エグい眠気とうっかりに困っていた私がADHDに診断される前後の経験談(コンサータ服用中)

私という人間の説明欄にADHD成人女性というステータスが刻まれてから大体3年くらい経つ。私が診断を受けた時よりも、世の中で「ADHD」という発達障害への認知はどんどん広まっているし、当事者の話もネットでかなり探せるようになってきた。でもまあ、いろんなパターンの当事者経験談が読めた方が良いよね!と思うので、自身の振り返りも兼ねて、ネット上に経験談を放流しようと思う。だから、以下はあくまで私個人の話だのでね。話半分にどうぞ。

20代のある日、原付に乗って走行3分ほどで「うっかり」ヘルメットを付け忘れていたことに気がついた日、『私はこの「うっかり」でいつか死ぬ』ということをハッキリ自覚し、初めて心療内科の門を叩いた。

幼少期から、元気いっぱいうっかりをしては叱られる人間だった。
通信簿には「ケアレスミスが多いです」だの「おしゃべりが多い」だの「忘れ物が多い」だのの言葉が並び、小学校から大学まで授業で居眠りしない日はなかった。どんなに好きな先生の楽しい授業でも、少しでも「単調な」部分があれば寝てしまう、というのが、私にとっての当たり前だったし、みんなそんなもんだと思っていた。違うらしい、と気づいたのは高校に入ってから。その影響で成績の凸凹も激しく、特に数学はもう「算数」のレベルで苦手だったこともあり、大学受験前には焦った親が高い金を払って家庭教師を頼んだのだが、家庭教師の先生が教える間にも居眠りしてしまっていたので、合格の連絡をしたときは先生から「一番心配だったからすごく安心した」と言われた。そりゃそうだ。あまりにも申し訳ない。

大学では、大好きで尊敬していた教授のゼミに入ったはいいものの、先生との約束をすっぽかし、先延ばし、ごまかし、提出課題は遅れるかギリギリか……みたいなクソ学生ムーブを全部やった結果、ぜんぜん当たり前に嫌われて、先生の恩情でなんとかこぎ着けた卒業式では、恥ずかしくて申し訳なくて、先生にまともに挨拶さえできなかった。今でも先生の名前を見る度に自己嫌悪で胃がギリギリする。あと必修の特別授業の日程を勘違いしたせいで取りたかった資格を取り逃がしたりもした。あまりにも情けなくて涙が出たけど、馬鹿みたいな理由すぎて泣くのも恥ずかしかった。

こんな自分が本当に大嫌いで憎かったので、自己肯定感も最悪を極めていた。私はクズ。何をしてもダメ。マジメに真摯に物事に向き合えるなら、こんなに「うっかり」も「居眠り」もしないはずだ。私は何にも真剣に取り組めないカス。
であれば、カスはカスなりにカスであることを笑ってもらう位の立ち位置で人間関係をやるしかない、と、なるべく笑っていようとしたら、当然ながらヘラヘラしている責任感のないおしまいクズとしての立ち位置を得た。
ていうか事実、どう見てもヘラヘラしている責任感のないおしまいクズだった。

大学を卒業し、社会人になっても、改善の兆しは見られなかった。

上司同席の来客対応で居眠りしそうになったり、絶対忘れてはいけない処理を忘れて怒号を飛ばされるなどする日々。何よりもデスクワークが特に辛くて、基本眠くない日がなかった。いくら前日にたっぷり寝ても、作業をしていると脳が強制的にシャットダウンされるような眠気が襲ってくる。しかもそれをカフェインでなんとか誤魔化そうと常飲し続けた結果、カフェイン過敏になって紅茶とか飲むと手が震えるようになってしまい、それも出来なくなる始末。
お客様対応は得意だったからなんとか働けていたものの、給料泥棒だという自責で毎日押しつぶされそうだった。


そんなとき、インターネットを徘徊していてこんな記事に遭遇した。

当時は「アスペルガー」に端を発して「発達障害」と言う言葉が少しずつ知られてきた頃で、私の集中力のなさって発達障害のADHDっぽさあるよな!わはは!みたいなことをなんとなく思い始めていたタイミングだった。

