オバさんになりたい 〜岡田育著「我は、おばさん」の感想〜

岡田育さんの「我は、おばさん」を読み終えた。うおおとなった。私は、オバさんになりたい。なるぞ。

私が岡田育さんを初めて知ったのはTwitterであった。たまたま見かけた呟きがとても面白く、またツリーが長くて読み応えがあった。
私が知らないことを、私が知っている世界の文脈の一歩先で知ることができるようなことを色々呟いていらっしゃった。なんとなくフォローした。

そんな岡田さんが最近新しく本を出版したらしい。

Twitterフォロー後にたまたま買ったユリイカにも岡田さんの名前を見つけ、その記事も大変に面白く、かつ知らないことがたくさん書いてあって、やっぱりこの方の書かれる文章好きだな〜と思っていたのもあって、給料日を待ってAmazonでポチった。

本日ようやく届いたので、到着した直後に包装を剥いて、少しだけ読むつもりでページを開いたのだけど、読む手が止まらず、時に目に涙を浮かべながらも、アッと言う間に読み終えた。届いたの何時頃だ?確認したら2時間前くらいだった。わーお……。きっとざっくり読みになってしまっているだろうから、もう一度ゆっくり読み返したいとこだけど、感想を勢いのまま書いておきたいので、ひとまず書く。


私は多分、昔からずっとずっとオバさんに憧れていて、そんな自分の憧れを受け止めてもらったような気持ちになったのかもしれない。

昔から私の身の回りには、幸いなことにたくさんの「オバさん」がいた。

これは、いわゆる他人としての「オバさん」もそうなのだが、まず第一に母が9人姉妹なので「伯母さん」も実際めちゃくちゃいたのだ。8人の伯母。母の姉が7人。妹が1人。すごい女系家族である。父方にも叔母が4人いるので、人生におけるオバさんの総量が、おそらく平均よりかなり高い。

彼女たちは漏れなく私を娘のように可愛がり、そして彼女たちのほとんどが「まめまめしき物」ではない価値観で私に接してくれた。

私の母は「みっともないこと」を恐れる、過干渉の、娘と自分との切り離しが苦手な女性であるが、そんな母に育てられた私がなんとか発狂せずにここまで生きてこられたのには、オバさんたちの存在も大きく関わっていると思う。

特に海外で結婚した伯母たちは、母とは違う価値観を私に提示してくれることが多かった。母は家事を「すべきもの できないのは情けない」と見なしており、家事周りにルーズな私に対して定期的にブチギレ散らかすのだが、そのことを愚痴った時に伯母が「お掃除や洗濯は自分が気持ちがいいからやるんであって『完璧にできなきゃいけないこと』ではないのよ」と教えてくれた。

その言葉のおかげで、私は母の言うことを絶対としてでなく『一つの価値観』として捉えられるようになって、怒鳴られて泣く頻度もかなり減った。ただ、そんな伯母からの後ろ盾を得た私が、怒鳴る母に言葉で反撃をするようになったため以後喧嘩が悪化したのも事実ではあるが。

ちなみに、そんな母だが、伯母たちの娘である私の従兄姉たちからはそれなりに慕われている。一時期我が家に従姉が下宿していたことがあったが、その間従姉にとって私の母は良い相談相手であったようだ。
「オバさん」でいる間、私の母は「母」の重荷を下ろせたのかもしれないと思う。

そんな「オバさん」達の姿を見て育った私は、更に中学生の時に人生の憧れとするベスト・オブ「オバさん」に出会う。学校図書館司書の先生だ。

彼女は当時の年齢こそおそらく30代だが、私にとって「恩師」というよりも、憧れる「オバさん」だった。

とにかくかっこいい人だった。
生意気な中学生たちを適当にいなし、たしなめ、知識も広く、決して「大人」という権力を振り回すこともなく、学生の得意なことを見出しては、何気なく役割を与え、サポートをしてくれる存在。学生に関わりすぎず、だからといって、学生から相談があれば教訓めいたことでなくフラットに助言をしてくれる、先生よりはカジュアルで、学校にいるのにちょっと不思議な大人。
しかも趣味は格闘技で柔道の有段者、という漫画の設定みたいな先生で、多分、当時の図書委員はみんな先生のことが大好きだった。

大人になって再会したとき、相変わらず学校図書館で働いているという先生に、当時の私の無礼についての謝辞と、長年溜め込んできた感謝を述べると、先生は「別に、私はテキトーなだけだよ」と笑っていた。

でも、楽しそうに、且つかっこよく仕事をしているマイペースな大人の存在が、中学生の時の私にとってどれだけの希望になったか。感謝してもしきれない。

私は先生に憧れ、図書館学を学べる大学に進んだ……といっても、本当は児童心理が学びたくて心理学部を受験したもののバッチリ落ちて第2志望の図書館学が専攻できる学部に進んだ、というのが正しい。
児童心理を学びたかったのも、学生に「オバさん」の立ち位置としてお節介に知を授けることに憧れていたのが動機なので、図書館学の道に進んだのは正解だった。

今は司書の仕事からも離れてしまったが、卒業後に就いた司書の仕事は、本当に毎日楽しかった。特にレファレンス業務の間、私は誰かの「オバさん」みたいな存在としてお節介を焼くことが仕事になる。こんなに楽しいことはなかった。

昔から「女の子らしさ」や「可愛げ」とはあまり縁がなく、それでいて男勝りにもなりきれない私は、 未だに自分の「市場価値」をあまり高く見積もれないでいる。
パンセクシュアルということもあり、学生時代は「好きな女の子の彼氏もどき」を気取って「女ではないが男でもない」ポジションにつくことで自我を確立しようとしたり、ミソジニーとルッキズムとホモソーシャルに胆泥することで友達と歪な「俺たち」の関係性を築いたりと、色々迷走もした。どれも一時的には楽しくて熱中したけど、いつの間にかしんどくなってやめてしまった。そうやって居場所を求めることで、知らずに自分を削っていたことに気づいて反省できたのは、ごく最近の話だ。

きっと私は、迷走しながらも今までずっと「オバさん」に憧れていたのだ。社会の価値判断から解放されて、自分の手で人生を切り開き、楽しそうにしているオバさんたち。
岡田育さんがかつて「ムッシュ・ユロ」に憧れていたみたいに、私はずっと「オバさん」に憧れていた。

本を読み終えて、私が出会ってきた沢山のオバさんたちの存在をありがたく噛みしめると同時に、私もいつか、憧れられるオバさんになりたい、なりたいと思っていいんだ。と本当に嬉しくなった。
それと同時に、私がオバさんになるにはまだまだ勉強も余裕も足りなさそうだなというのもわかって、背筋が伸びた。アメちゃんを誰かに差し出すことはできても、笑顔で差し出すくらいの余裕や、見返りを求めずにいられる「下心」との決別をするための賢さも、たぶんまだ私には足りない。

私は自分の人生の責任を自分で持つ覚悟が薄い。自分を幸せにするぞという気概があんまりない。ひとえに怠惰さであるという自覚があるけど、私が憧れているオバさん達がしてくれたように誰かにもアメちゃんをあげたいと思うなら、やれることがもっとあるはずだ、と自分をちょっと応援する気持ちになった。

私の大好きなアイドルマスターの曲に「バックパックに希望詰めて 自分の足で歩け シンデレラ 夢は他人に託すな かけがえない権利」という歌詞がある。
私なりのなりたい「オバさん」になるために、20代の今を楽しみつつ、歩き出したい。

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