見出し画像

一事が万事そういうところ

つーんと高い音がなって、耳の奥がもぞもぞしている。

昨日、小説もどきを読んでくれた編集さんからアドバイスをもらった。蛙が膝から生まれて美人の口に餅をつっこむ話だ。「料理の分量のところは、形式に甘えている」とか「味なのかなんなのかわからんが、いろんな書き方が混ざっている」と厳しいこともあったけど、「うん、でも面白かったです」と言われて安心した。

いまの文章は、仕事の都合上、3行に1度改行文体で、そういう読みやすさは気にせずに、縦書きで書いてもいいかもしれないし、自分の好きな本の文字数と行数の組み合わせを真似してもいい、自由に書いてみたらと提案され、「自由に書いてみたら」という普通の言葉が嬉しく響いた。

で、一つ、これは余計なおせっかいかもしれないんだけど、と切り出され、文章に「結婚前は誰だってナーバスなのです。」とあるけれど、山本さんは一事が万事そういうところがあると言った。

嬉しいことを「嬉しい」って書かないのが小説の基本だろうと思うんだけど、それを抜きにしたって、自分の目線でどう世界がみえているのかイキイキ話をしているな、心を開いてくれたのかなとおもっていたら、いきなりシャッターをガンとしめて、いや、ナーバスなんで、で終わらせようとする感じ。上手に説明できないんだけど。それは持ち味なのかもしれないし。でも、いつかどこかで、そこに手を突っ込まざるを得なくなると思うよ。

すごく耳の痛いことを言われ、本当に耳が痛くなった。慣用句はいつだって正しい。

小説を書くってもっと余裕で、なんかスラスラ書けちゃうもんだと思ってました。バーッてふってきて、それを書いたらいいんじゃないかなって。

才能とセンスでどうにかならないよ、たいていのことは。残念だけど。

高等教育で培ってきたものを、といってもそんなに培ってないですけど、全部一回否定しなきゃいけないのかと思うと、うわーって思いました。ショックです。

と言い残して、私はぴゅーっと一目散に自分の中にこもって、あとの話は適当に聞いた。私の中の私はぜんぜん戻ってこなくて、しっかりしてくれよ、と声をかけてみたけど、いっこうに出てくる気配が無い。そういうふうに離脱しちゃうと失礼だから、なんてったって君に言ってるんだよ、君に、って叱ったりしてもテコでも動かない。で、小説を書くってことは、この困った自分を洞穴から手を入れてひっぱり出すことになるらしい。

もちろん、センスと才能だけで書けちゃう人もいるんだろうけど。

不器用なんで、無理だとおもいます。私の場合。

だろうね。山本さん、「そういうことは気にしません」って話をよくするけど、たぶん、すごく一々傷ついているし、そういう切実なところを出さないのがかっこいいと奥底で思ってて。だからいきなりガンっとシャッターを下ろして引きこもるのかなぁ。器用じゃないから。責めてるんじゃなくて、たぶん、小説を書くと、そういうのといつか向き合わないといけないのかもしれない。余計なお世話だったらごめんね。 

書き直したらみてもらえますか。

と言った自分の声があまりにも切実だったので、恥ずかしくて笑ってしまって、でも本当に、そういうところだなと思った。分かって欲しいと切実に思っているのに、相手が歩み寄ろうとした瞬間に切実さを茶化してしまう。一事が万事、一事が万事、本当にそうだなと思う。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?