見出し画像

disruptiveな一年を顧みつつ

あっという間だったのかさえよくわからないままに、2019年が終わろうとしています。この一年、いろんな意味でdisruptiveでした。

1. いわゆる〈デザイン×経営〉の領域に、本格的に足を踏み入れた。

何をもって〈デザイン〉の領域というのか、今でもじつはよくわかっていませんが、ここ数年〈デザイン〉という言葉を意図的に摂り入れようとしてきました。今年の4月に須永健司先生の『デザインの知恵』が刊行され、これを読んで、ようやく自分が考えていたことと〈デザイン〉とがつながったような気がしました。

4月には、サービスデザインネットワーク(SDN)関西のミーティングで報告させてもらったり、

画像1

6月には、はじめて日本デザイン学会で報告させてもらったり、

画像2

7月には、井登友一さんが発起してくださった「意味のイノベーション日本コミュニティ(IoMJ)」でライトニングトークさせてもらう機会をいただいたり、

安西洋之さんからお誘いをいただいて、10月には4D Conferenceで報告するという、自分にとっては初めての英語報告をさせてもらったり。

現実的には、まだ経営学(それも今では細流となったドイツ経営経済学)とデザインをどう架橋するかというあたりで逡巡している感は否めないけれども、ともかくも小さな一歩は踏み出せたかなとも思ってます。

私自身が考える際のキー概念としての「価値創造」や「価値交換」、それらの織り成しとして「価値循環」といった概念については、これからしばらく使い続けると思います。それらと「意味のイノベーション」をどう結びつけていくのか、この点が2020年の私自身の研究の本格的な課題となるように感じています。

幸いにというべきか、私が大学院に進学を決めて以来、拠って立つ学説提唱者の一つとなっているブライヒャー(Bleicher, K.:1929-2017)は、1991年に初版を公にした『統合的マネジメント構想』において、企業の発展能力の前提としての自律性(Autonomie)を重視し、その自律性を構成する要素として意味の自律性(Sinnautonomie)と時間の自律性(Zeitautonomie)という2つを挙げています。ブライヒャーはもちろんデザインという言葉を用いてはいませんが、Gestaltungという概念は当然のように使っています。このあたりは、あらためて読み直してみる意義があるようにも思っています。

最近になって、企業文化に関して〈醸成〉という言葉が用いられているのを知ったりして(ブライヒャーが使っているわけではなく、私がブライヒャーの議論を踏まえて使ってました)、統合的マネジメント構想や規範的マネジメントと〈デザイン〉もちゃんと結びつく可能性があるのを確かめることができたのは、今年の収穫でした。

というのも、今まで〈価値の流れ〉と〈デザイン〉の接合だけを考えてきたのですが、いわゆるUnternehmungsführung(ビジネス・リーダーシップ)とデザインとの接合も考えられそうだという手ごたえを得ることができたからです。

こう書いていると、研究的にものすごくポジティブな一年だったかのように感じられるかもですが、これを書いて初めて、光が見えてきたような気がしているのが実感です。むしろ、今年はいろいろやりながらも、ものすごく暗中模索でした。かなり苛立ったこともあります。

でも、周りのみなさんに暗中から手を引っ張ってもらって(って書くと、『絵馬』の岩戸開きみたいで、かえって畏れ多いのですがw)、すこし「面白い」世界に出られそうになってきたのかなと感じられた一年でした。

お誘いくださったみなさん、そして私の拙い報告におはこびくださったみなさん、ほんとにありがとうございました!

