人を主の御前に進ませ、イスラエルの人々はレビ人の上に手を置く。 11次に、アロンはイスラエルの人々の奉納物として、レビ人を主の御前に差し出して主に仕える者とする。 12レビ人は雄牛の頭に手を置く。アロンは、一頭を贖罪の献げ物として、他の一頭を焼き尽くす献げ物として主にささげて、レビ人のために罪を贖う儀式を行う。
・14レビ人をイスラエルの人々から区別すると、レビ人はわたしのものとなる。

 イスラエルの人々はレビ人に手を置き、神への奉納物とした。さらにレビ人は、雄牛に手を置き、贖罪のささげもの・焼き尽くすささげものとしている。身代わりという発想がここにあり、私たちの罪の身代わりになったイエス様の原型がここにあります。同時に、贖われた者たちは主のものであることを改めて確認しました。

民数記9章
・10イスラエルの人々に言いなさい。
あなたたち、もしくはあなたたちの子孫のうちで、死体に触れて汚れている者、あるいは遠く旅に出ている者も、主の過越祭を祝うことができる。 11第二の月の十四日の夕暮れにそれを祝い、酵母を入れないパンと苦菜を添えてそのいけにえを食べなさい。
・14あなたたちのもとに寄留する者が、主のために過越祭を祝おうとするならば、過越祭の掟と法に従って祝わねばならない。この掟は寄留者に対しても、その土地に生まれた者に対しても、あなたたちに等しく適用される。
・16いつもこのようであって、雲は幕屋を覆い、夜は燃える火のように見えた。 17この雲が天幕を離れて昇ると、それと共にイスラエルの人々は旅立ち、雲が一つの場所にとどまると、そこに宿営した。

 過越祭を祝うことと、ささげものをすることは、イスラエルの人と、そこに寄留している者に求められている。また、幕屋の上に臨在の雲がいつも覆い、その雲ととともにイスラエルの民は移動した。

<祈り>
・すべてのものの長子は神様のものである。そして、その長子を神様にささげることによって、民が神様に受け入れられる。これは、私たちの罪のために十字架についてくださったイエス様と私たちの関係と同じです。今日、私たちは自分の正しさではなく、長子であるイエス様が罪の犠牲になってくださったために、神様に受け入れられていることを感謝します。過越の祭りがイスラエルで厳格であることは、この神によって贖われた民であることを自覚するために、あったのかもしれません。聖霊様、今日も聖書から神様の御心を受け取れるように導いてください。

~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
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