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希望と現実(18)

そういう「個人の成功」ではなく「全体の幸福」を願う人を僕は「希望」と呼びたいし、その発信源になれればな、と。理念は自由と平和、現実は合理性であった。

理念は希望、現実は?というところであろう。

本当に希望は人をドライブするのか?そして、誰かの希望でドライブされた人は幸せになるのか?自分の希望を持つ可能性はあるのか?


そういう「個人の成功」ではなく「全体の幸福」を願う人を僕は「希望」と呼びたいし、その発信源になれればな、と。
あと僕は世の中のマジョリティはやはりキレイごとでは動かないと痛いほどに実感しています。NPにコメントする人はこの国の0.1%です。でもマジョリティに訴えかけないと世界は変わらない。
本読みに本を読ませることは、僕の仕事ではない。若い人を動かす。だからまずはおもしろい、新しい、カッコいいというブランドを作る。ブランドさえ作ってしまえば、そのあとは大切だけど地味なテーマでも耳を傾けてくれる。
でも、「変化」って生き物には苦痛だから、やっぱり多くの人は変わりたくないはずです。変わることで、自分が勝ち組になれるという実感が持てない限りは。だから、僕はあえて個人にひも付いた「変化」ではなく、全員が乗っかれる「希望」という言葉を使いたかった。
だから僕は、主観の明確な出版をやりたかったんです。「売れるから」という説明可能性だけに回収しきれない本を出し続ける出版社。それは僕個人の思いであると同時に、今の出版業界に致命的に不足しているものだと思うんです。

なかなか読んでいておもしろい対談だ!と思っていた、いっぽうで、二人のどちらからも、人を扇動する違和感をぬぐえないでいた。それをズバッと東大教授は言った。

いや、危機感を持つ・持たないは無関係です。市場メカニズムは、人々の危機感とか頑張りとかでどうにかなるものではありません。多くの人は、幻想を抱いているのではないでしょうか。頑張ればどうにかなる、報われるなどと、市場はそんなに甘い世界ではありません。
世間では若者に明るい未来を見せたがるかもしれないですが、それはだめだと思います。そういうのは政治や民間やマスコミの仕事であって、僕の仕事ではありません。僕は、浮かれてないでまじめにやってくれ、と言いたいです。
そのように思って国政を担う人もいます。しかし、成功している地域だけもてはやして、便乗するとか、国際舞台や世界で活躍することだけを考える人もいます。
UmeeTはもっと元気な人に取材している気がしますが…(笑)。新聞とか、教科書会社とかでもよく揉めるのですよ、これでは元気が出ない、と。僕としては有害な元気など、出してもらいたくない。自治の現場は明るい話ばかりではないのですから。

この2つの対談の比較は希望と未来が糧のメディアと現実を直視するアカデミズム、それぞれの立場が浮き彫りになっている。これ以上の意見は、ここで記すつもりはない。この先、自分が浮足立ったときに、この投稿に戻り、そのときの自分がどちらの記事に共感するかで、浮足立ち具合が判別できるだろう。さまざまな情報があふれる中で、現実を直視しつつ、理想を求めるというのはかくも難しい、ということが教訓。

学びや教育関係の本の購入にあて、よりよい発信をするためのインプットに活用します。