2. 実装への学びに足を踏み入れた。

【Xデザイン学校大阪分校ベーシックコース入学】

今年最大のことといえば、おそらくこれだろうと思います。

4月からXデザイン学校大阪分校ベーシックコースに入って、サービスデザインの実装的な学びに足を踏み入れました。

なぜ、この歳になって?今さら何のために?っていう声があっても不思議ではありません。でも、ゼミでプロジェクト型学習(Project-based Learning)をやっていくなかで、一度は踏み入れなければならない道だというのは、以前から感じていました。

まだ途中ですし、1回やったくらいでサービスデザインを習得しえたなどとは到底思えません。むしろ、この学びをどう重ね、磨いていくかこそが大事なわけで。

とはいえ、「学びを実装する」という経験は、少なくともこれまでの私に一度としてなかったことでした。idealには理解していても、実装するとなるといろんなハードルがあること、現実を抽象化して捉えるのも一筋縄ではいかないこと、そしてその濃度の層を意識することがまことに大事であることなど、私にとってはものすごく大きな収穫であったと思います。

少なくとも、ゼミのメンバーたちにかける言葉は、今までと異なり始めていると思います。

ただ、幸いだったのは、今まで理論的に、あるいはidealに考えてきたことそれ自体が、実践としてあるべき姿とそれほど大きくは乖離していなかったという点です。Xデザイン学校大阪分校ベーシックコースでの学びは「あ!あれはこういうことだったのか!」と感じさせられる瞬間が、きわめて多いな、と。

まだあと少しXデザイン学校での学びは続きます。というか、おそらく実装を意識した学びは、これからも続くと思います。

浅野先生、佐藤先生、Bチームのみなさん、そして大阪分校のみなさん、2020年もどうぞよろしくお願いいたします!

画像11


【Twitterラジオ出演】

基本的に、個人としては地味路線で行きたいところもあるのと、そもそもお声がかりがないということもあって、メディアらしいものとはまったく無縁な山縣ですが、フィラメント&オムスビの羽渕彰博(はぶちん)さんからお誘いをいただいて、有江慶彰(アリエッティ)さんと遠隔で生出演する機会を頂戴しました。

画像10

私自身が慌ただしくて、2回だけ出演させてもらいましたが、ものすごく楽しい時間でした。ありがとうございます!

3. 経営学史のこと。

正直、今年もこの面では停滞しました。

3月には、学部時代のゼミの先生の退職記念論文集に「方法としての経営学史:経営学史と協同的実践」という論文を書かせてもらいました。この論文、出来はともかくも、今の時点での私の経営学史に対する考え方を整理するものにはなりました。こういうのを書いた(実質的に書き上げたのは2018年ですw)のは、おそらく私自身に揺れがあるからだろうと思います。

経営学史という領域、あるいはアプローチの重要性への認識は深まってきつつあります。これは、上に書いたデザインとのかかわりのなかで感じてきた点です。それを言語化(活字化)できたのは、ありがたい機会でした。

自分のなかでは、まだ生煮えな感じも残っています。それについては、これからの学史的な考察と協同的実践のなかで煮詰めていきたいなと。

一方、ニックリッシュからコジオール学派の経営学史をまとめる作業は、今年もあまり捗りませんでした。単に忙しかったってのもあります。上述の4D Conferenceの準備に時間を割いたってのもあります。言い訳ですが(笑)

ただ、この方面への意欲が薄れているわけではありません。もちろん、折々「今さらニックリッシュからコジオール学派への流れをふりかえったところで何の意味があるのか」っていう声が心の裡に聞こえてくることもあります。

一方で、今年の暮れ近くに同僚の先生とたまたま雑談していた折、原価計算の領域でも、源流はニックリッシュにあるんじゃないかと思わされるような考え方があることを知り、しかもそれがデザインという発想とも重なり合いそうだったので、やはりこのあたりをまとめておくことには、それなりに意義があるのかもしれないと思い直させてもらえる機会もあったりしました。

なので、時間はかかってしまうかもですが、これはライフワークだと肚を決めて、来年もちょびっとずつであっても進めていきたいと思います。


それと、経営学史という点に関して言えば、今年『他者と働く』を刊行された宇田川元一先生との折々のMessengerでの対話も、私にとっても心安らぎつつ、刺激の多い時間でした。