ADHDのことは知っていたが、その症状の一つとして睡眠障害があることは全く知らず、記事を読めばよむほど、驚きと共に強くなる「じゃあ私マジでADHDなのでは」という自覚。
まさか私の「うっかり」と「居眠り癖」という人生の枷2大巨頭が地続きだなんてことがあるなんて。関連する似たような記事もいっぱい検索して読みあさった。

確信に似たものを抱きつつも「いや、でも、まさかな・・・でも・・・もしこれが服薬で治るなら・・・?」などと思っていた矢先、冒頭のヘルメット忘れ事件が発生し、腹が決まった。

正直、病院に行くのは怖かった。ADHDの診断がされなかったら、私は本当にただ「やる気がないやつ」だと証明されてしまう……と思ったから。でも、私がADHDだとしてもそうじゃないとしても、実際に「忘れっぽさ」「集中力の欠如」「居眠り」が私の日常生活に著しく支障を来している。であれば、診断が降りずとも、専門家に対処法など聞いた方が絶対に良いじゃん!?などと、自分にめちゃくちゃ言い聞かせたが、その葛藤もあって1年くらいぐだぐだした。

ようやく重い腰を上げ、近隣で「大人の発達障害」を取り扱っている心療内科を調べて受診。おどおどしながら前述の通信簿やら日常の困りやらを話したら、当然ながらばっちりADHDとして診断された。なんなら診断に先立って実施されたテストでは、こんなに全部ADHDの特徴当てはまる人間おる?くらいに質問項目とか全部当てはまったから、回答しながら謎の笑いがこみ上げてくる程だった。ウケる。診断後、心理士さんに今後の治療・対処方法の希望について問われたので、社会生活のために服薬したいと申し入れ、コンサータを処方されることとなった。


初診の時や診断に関してはいくらだったか(普通の病院代よりちょい高いくらいだったと思う)のお金がかかったものの、自立支援医療という制度のおかげで今後のお薬は全額税金などで賄って貰えることとなり、金銭面での負担が全くないというのも非常にありがたかった。税金って大事なんだな。ありがとう国。

かくして私という人間のステータスに「ADHD」の文字が刻まれたのであった。

そんなこんなでコンサータくんと付き合い始めてもう3年になるわけだが、つくづく今振り返ると、学生の頃の私はよくあの恐ろしい眠気の中で学業を修めたな・・・・・・と尊敬すらする。偉すぎ。無理だよあんなの。
あの眠気は「眠気」というよりもほぼ気絶だ。
今でも休薬日や飲み忘れた日に体験する度、これで起きてろと言うのが無理な話だと強く思う。やる気がどうとかのレベルじゃないので。

コンサータを飲んでいる間は、あの気絶を味わうことは全く無くなった。とにかくそれが1番ありがたい効能だ。快適にデスクワークができるようになった。仕事も「できない残念な人」から「できる人、頼っていい人」の評価をしてもらえるようになった。快挙だ。
集中力がバチバチに上がったかというと全然そんなことはないけど、気が散る回数は比にならないほど減少した。集中力が霧散して気持ちが脱線しても、戻さなきゃ!と意識できるようになったし、戻ってくるのが早くなった。コンサータを飲み忘れてしまった日は、デスクワーク以外のイレギュラーな業務を回してもらったり、肉体労働を買って出たりすることでなんとかやれている。

でも残念ながら、うっかりは大して治っていない。飲んでる日も平常運転でうっかりをやらかす。先日も職場に「住民票を出せ」と言われたのに役所窓口で「戸籍抄本」を取ったりとかしたし、提出日に必要書類持ってくるの忘れて翌日休日出勤したりとかそういう感じの人生を送っている。ちょっと前に職場の重要書類入ったフォルダーを消してしまった時は、本当にこの会社は早く私のことクビにしたほうがいいよと思いながら半泣きで作り直した。

ただ、うっかりの予防策や後処理をちゃんと考えてできるようになった。
その日のタスクを付箋でメモして見えるところにおく。リマインダーを設定する。鍵は失くしにくいようにでっかくてジャラジャラしたキーホルダーをつける。集中力が切れている自覚があるときは、簡単なタスクからこなしたり楽しいことをしてまず作業の波に自分を乗せる。うっかりしたりわかんなくなったら、まずちゃんと人に聞く。やりたくないことはタスクを細切れにして、ダメージの少ないものからちょっとずつやる。

