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かっこいい大人とは

「かっこいい大人が身の周りに居ない」

そんなようなの話を聞いた。
言った本人は20歳を超えているので立派な大人なのだが、この場合の「大人」は「自分が見習い得るような年上の御仁」と解釈していいと思う。是非ともゆくゆくは「立派な大人枠」に入る御仁になってほしいなと願いつつ、こんな話を聞いている私、45歳男性は少し恥ずかしい気持ちであった。こんな私に話して怒っていいのか喜んでいいのか。(冗談です)

それにしてもこの気持ち、よくわかるんです。
20代の頃はそう思ってましたし。さらに年をとって慕われないといけない年齢になってみると「かっこいい大人」ってどういう人を指すのか、よくわからなくなったんですよね。
だから彼のように、すでに「かっこいい人」と出会って、選別できる基準を持っている人は本当に羨ましい。

未だ経験浅く、理解が及ばない、そんな未熟な私は考えた。
お金持っていて仕事もすごいできる人が必ずしも「かっこいい大人」でもないし、お金もあまりなくて仕事もそこそこだけどなんか面倒見が良くて「かっこいい大人」って人もいる。テレビやYoutubeでみるかっこいい大人もその人にあったこともないのでわかるわけもない。会ってわかる品の良し悪しってのもあるし。

ともあれ他人の評価をあれこれ操作できるわけもないので、この話を考えてから「せめて品よく生きよう」と思ったのだった。
品よく、って言葉はなんか嘘くさい。他に何かいい表現はないものだろうか。

そんな折に「へうげもの」という漫画を思い出し、ブックオフへ走った。
100円コーナーで必死にかき集めてなんとか20巻と21巻を除いて全巻を揃えることができた。
なんで「へうげもの」という漫画なのかというと、以前「漫画夜話」という番組で岡田斗司夫と山田五郎と中田敦彦などの有名な知識人が熱く語る回があったことを思い出したのだ。現代のオタク(数寄者)が日本古来の数寄者を語るという神回である。ここに荒俣宏が加わったらきっと涙が出ていただろう。

買い揃えた「へうげもの」を読むと、まさに目から鱗が落ちた。
歴史的事象はもちろんだが、漫画としての作りや創作部分にも数寄心が散りばめられていて、なんだかカッコイイのだった。
歴史を辿れば、かっこいい大人達は沢山いるのではないか。いや、あった事もないのにかっこいい大人かはわからないが、歴史的事象と照らし合わせてかっこいい人を創作して目指すべき人を作り上げて「かっこよかったかもしれない大人達」を尊敬して自分を作り上げてもいいではないか。

一人一人に「かっこいい大人」が違えば、そんなものは所詮幻想と結論づけて終わってしまうのかもしれないけれど、そんなのは寂しい話である。

私は、ツイード生地の如く味わいのある人間を目指したい。

これを口実にツイードジャケットをこっそり作ることにした。妻が知ったらイラッとされるかもしれない。すまない。
お金が貯まったら福岡のベルグラビア アンド サンズに行ってきます。
赤茶の土に苔すが如く、バーガンディーにブリティッシュグリーンのラインの入った様な生地か、シンプルなグレーのヘリンボーン。ワクワクしてきた。

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