今や有名な人になってしまわれたので、お声がけするのも気が引けます(←嘘ですw)が、これからも対話相手の一人に置いておいていただけると幸いです。私にとっては「これからの経営学史 / 経営学の理論研究は、いかにあるべきか、ありうるのか」を議論できる、すごくありがたく大事な方なので。

4. ゼミのこと。

3月にプロジェクト1stとなる第9期を送り出した2019年。

画像4

今年も、やはりゼミ色濃厚な一年でした(笑)

【第11期:価値創造デザインPJ 3rd】

ゼミに関しては、価値創造デザインプロジェクトの3rdシーズンを展開できました。いつもながら、ご一緒させてくださっているプロジェクト先のみなさまに、あらためて心から御礼申し上げます。

そして、7月には念願の常葉大学の安武先生主宰の研究会In and Out labさんとの合同研究会もさせてもらいました。メンバーにとっても学びは多かったかと思いますが、私にとっても得るところは大きかったです。安武先生、メンバーのみなさん、ほんとにありがとうございました!

懲りずに来年もよろしくお願いいたします!!

画像3

さて、3rdシーズンともなると、ゴール設定が今まで以上に明確にはなりつつあります。同時に、それはあくまでもゴールであって、Purposeではないことも自覚せねばとも感じています。

「価値」をどう定義するかは、もちろん人によって異なるでしょうけれども、うちのゼミでは「ある主体によって抱かれている欲望や期待が、どれだけ充たされたか=欲望 / 期待充足(≠満足)の主観的強度」を価値と定義しています。したがって、自分自身ではなく「相手」がどんな欲望や期待を抱いているのか、それはどうすれば充たされるのかをとことんまで考え抜き、それをカタチ(モノやコト)にする、それを伝える、それが価値創造デザインプロジェクトの最重要ミッションであると考えています。

そこに、今期は〈意味のイノベーション〉という点を明確に打ち出してみました。価値創造をデザインするというとき、受け手にとってその提案が〈意味〉を持たなければ、受け手に価値が生じるということはありえません。その点は、今期、けっこう何度も繰り返しゼミで伝えてきました。

展示会、商品企画、価値探究など、チームごとにゴールは違いますが、それぞれその点は意識してやってくれてるように思います。

メンバーたちは、いろいろ考え、悩み、迷い、苛立ちもしたと思います。今期は合同ゼミが年明けすぐなので、そこで一つの思索の成果が出ることになります。ここについては、大いに不安もありますが、メンバーたちはきっとがんばってくれるでしょう(祈)

ともあれ、まだ途中ではありますが、年の終わりにあらためて、プロジェクト先のみなさまに、心から深く御礼を申し上げます。おかげさまで、メンバーたちは、文字通り「ありがたい」経験をさせてもらっています。2月の成果報告会で、その実践と思索の成果を少しなりともお返しできればと思っております。

【第12期:価値創造デザインPJ 4th】

第12期メンバーは21名。久々にちょっと少なめ。でも、さっそく始めている学内ビジコンでは、各チームともけっこうがんばってくれています。私自身がXデザイン学校に通い始めたこともあって、身体感覚的にサービスデザインのプロセスについて、メンバーたちに伝えることができるようになったのはありがたいことです。

画像5

来期の価値創造デザインPJについては全く未定ですが、プレゼミのあいだにできるだけサービスデザインの考え方を体験してもらって、プロジェクトでそれを活かしてもらいたいなって思ってます。

それと、なかなかこれまでできていなかったんですが、もう少し文献読解を採り入れたいなと。どうしても、学生って実践的なことに重きを置きがちです。その気持ちはわからんではないのですが、プロジェクトを実践体験って捉えてもらったんでは、正味、うちのゼミでプロジェクトをやる意味はあまりありません。実践体験を抽象化して捉え返し、それを応用できるような概念枠組にまで昇華させるのが、価値創造デザインプロジェクトの理想。

