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発酵的共愉。第2回臨床経営学フォーラムのこと。

ほんとは今日の会場が素晴らしかったので、そこの写真を載せたいのですが、これは差し支えがありますので、すこぶる美味しい祇園石段下のいづ重さんの助六でお許しください。

今日は、京都大学経営管理大学院特定助教で、臨床経営研究会の代表でもある伊藤智明さんのお誘いで、こちらに木村祥一郎さんと登壇してきました。

司会は、神戸大学の服部泰宏先生が担ってくださいました。また、聞き手として、日本画家の石田翔太さん、慶應義塾大学商学部専任講師の岩尾俊兵先生、そして京都大学大学院経済学研究科の牧野成史先生、さらに会場にナラティブや質的心理学研究で私もご著書を持っているやまだようこ先生、さらに京都産業大学の舟津昌平先生が入ってくださって、すごく魅力的な問いかけをしてくださいました。さらに、株式会社ビジネスリサーチラボ代表取締役の伊達洋駆先生が聞き手かつ〆の挨拶を。

先に言ってしまうと、みなさんの問いかけがすごく魅力的で、どう考えても「こりゃエンドレス確定やな」と思ってしまいました(笑)

登壇した私がいろいろ書くより、お聴きくださったみなさんがどう感じてくださったのか、そちらのほうが興味深いところです。

ただ、こうして今回お話しさせていただきながら、木村祥一郎さんとの関係性は、いわゆる経営者と経営学者の通常認識されているような関係性とは、かなり異なるのかもしれないということは、あらためて実感しました。

それを端的にまとめてくださったのが、オンラインでご参加くださった森田泰暢先生。私を今の状態に導いてくださった大恩ある方の一人です。

木村祥一郎さんとの関係性は、たしかにあまり明確な目的性を持ったものではありません。かといって、まったく目的性がないのかというと、そうでもなく。たとえば、私のほうでいえば、ゼミのメンバーにすごく魅力的な企業さんと一緒にプロジェクトをする経験を提供できる、であったり、私個人でいえば、まがりなりにも経営学史研究者としてそれなりには蓄積してきた理論 / 学説 / 概念枠組がどれくらい経験的に妥当するのかを問う機会をもらえる、であったり、そういう得難い効用を頂戴しているのはまちがいありません。

今日のフォーラムのなかでも、木村祥一郎さんがおっしゃってくださってましたが、ひとつには新しく入った方の実地的な研修の機会として活用してくださってたりだとか、あとは木村祥一郎さんのTweetなどに私が引用RTとかしてコメントしたりすることで、「そういう整理のしかたがあるのか」という発見を得てくださったりだとか、何がしかの効用は感じてくださってるようです。

じゃあ、だからといって、それを〈目的〉にしているのかと言われたら、それはちょっと違うという感覚はあります。仮にプロジェクトが終わったとしても、それでご縁が切れるということはないようにも感じていますし。

今日、この関係性が終わるとしたらというような問いかけもあって、はたと回答に窮してしまったのですが、これも核心を衝いているのかもしれません。というのも、ゼミのプロジェクトは大学としての共同研究契約を結んで展開していますが、それはプロセスのなかの一つの節にすぎないわけです。あと、もし商品を共同で企画とかするという展開になったら、この契約が大事になってきますし。ただ、じゃあこのプロジェクト、そして契約に基づく共同研究のために、木村祥一郎さんとの関係性を保っているのかと言われたら、それは位置づけが違うと答えることになると思います。

同時に、関係性を維持することが目的かと言われたら、それもちょっと違和感があります。もちろん、この関係性はすごく楽しいので、維持したいと思っています。めちゃくちゃ、つよくそう思ってます。でも、それは目的じゃあない。目的化したら、きっとおもしろみが薄れてしまうでしょう。

じゃあ、何なのか。どういうことなのか。
能『清経』ではないですが、「この世とても旅ぞかし」。これは別に諦念とかそんなんではまったくありません。ただ、生きるプロセスって、どこでどう織りなされていくかなんて、わからないのです*。けれども、それぞれに「こうあるといいな」くらいの思いは多分持っていて、その波長というか、間合いというか、それが今のところしっくりと合っているから、この関係性を織り続けられているんじゃないかなと感じています。そして、織り続けていきたいと思っています。

* その意味で、今日あえて服部先生が木村祥一郎さんと私の自己紹介に、かなりしっかり時間をとられたのは、このプロセスをていねいにみておこうという狙いがあったものと思います。そこは、企画者でもある伊藤先生や伊達先生もお考えだったことだろうと思います。

その織りなしのプロセスは、発酵のプロセスにも似てそうな気がしています。発酵するときの微生物たちって、別に全体的な目的を共有しているわけではないと思うのです。ただ、それらが(人の手の適度な介入もありつつ)絶妙に、相互に求めあっている何かを受け渡しあいながら化学反応して、そこから生まれた何かが、また他のアクターに受け渡されている、そんなイメージ。

だから、木村祥一郎さん / 木村石鹸さんとの関係性から、友安製作所さんや大阪タオル工業組合さん、錦城護謨さん、ALL YOURSさんといった、さらなる関係性の展開も生まれたわけです。

こういった関係性のなかから、研究的なヒントはもちろんたくさんもらっています。めちゃくちゃもらっています。そろそろ事例として使わせてもらい始めていますが、これから私の論文にも木村石鹸さんや木村祥一郎さんが出てくる頻度も増えてくると思います。ただ、論文を書くために、この関係性を維持しようと思っているわけではないのです。この関係性からもたらされた副産物の一つとして、論文なども加わってくる、ということなのです。

こういう関係性を、もちろん木村祥一郎さんだけでなく、他の方とも織りなしていければと思っています。そして、私自身にとっては、こういう関係性がひとつの「ありたい状態」なのだってことに、今日あらためて気づかせてもらえました。ひとまずこの関係性を〈発酵的共愉 Fermentative conviviality〉と暫定的に名づけておきたいと思います。

さて、最後に。今回の会場は、伊藤先生のご厚意により、京都大学の清風荘さんで開催されました。こういう近代和風建築は、大好き中の大好きなので、もうそれだけで至福でした。ここでも紹介されていますが、二階の部屋からの景色の素晴らしさもさることながら、そこの欄間がおもしろくて。

その欄間に着目されたのは、さすが日本画家の石田さんでした。
「この欄間、おもしろいですね」って声をかけてくださって、それを見たら、たしかにあまり見たことのない欄間で。会の終了後、この施設を管理されている方に伺ったら「芯落ち欄間っていうんです」とご教示を頂戴しました。詳しくは、このリンクを。いや、細工の細かい欄間も素晴らしいですが、こういうのは発想もすごいし、時間とともに変化していくとのことで、それもまことにおもしろい。

見た目は豪奢ではありません。けれども、一つひとつの設えがすごく丁寧で。ほんとの贅沢というのは、こういうことを言うのかなと思ったりもしました。研究会それ自体ももちろん楽しかったのですが、この場で話させてもらえたことは、一生のうちの至福の一つです。

それにしても、今日は楽しく、充実した一日でした。
企画くださった伊藤先生、現地でご参加くださった先生方、オンラインでご参加くださった先生方・みなさま、清風荘を管理しておられる奥田さま、そして何よりいつもご一緒くださる木村祥一郎さん、ほんとにありがとうございました!

また、清風荘に行ける日が来るといいなぁと、心から願っています。

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