いままで「当たり前にみんなできること」を「じゃあ私もできるはず」という感じで無理に正攻法でやろうとしてメンタルも肉体もボロボロにしていたけど、ADHDの診断を受けたことを機に「自分という不随意な肉体」の存在をしっかり自覚できたおかげで「じゃあできない原因は何で、どの方法だったらできるようになるか」を考えるという選択肢が生まれたのだと思う。

おかげでメンタルも安定するようになった。前は何かやらかしてしまったら自己嫌悪でいっぱいになってとにかく落ち込みまくって結局後処理すらままならず、最悪その環境からフェードアウトして全てごまかして更にその罪悪感で未来永劫ずっと凹む、みたいなことばかりだったが、ここ数年は「やらかしたものはもう仕方がないのでちゃんと謝ってリカバーする」をできるようになってきた。自分の社会的なハンディが明確になったことで「私は全部がダメ」じゃなく「こういう部分がダメ」と焦点を合わせやすくなり、ダメージを受ける部分が減った結果、失敗をリカバーする気力が残せるようになったな~という実感がある。

「自分もADHDかも」と思っている人の中には、診断を受けることや、お薬に頼ることについて何となく「ヤダ」と思ってしまう人だったり、自分自身のADHD的な特徴について「こんなことで病院にかかるのもな」「努力が足りないだけ」とか思ってしまって、受診してみたい気持ちとしたくない気持ちでぐしゃぐしゃになっている人が、結構いるんじゃないかと思う。私も割とそうだったし。

でも、個人の感想としては受診してよかったし、薬飲んでみて「ADHDじゃない人ってこんなに眠くならないの!?!社会生活やりやす!!ずるじゃん!」と思ったので、人生において「枷」があるな~と思うなら、病院行って枷を軽くした方が良いに決まってらあな……と思います。お薬で万事解決!彼女もできて5億稼げました!とかでは全くないけど、なんというか、目が悪いならメガネあったら便利だよ。とか、仕事で忙しいなら食洗器あったら楽だよ。とか、そういう感覚で受診してもいいんじゃないかな~~と思ったりする。ただ、私が受診した頃と違って、コンサータの処方のハードルが上がっているのもあるので、あんまり無責任なことも言えないのだが。

あと、ここまでお薬への感謝と効能を述べてきたけども、別に「お薬があれば社会生活がなんとかなります!」というのも違うと思っている。私を診断してくれた心理士さんが「お薬を飲まずに働ける、つまり、その弱点が弱点にならず、特性を生かして働ける仕事に転職できるならそれが一番いい」みたいな話をしてくれたのだけど、マジでそれで、一番大切なのは「自分という人間の弱点や特徴を正しく把握する」ことで、且つ「生きる上でその弱点をカバーするなり生かすなりの方法を探っていく」ことなんじゃないだろうか。

そういう意味で「自分の脳の特性を知っとく」という感覚で、本当に日常生活に困りがあるなら、服薬をするにしろしないにしろ、病院という専門機関に頼るのもいいんじゃないかな。と私は思います。

ちなみに、職場にADHDであることは特に言っていません。服薬してる間は何の支障もないのでね。法的に言う義務などもないらしい。障害者手帳も申請したら取れるっぽいし、取った方がいいのかな~と思うけど、面倒だし、服薬してれば困らないのでいいか……と思って、今のところ取っていない。でも取った方がお得らしい。

あと、保険の要件にはなるので、診断受けよかな、と思っている人は絶対受診前に安い保険に入っていたほうが良い。私は受診して服薬してやっと自分の人生を見直す余裕が出てきてようやく「保険、入るか……」つって調べたので、めちゃくちゃ後悔しました。

発達障害とかでなくとも、自分の「弱点」を正しく客観的に把握することが大事、という話かもしれないな、と書きながら思った。それを「弱点」にしないためにも。

参考になれば幸いです。



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