私自身が文献を読むのが苦手ではないがゆえに、かえってその方法をメンバーたちに伝えることを怠っていたのではないかという反省に、ここ最近、襲われています。

もちろん、プロジェクト型での学びは続けていきます。実践的に学ぶということ、そして実践の方々のガチさに触れ、自らもガチになって考え、実践するということ、これはまことに大事なことです。

その意味で、山縣ゼミに入ったらプロジェクトに参加できて当然みたいに思われると、これはまことに迷惑な話です。ご一緒してくださる方々にも失礼です。万が一そういう匂いが感じられたとき、私はプロジェクト型での学びというスタイルをやめると思います。今のところ、そういう匂いは感じられないので、もちろん続けます。

それを、どれだけ理論的に捉え返せるか。ここにこそ、うちのゼミの本来のあるべき姿があると思っています。第12期のメンバーにも、そこをめざしてもらいたいな、と。

【第10期:卒論】

山縣ゼミの卒論の厳しさは、少なくとも近畿大学経営学部のなかでは十指のうちには入ると思ってます(笑)

今年も厳しくコメントしました。

ちょっと例年と違ったのは、ゼミ中に伝えているコメントをちゃんと聞いて、実践していた学生がいつもより多かったこと(笑)

↑いや、全員聴いてるのが普通やろとかいう突っ込みはご遠慮申し上げますw

もちろん、「あ゛!?」みたいになるのもいますが(笑)、今期はあまり苛立たずに提出された本文を読めている時間が長いです。それと、11月上旬にいったん完成本文を提出してもらったのも大きいかもしれません。

とはいえ。

まだ最終提出版を読んでいないので、ここに書いたことはすべて撤回する可能性も無きにしも非ず(笑)ただ、現時点では、全体として「悪くないな」っていう印象はあります。

画像6

あと少し。がんばってな。

5. それ以外の大学でのこと。

【比較経営論のこと】

今期、突発的に比較経営論という講義を担当しました。一般的には、国ごとや地域ごとでの経営スタイルの比較を講じるのですが、思い切って「経営現象を比較的に考察する」という内容にしてみました。

そして、今までほとんどやったことがなかったゲストをお招きするという試みも。しかも、木村石鹸工業の木村祥一郎さん、NPO法人ハナラボの角めぐみさん、そして株式会社マザーハウスの山崎大祐さん。今期限りの担当だと思って、個人的にはかなり勇気を奮ってみました。聴いてくれた受講生のみなさんがどう感じてくれたかはわかりませんが、お三方とも素晴らしい内容のお話をしてくださいました。

先日、授業評価アンケートの結果が出て、自由記述欄に「ゲストが多くてレポートがだるい」という回答があったのには、愕然としました。というより、悲しかったです。あまりこういうことを書きたくはないのですが、初回の講義の折に、この講義ではゲストをお招きすること(日程も通知済み)、そしてそのときに単なる感想ではなく、お話を聴いて、そこからどう考えたかをレポートとして書いてもらうことも伝えていたわけですから、それが嫌なら履修取り消しをすればよいのです。必修授業ではないのですから。

自画自賛みたいになって恐縮ですが、このお三方の話を一挙に聴けるというのは、他でもそうないと思います。しかも、お三方とも自慢話とかでは一切なく、ご自身の経験をリフレクティブに、そしてリアルに伝えてくださいました。

画像7

画像8

画像9

あらためて、お三方に深く感謝申し上げます。

【その他もろもろ】

あと、いろんな縁でとあるプロジェクトにかかわることになりました。いろいろあって、活動としては雌伏的ではありますが、来年度にはもう少しカタチになるように方向づけてあげたいなって思ってます。

