「いぶき」第24号鑑賞 —代表作品—

私の所属している結社「いぶき」の結社誌24号が5月1日に刊行された。
「いぶき」は、中岡毅雄代表と今井豊代表の二人による両代表制を採っている。結社誌は季刊であり、年に4回刊行されるが、毎号巻頭には両代表の作品10句が掲載されている。
中岡代表の作品は「紺碧抄」と名付けられ、今井代表の作品は「臘扇抄」と名付けられている。


ここでは、その両代表による計20句から、とりわけ目を引いた句を鑑賞させていただく。

大いなる巌の濡れゐる実朝忌     中岡毅雄

「実朝忌」はかく詠むべしと、手本を見せてくれるような一句だ。「濡れゐる」が実朝にふさわしい優美さとしめやかさを醸しつつ、その一方で「大いなる巌」が鎌倉武士の烈しさを象徴するよう。
「巌」は「イワオ」ではなく「イワ」と読ませるのだろう。もしも「岩」であったら趣がだいぶ違っていたにちがいない。「実朝忌」に見合うのはやはり「巌」なのだと思う。

涅槃図の猫涅槃図の前の猫     今井豊

趣は大きく異なるが、飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」と同じように、名詞と助詞のみで構成されている句。節が七・五・五であることも共通している。

なお、涅槃図には猫が描かれないのだという話があるそうだ。釈迦入滅のときに、釈迦の母摩耶夫人が薬を投じようとしたが、木にひっかかってしまった。それを鼠が取りに行こうとしたが、猫が邪魔して失敗に終わったという。それが発端で猫は忌み嫌われ、涅槃図には描かれない、そんな話があるのだとか。
ただ、だからといって、猫の描かれている涅槃図が全く存在しないということではない。

掲句は、聖と俗の二界の猫を並べている。
それを滑稽な様を詠んでいるとか、可愛らしい景だと受けとることもできるだろうが、私は聖と俗、観念と現実、精神と肉体といった、二つの領域の狭間を垣間見ようとする観想的な句と読んでみたい。


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