インターネットと待ち合わせ(24)

同じ空間を共有しなくとも、打ち合わせができるのは、インターネットの発展がある。しかし、それはあくまでも、「離れたところを接続する」ということについてだ。もし、接続されても、落ち合えなければ、打ち合わせはできない。メールのやり取りはできるだろうが、オンラインのビデオ会議はできない。

それでは、オンラインのビデオ会議を成立させるために、必要な条件はなんだろうか?それは、お互いに比較可能な時計を有していることである。空間が離れているため、フィジカルに声をかけることはできない。だから、同じときに、そこに居合わせなければ、会話をすることはできない。待ち合わせができ、会話がはじめられるのは、比較可能な時間を互いにルールとして共有しているからだ。

そして、このような問いが浮かび上がる。

もし、時間(標準時)という共通の尺度を持ち合わせていなければ、私たちはインターネットでどのようにして待ち合わせをするのだろう?

かつて、徒歩圏内しか移動できなかった時代、私たちは時間よりも、場所(空間)さえ決めておけば、出会うことができた。待ち合わせもできた。時計を持ち歩くことはなかったから、だいたいの時間で会うのである。

しかし、インターネットの掲示板では、特定の人と時間なしに待ち合わせることは難しい。例えば、インターネット上の掲示板に「立ち寄った」という痕跡を記録しておく。しかし、痕跡にどのように次の待ち合わせの方法を明示するのだろうか?相手はいつそれを見てくれるのだろうか?どこかでお互いに基準を持っていなければ、私たちはインターネット上で出会うこともできない。

いっぽう、インターネットでは不特定多数との出会いがある。その場、その時に掲示板にいる人との出会いや関係性で成立するようなサービスがある。オンラインであることが、お互いに時間を共有できる可能性の合図だ。そこに、たまたま同じ時間に同じWebサイト(場所)に居合わせたという奇跡が生まれる。奇跡を生み出すのは共通点である。だから、たまたまあった時間とそれ以外の共通点があれば、奇跡を感じやすいのだ。

同じ空間を共有せず、時間だけを共有するというインターネット、インターネットの登場により、バーチャルとリアルという区分が明確になり、バーチャルの価値が向上することはとどまらないが、リアルの価値はバーチャルとの関係において乱高下している。しかし、インターネットを影で支えている時間の価値は特に注目されていない。空間と時間をあわせることで待ち合わせができるリアルと、時間だけをあわせれば、待ち合わせができるインターネット(もちろん、サービスという場所が合わせる必要があるが)。個人で生きていく自由を得、場所に縛られることもないなかで、最後まで私達が拠り所にするのは、時間かもしれない。

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