幸い、メンバーも挫折も経験しつつ、前に進んでいってくれてるので、この芽がしっかり成長できるように、私がかかわれる範囲で支援したいなと。

この他にも、来年度にはちょっとまた新しいことをやるかもしれません。

6. 能のこと。

今年は、昨年以上に観に行けませんでした。残念。

でも、そんななかでも、以下の舞台に接しえたのは無上の幸いでした。

5月18日:大槻文藏『夕顔:山ノ端之出・法味之伝』(大槻能楽堂自主公演)

7月17日:梅若万三郎『夕顔:山ノ端之出・法味之伝』(国立能楽堂定例公演)

10月19日:梅若万三郎『芭蕉』(橘香会)

この3番は、今年観た能のなかですこぶる感銘を受けました。

文藏さんの『夕顔』についてはnoteで、万三郎さんの『夕顔』については『能楽タイムズ』2019年9月号に執筆しました。

万三郎さんの『芭蕉』は、『夕顔』のとき以上に絶句も多かったのですが、初めてこの曲の怪異さを舞台上に感じました。この曲が秘め持つ怪異さの美が、舞台に現れていました。その凄さは、ことさら印象に残っています。

文藏さんといえば、11月6日の山村若静紀さんの会での仕舞『葵上』も凄まじかったです。身体に曲が乗りうつっていくかのような、全身から漲って滲み出る凄みは、単に六条御息所の怨念とかいうのではなく、それを含んだうえで抽象化された凄みでした。

このお二人の舞台を観ていると、身体を求心軸として、窮極的な抽象化と再具象化(当然、それは抽象化される前と全く同じではない。けれども、ヴェクトルとしては同じ)がとてつもない強度で実現されていると感じます。

こういう舞台に接することができるのは、数が少なかったとしても、ものすごく幸せなことだなと強く感じます。

それ以外、といっては恐縮ですが、歳末に見た大阪能楽養成会研究会の公演(12月27日)も清々しくて印象的でした。

高林昌司『源氏供養』は、前シテの出での身体の安定感に驚かされました(ただ、後場になってちょっと腰高になってくるような、というか肩に力が入りすぎてる?と感じられるようなところがありました)し、若手中心の4名の地謡も音曲的に楽しめました。

狂言『魚説法』でのシテの小西玲央も、おもしろがらせる感じではない分、まっすぐに演じているところに好感が持てましたし、続く観世流の4人の若手の仕舞(西野翠舟『放下僧 小歌』寺沢拓海『知章』大槻裕一『大江山』浦田親良『善界』)も、音楽性や力強さ、身体の据わりなど、それぞれに見どころがあって、これからも観てみたいと感じました。

最後の金春飛翔『小鍛冶』は、前シテの呼掛ケの出がなぜか懐かしく、ちょっと背中が丸いかなとも感じましたが、そんなことはほとんど気にならず、むしろ身体の扱いも安定していて、目が離せませんでした。後場は、こちらもちょっと腰が浮くように見える感じがありましたが、これからの舞台を観てみたいなと思わせてくれるのに十分でした。

2020年はもうちょいたくさん観に行きたいなと、心から願ってます。

7. おわりに。

書いてないこともたくさんありますが、今年はほんとにdisruptiveな一年でした。直訳すると「破壊的な」「混乱する」っていう意味になるんですが、たぶんこれは脱皮するために避けられないdisruptionだったんだろうと思います。

disruptiveである分、やはり思うに任せず苛立つ(誰かに、ではなく、むしろ自分自身に)ことも少なくありませんでした。でも、そんななかでも、いろんな方にいろんな機会を頂戴して、周りのみなさんのお手を借りながら、ちょっとずつ脱皮していけてるようにも感じています。

いつその脱皮が完了するのかわかりません(もしかすると、玉ねぎの皮みたいに、剥けつづけて何もなくなってしまうこともあるかもw)が、2020年には今年やってきたことをカタチにしていきたいと念じています。

2019年も、ほんとうにありがとうございました!

2020年もどうぞよろしくお願いいたします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?