夢①

どうもやまMOCOです。

突然ですが、皆さんには夢はありますか?

夢を持っている人はぜひ読んでいただきたいです。私が諦めてしまった夢を。


諦めないでください。


どんなに困難な道でも。




私は高校1年生の時までプロ野球選手になるのが夢でした。相変わらず、バカな夢をみていたと思います。

1年生の時、顧問にその夢を言いました。

鼻で笑われた。

なれるわけないだろ、そんなことを言われた気がしました。まあ、こんな弱小校に入ればそうなりますよね。

その時は、怒りの反骨心でなんとか持ち直し、1年生ですがサードのスタメンを奪いました。

弱小校の万年1回戦敗退の学校ではありましたが、母は喜んでくれました。嬉しかった。

当時、母と小中学校不登校の兄、高校から不登校の姉の4人で生活していました。父は当時、単身赴任で滅多に家に帰ってくることはありませんでした。

今思うと、母は私なんかに期待していてくれてたのかもしれません。

大会のスタメンで出た時、うちの母が

『父母会の人があいつ誰だ?って言ってたよ!』

と嬉しそうに言ってくれたことが、凄く印象的でした。その時はちょうど思春期真っ只中だったので、『ヘェ〜』と塩対応。

ごめんねおっかー。




事件が起きたのは、夏の合宿中。

その日、いつも通りサードの守備位置につき、バッティング練習の最中でした。

強烈なゴロが、イレギュラーし私の右目に直撃しうしろに吹っ飛びました。

あまりその時の記憶が無いのですが(恐らく軽い脳震盪を起こしていたんだと思う)、いつの間にか母に連れられ眼科にいたのを覚えています。

眼科の先生に診ていただき、一時的に視力が低下すると言われたのですが、右目は特に問題ありませんでした。が…

左目に遺伝性の腫瘍が発見されました。


もし、左目に強い衝撃を受けていたら網膜剥離になってしまう。そう言われ、私は小学校からの夢が崩れ去るような感覚に陥りました。

一度は、立ち直ろうと試みましたが、

自分に向かってくる打球を見ると、身体が動けなくなるんです。


イップスです。


この状態ではまともに野球が出来ない。

徐々に、部活には参加しなくなります。

そして、強制退部。

私の夢は、1回の怪我でズタボロになってしまいました。

当時の学校は、部活動をやっていないといけない校則がありました(今思えば、そんなに強制してなんの意味があるのかわかりません)。

私が選んだのは、『登山部』

その名の通り、山に登る部活動です。

一応大会もあるんですよ(笑)

この部活がとにかくキツく、ひたすら下半身トレーニング。土日になると、山のキャンプ場に泊まり込み&早朝登山。

よくやってたなと思います(笑)

その部活を2年生の夏までやってました。

そして、私にとっての転機が訪れます。




当時、私の兄は定時制の高校に通っていました。

小中不登校だった兄ですが、6年かけ、無事高校を卒業。自分ごとのよう嬉しかったです。

車の免許を持っていた兄は、アルバイトをしながら、夜間の授業を受けていました。

そんな兄に、

『バッティングセンター行くぞ』

と、誘われたというか、半強制的に連行されました(笑)昔から、兄と姉には逆らえないのです。ちなみに、兄は野球経験がありません。


約1年間バットを握っていなかった私。

楽しそうにバッティングゲージでプロ野球選手のモノマネをしている兄。

恐らく、その時私達は対照的だったと思います。

空振りする兄の様子を、ボーっと眺めていると、

一枚コインを手渡されました。

お互い、積極的に会話をするタイプではないですが、大体言いたいことはわかります。

『いいよ。やらない』
そんな意地を張りましたが、

やはり、兄には逆らえません。


本当は私自身気づいていたんです。

兄が私を元気付けようとしていたことを。


1年越しの私の打席は、

見事に空振りでした。


帰りの車の中で、私は兄に気づかれないように泣きました。

その次の日から、私は学校に行くのをやめました。

このまま目標も無いまま、終わりたくなかったのです。

母には一言だけ、

『野球がやりたいから学校辞める』

そう伝えました。

その時、初めて母が号泣していました。
いつも、気丈に振る舞っていた母の感情が爆発したのが見えました。

なぜ、泣いていたのかは私自身わかりません。

もしかしたら、ようやく殻を破った息子に感動したのかもしれません(笑)

単身赴任中だった父も、無理矢理帰ってきてくれて、

『本当にいいんだな?』

と、聞いてきます。

『これで、俺のワガママは最後にする』

その後の会話は覚えていません。

というか、会話は無かったかもしれません。

無言でがんばれと言っていた気がしました。



早く野球がやりたい。

早く野球がやりたい。

早く野球がやりたい。

その一心で、毎日バットを振り、

バイト代が入ったらバッティングセンターに連れて行ってもらい、その時に備えました。

硬式野球で甲子園、プロ野球選手の夢は、怪我で諦めましたが、

まだ、『軟式野球』の道がある。

甲子園の大会で熱狂している時、

東京の神宮球場では、別の『甲子園』が開催されている。テレビ中継などはないので知らない人が大半だと思います。

全国の定時制高校野球部による、

『全国大会』

私が目指したのはその大会でした。


地元の高校の担任と、学年主任の先生には気に入られていたようで、1年生時に取得した単位を持った『転入』という扱いで手続きを続けてくれました。

私が選んだのは、兄と同じ高校。無事に転入試験も合格し、4月から新たな高校へ行きます。
私の転入と同時に、兄は卒業だったので、学校生活が被ることはありませんでした。


定時制高校の授業は、普通の高校とは違く自分自身で何限目になんの授業を受けるか選択するものになっている。

私は、3限目から6限目の4時間のみを選択し、3年間通うことを決めた。…全ては諦めた高校野球を取り戻すために。

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https://note.com/yamamoco/n/n2a99ef60088b

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