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楽しい観察調査 アンケートやインタビューにない学びについて -観察調査の難しさ-

観察調査のハードル

前回、観察調査がレアであると記載しました。

マーケティングリサーチが意思決定支援の手法であることを考慮しますと、つまり観察調査が意思決定に使いづらい、ということかと思います。

なぜでしょうか。

おそらく、観察調査の「対象者には原則的に非関与を貫く」という手法上の特性からもたらされる、独特の難しさがあるためでしょう。
(「原則的に」なので関与する場合もあります)

対象者に非関与ということは、こちらから質問ができないということです。
この点がアンケートやインタビューとは決定的に異なります。

このことは、大きくふたつのハードルをもたらします。

・そもそも、気づきを得にくい
・気づきを得られても、意思決定者からは客観性に乏しく見える

インタビュー調査の特性・質問による深堀

観察調査の前に、まずインタビュー調査の特性をおさらいします。

インタビュー調査も観察調査(定量化を目的とするものは除く)も、得られる成果は「気づき」「発見」「ひらめき」といったものです。

しかし、インタビュー調査と観察調査では、その得方が違います。

そこで、インタビュー調査と観察調査を対比してみます。観察調査の特性や難しさを理解しやすくなるでしょう。

インタビュー調査では、対象者の発言をヒントにして「気づき」を得ます。

質問:○○というサービスは好きか嫌いか
回答:好きである
質問:その理由は何か
回答:□□である
質問:□□を、ふだんの生活で意識する時はあるか
回答:そういえば…

このように、対象者の意思を起点にした深堀をすることが容易です。

これはある事象に対して、それに関連する事象にも話題を広げて確認しながら、異なる角度や深度の回答が得られることを意味します。

もう少し砕けた言い方をしますと、インタビューでは前の話題と今の話題に適度な繋がりを持たせつつ、話題ごとに異なるデータを回収できる、ということです。

そのような広がりと深みのあるデータの獲得がリッチな分析に繋がり、結果的に「気づき」を容易にします。

いまの回答とさっきの回答には一見、矛盾がある

その矛盾を解消できる、隠れた要因があると判断する

先ほどの回答から、その隠れた要因は○○と洞察する

○○について質問する

さらに別の回答が得られる

分析の材料が増える

インタビューではこのような流れで「気づき」を探すことができますね。

観察調査は、そもそも気づきを得にくい

インタビュー調査の特性を踏まえた上で、観察調査を見ていきましょう。

観察調査のデータは以下のような取り方になります。大きく分けて二種類です。

「地点」を固定してその場にとどまり、複数の人を観察する
「人」を固定してその人にあわせて移動し、そのひとりを観察する

それぞれ、気づきを得るのに難しさがあります。

【地点を固定する】
「地点を固定する」とは、いわゆる「定点観測」です。
予め定めた観察ポイントを通過する対象者の動きを観測します。その観察ポイントは、自社製品との接点に固定されることが多いです。

これが難しいのは、いろいろな人が延々と同じことを繰り返しているようにしか見えなかったり、逆にいろいろな人の共通項がまったく見えなかったりするためです。

交通調査で、同じところに立って目の前の道を見るとき、どの通行人も同じように歩いているようにしか見えない。
あるいは、小売店で定点観測していて、文具を買う人と食品を買う人と何も買わない人との共通項がわからない。

そして、その人たちには質問ができない。分析の材料は、本当にその目の前で起きていることだけ。
インタビュー調査と異なり「なぜ」を聞くことはできません。
分析に行き詰まったときに、その手がかりとなる「程よく関連性のある事項」を入手することが難しいのです。

【人を固定する】
一方で「人を固定する」場合、その人にどこまでもついていき、同じ人を長い時間かけて観察することになります(それを複数の人で繰り返します)。

とはいっても行動全てを一気に観察対象にするのではなく、まずは自社製品と接点を持っているところをスタートポイントにします。
そこを時間的・行動的中心にして、同心円を広げるようにその人の観察範囲を増やしていくのがベーシックなやり方と思います(自社製品との接点だけにとどめる場合は、ユーザビリティのリサーチに近くなっていきます)。

観察範囲を増やすのは、自社製品との接点に繋がる行動を見つけるためです。それがわかれば、接点づくりの再現性が得られます。

ただ、それを「見出す」ことが難しい。

一見して自社製品と関係なさそうな行動からも、それとの接点に繋がる何かがあることは往々にしてありますし、その逆もあります。

名著「ジョブ理論」にはミルクシェイクの例があります(もはや有名すぎるかもしれません)。

書籍では複数顧客へのインタビューによって「ミルクシェイク」と「長時間の運転」との関係性(仕事場に着くまでに目を覚まさせてくれて、時間をつぶさせてほしい)を見抜いたことが示唆されています。

その関係性を観察だけで見抜かなければならない、と考えてみてください。

その人は長時間の運転だけではなく、いろいろなことを一日にしています。朝だけに限っても起床から朝食、出社までにとる行動は様々です。昨日の夜のことも思考の範囲に入れなければいけないかもしれません。

そこから、ミルクシェイクに関係性のあるものとして「長時間の運転」に目をつけなければならないのです。
繰り返しますが「インタビュー抜きで」です。

自社製品と関係性があることに気づき、適切に見出す難しさをご理解いただけると思います。

観察調査から気づきを得られても、意思決定者からは客観性に乏しく見える

さて、そんな困難をクリアして「気づき」をなんとか得られたとしましょう。
ここからもうひとつハードルがあります。

あくまでも私個人の経験ですが、意思決定者にとっては、観察調査の結果が客観性に乏しく見えることがあります。
調査結果が「リサーチャーの主観」と思われる、ということです。

インタビュー調査には「対象者の声」という成果物があります。
それが真実であるかはともかく、意思決定者からすると「対象者(≒顧客)からの声があった」というのは、ひとつの拠り所にはなるでしょう。

しかし、観察調査にはそれがありません。
観察調査は、基本的には顧客の行動を一方的にリサーチャーが解釈するものです。
いかに優れた洞察とはいえ、それがリサーチャーの主観であると言われれば、それはその通りです。「顧客がそう言ったわけじゃないのでは?」と言われれば、肯定するほかありません。

「主観に価値がなく客観に価値がある」という主張には、私は全く同意しません。しかし、組織の意思決定において「客観性に乏しい」と思われれば、活用のハードルは高くなるでしょう。

意思決定者がリサーチャーに賭けられるような幸福な関係を築けていれば問題ないのですけれどね(ボソッ)。

今日のまとめと次回予告

このように、観察調査を実施したとしても「そもそも気づきを得られるかわからない」上に「気づきを得られても客観性に乏しいと判断される」ことがあります。

これが、アンケートやインタビューに比べて、観察調査を意思決定支援に使いづらい理由になっています。
リサーチャーとしても、そのようなものとわかっている手法をわざわざ実施したい、というモチベーションは持ちづらいかもしれません。

ただ、観察調査大好きマンとしては、それでも観察はお勧めしたい。
次回以降、観察調査の難しさをクリアしていくためのコツと、観察調査で得られるものについてお話ししていきます。

楽しみに待っていてくださいね。

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