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「皆ガリラヤの人ではないか」使徒言行録 2章3章~ちょびっと聖書

<祈り>
 今日も天のお父様、イエス様、聖霊様の交わりの中に生きられることを感謝します。使徒言行録に入り、聖霊様によって人が変えられ、足萎えがいやされています。私たちは、イエスキリストが父なる神に信頼していたように、イエスキリストに絶大の信頼をおいて歩むことができることを感謝します。私たちの信仰は、自分の信仰ではなく、キリストが父なる神を信じた信仰であることを感謝します。私たちが行くところで、神様の手紙としての役割を果たすことができるように導いてください。
 今日、ちょびっと聖書をご覧になった方に、神様の祝福がありますように。イエス様のお名前でお祈りします。

<気づき>
使徒言行録 2章
・7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
 神の神殿のあるエルサレムでガリラヤの人々が、様々な言葉で話し始めた。暗闇に住む民が聖霊を受けて、変えられたというのがこの場面。この尋常じゃない状況を、ペトロは預言者ヨエルを通して言われていたことが今、ここで起こっていますと語っています。
聖霊が下ると、人は変わる。このペトロ自信も、イエス様を3度知らないと言って、十字架につけられてから漁師に戻っていた弟子のひとりです。

・37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。 38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
 神から遣わされた方を自分たちが十字架につけてしまったことを知って、人々は混乱します。
「わたしたちはどうしたらよいのですか」
これが、信仰へ踏み出すきっかけのように思います。
ペトロは、イエス様と神様の関係、そしてイエス様と自分たちの関係を明らかにしたときに、人々の悔い改めが沸き起こったように思います。

・42彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
 キリスト者の生活は、シンプルにこの姿に立ち返って良いように思いました。


使徒言行録 3章
・3彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。 4ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
 「見る」ことが、ここの鍵です。
足の萎えた人に、ペトロとヨハネは見えていたはずですが、
あらためて「わたしたちを見なさい」とは、何を見よとかたっているのでしょうか。「私たちのように、聖霊に用いられた人間が立ち上がっている姿を見なさい。あなたも、見たとおりになる」と語っているように思います。
見るとは、ありたい姿をつかむことなのかもしれません。アブラハムも、天の星を見上げて数えたように・・・。

・ 16あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。
 「癒し主」というイエスキリストの名前によって、この人がいやされています。私たちには、イエスキリストの名前が与えられていることを感謝します。

・26それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」
 私たちが人々の前で、神様を証しする時、それは神様から遣わされたことを伝える時です。神様の手紙として、神様の祝福を届けるのがキリストの体の役割ですね。


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