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お盆の思い出と自分の大切なもの

(お盆……か)

なんだか澄んだ空気に包まれているように思える、この時期。毎年ジリジリとセミが鳴くこの頃になると、思い出す瞬間がある。

「でき、た!」と一本のろうそくに火をつけ、雰囲気を出した。

「まぁ、立派な仏壇ね」。母がお皿を拭きながら微笑みかけた。

──完成したのは、自作のお仏壇。
実家で誰かが亡くなったわけではない。けれど、お仏壇をかざることに憧れがあった、わたし。ダンボールに白い布をかけ、仏壇に。缶詰の容器に砂利をいれ、線香立てに。

そしてお盆の飾り物、うま、うし。
畑で採れた野菜をひとつもらい、いままで見たつくりものを真似る。わりばしで、あし。とうもろこしのひげで、しっぽ。

新聞に挟まれていたチラシの裏にマジックでイラストを描いた。かつて飼っていたが、天国へ行ってしまったペットたち。

ハムスター。金魚。鳥。それぞれの思い出がよみがえる。

(天国でおいしくご飯を食べられますように)

祈りながら線香をあげた。

ガガ……カカカ……

遠くのほうからタイヤが砂利を蹴る音がする。おじいちゃんと、おばあちゃんが軽トラに乗ってきた。

「これ、やまねがつくったのよ」と、母。

「あぁ、そうけぇ(そうか)。じゃぁ、ちと、お線香をあげるかな」

目を三角にして微笑みながら、ハムスターと金魚、鳥のイラストを存分に眺め、正座するおばあちゃん。「へぇ〜」と眺めながら目をキラキラさせている。おばあちゃんが悪いことを言ったり、人にいじわるをするのを見たことがない。内側からくる、純正のキラキラ目だ。

ただ……気まずい。

自宅で遊ぶために作った仏壇をこんなに眺められて、恥ずかしい。小学生ながらにおふざけでやっているのはわかっている。まさか人様に見せるとは思っていない。

こんなチラシとダンボールでできた簡素な仏壇の前で真剣に拝むおばあちゃんに、違和感を覚えた。おばあちゃんの家にある仏壇は立派なものだったから。
お仏壇専用のような部屋があり、鐘を鳴らすと部屋中に響くようなところだった。

気まずさがぬぐえない。そうして少し長い時間に感じたため、その時のことはよく覚えている。
少しはなれたところから、おばあちゃんがチラシに向かって拝む横顔を見た。

──なんだか透き通っているような、神聖なものしかないような空間だった。
こんなにきれいなものはあるものか。ぼうっとたつ線香の細い煙が心地よかった。
気まずいような、でも温かいような、なんとも言いがたい気持ちだったのを覚えている。

***

あれから20年が経った。
おばあちゃんは捕まっていないと歩くのが困難で、物忘れをするようになった。いとこの名前と間違えられることもあるけれど、おばあちゃんの年齢を考えたら仕方がない。

わたしはというと社会人人生も長くなり、いろいろな経験をした。転職だってたくさんしたし、結婚もした。副業だってしている。

副業を通して「自分の目指すところってなんだろう」と思うことがあった。
「稼ぐぞ〜!」と思っていた頃もあったけれど、ほどなくしてそれは自分の目指すところではないと気づいた。でも、ほかの軸って?モノサシのメモリが進むとしたら、それは何を測るもの?人生でどんなモノサシのメモリが進んだらわたしはうれしいんだろう?

暫定では「豊かさ」だと思っていたが、お盆を迎え、おばあちゃんの姿を思い出してわかった。
「豊かさ」を塗り替えるくらい、もっと大切なことがあった。心のなかにそれがあるから、この出来事がこんなに記憶に残っているんだ。

わたしは優しい人になりたい。
あの時、わたしの大切なものを大切にしてくれたおばあちゃんみたいに。
人の価値観を受け入れて、大切にしたい。

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