小澤征爾さんのご冥福をお祈りします

【長文御免】

1975年だっただろうか、高校生だった僕は小澤征爾×新日本フィルの公演を倉敷市民会館で体感した。演目は、ストラヴィンスキーの「火の鳥」だった。思いっきり背伸びしてたと思う。

プログレ好きの僕は、YESのジョン・アンダーソンが小澤征爾のストラヴィンスキーを聴き込んでいるという音楽誌の一文に背中を押され足を運んだように記憶している。

「火の鳥」は、それまで聴いたことがなかった。だから、演奏の内容はまったく記憶にない。というか、音楽を理解することすらできなかった。

YESのライブアルバム「Yessongs」のオープニングで流れる「火の鳥」は、1969年録音の小澤征爾×ボストン交響楽団のエンディングをテープ再生していることは有名な逸話だ。加えて、リック・ウィクマンのキーボードソロに入る前にも、ジョン・アンダーソンが「春の祭典」のオープニングフレーズをハミングする。

そんな「記憶にございません」状態の人生唯一の小澤征爾さん体験だが、海馬に焼きごてを押したかのごとく鮮明に焼き付いている出来事がある。

楽曲が終わらないタイミング、たぶん最後のブレイクだったと思うが、そこで、誰かがフライング拍手をしたのだ。

その瞬間、隣席のおばさまが、怒気を含んだ濁点系の静かな爆裂音を発した。フライング拍手の主を罵ったのだ。怖かった。恐ろしかった。純真な高校生だった僕は、見るからに上品な身なりの女性が、人前でそのような振る舞いをすることに心底驚いた。

と同時にフライング拍手をしただけで、普通のおばさんをそのように豹変せしめるクラシック業界のオキテの恐ろしさに触れて、足がわなわなと震え、精神は萎縮し、脇の下に嫌な汗をかいて倉敷市民会館を後にした。(著者注:誇張してます)

それから、10年ほどの月日が流れたある日、テレビでタングルウッド音楽祭の特集番組で小澤征爾×ボストン交響楽団の演奏を見ていた。演目は、チャイコフスキーの「序曲『1812年』」だった。

この曲はエンディングがめちゃくちゃ壮大で、楽譜でドッカンドッカンと大砲 (cannon)をぶっ放すよう指定されている。通常の公演では大太鼓などで代用するようだが、タングルウッド音楽祭では野外コンサートだったので花火を打ち上げていた。

このとき僕は、倉敷市民会館での体験とは真反対のクラシックファンの振る舞いを見た。

ドレスコードばっちりで着飾った米国人のオバサマやオジサマ達が、曲がエンディングを迎えないうちから、演奏の素晴らしさに歓喜のあまり立ち上がって拍手をしブラボー!を連発しているのだ。

なんとおおらかなことか、そのときの小澤征爾さんは、クラシック音楽の指揮者ではなく、まさしくロックスターだった。野外コンサートであるがゆえに、オーディエンスの開放的な精神が、それをさせ、それを許したのかもしれない。

だが、仮に野外とはいえ、日本の公演でフライングブラボーを行って許されるのだろうか。楽章が終わった際の拍手ですらためらわれる雰囲気なのに、とてもではないができそうにない。

ちなみに、「Yessongs」のオープニングで流れる「火の鳥」は、さすがに権利的にまずいらしく、デジタル化された時点で削除されている。こちらもおおらかな時代だったわけだ。

小澤征爾さんのご冥福をお祈りします。

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