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根源的(radical)に問うこと:経営学史学会全国大会をめぐる個人的雑感

先週末は札幌で経営学史学会第27回全国大会がありました。統一論題テーマは〈経営学の概念を問う〉。私もこの学会で役員をしてるので、統一論題サブテーマ1〈「企業」概念を問う〉の司会を仰せつかりました。

基調報告は青森公立大学の藤沼 司先生。文明という壮大なコンセプトを軸に論じられるあたり、興味深くもあり、また咀嚼するのにいささかの時間を要するところもありますが、人間の生活のありようという意味合いで捉えると、その趣旨も立体的に現れてきます。なかでも、ことに瞠目したのは「概念とは何か」を論じられたくだり。「何かから自由にする」というところに概念の意義を見出されたのは、何となく感じていたことをすっきりと示してくださった感がありました。

藤沼先生は、パトナム(Putnam, H. W.)『プラグマティズム:限りなき探究』(6頁)の叙述によりながら、概念の〈有用性=expedientであるということ〉について注として指摘しておられました。もともとの語源をたどると、このexpedientという言葉には「足枷から足を自由にしたような」という意味があるとかで、そこから「状況の拘束性を超え出て、自ら設定した目的の実行可能性を追求すること」を〈自由〉として捉えておられます。この指摘は、すごく興味深いです。

以下、統一論題や自由論題の各報告、それぞれ示唆も多々あり、考えさせられることの多い実りあるものでした。

それにしても、最後のシンポジウムで総合司会を務められた吉原正彦先生(青森中央学院大学)が、学史の方法に言及されたのは登壇者も面喰らってる感がありながら、これはまことに核心を衝く問いかけだったと、私には感じられました。

実は、このとき、私も経営学史の系統に連なる者として質問を促されたのですが、あまり的確に問いを発することができませんでした。その反省も込めて、今これを書いています。

企業概念にせよ、労働概念にせよ、概念を問うというのは、人間が〈なにものか〉として認識している事象を、その存在の根源から問い直すことに他なりません。ということは、今回の場合であれば、今までの研究系譜を踏まえつつも、「そもそも、企業とはいかなる存在であるのか」「そもそも、労働とはいかなる営みであるのか」を問わなければならないわけです。そして、能うならば、現在という状況において、いかなる概念理解を提示できるのかまで踏み込んでいいテーマであるはずです。

※ 必ずしも“予測”をする必要はないと思いますが、学史的考察と現状への思索を踏まえているならば、将来への構想提示をすることは差し支えないと思います。

この点、今回の大会は私自身にあらためて根源的(radical)な問いの大事さを突きつけてくれた点で、収穫のある大会でした。


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