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GNP、GDP、GPI、GNHにIPI

1901年ロシア帝国でユダヤ人銀行家の子として生まれたサイモン・クズネッツは、1922年にアメリカへ家族と共に亡命し、1926年コロンビア大学で経済学の博士号を取得しました。
NBER:National Bureau of Economic Researchの研究スタッフとしてキャリアをスタートした彼は、国民所得に関する研究をしていましたが、あるとき連邦議会から、大恐慌によって失われた経済規模を計測するよう依頼されます。
米国政府は当時、深刻な不況から抜け出すための方策を見つけ出す必要に迫られ、そのために国の経済状況をより正確に把握しようとしていたのです。
この要請に対してクズネッツが割り出した国民所得の計測方法は、後にGNP: Gross National Productとして知られるようになります。
 
1934年にクズネッツが提出した報告書『国民所得1929-32』によれば、わずか3年間でアメリカ国民の所得は半減してしまっていました。
報告書の初頭でクズネッツは「この指標はアメリカ国民が国内外で生み出した所得に基づいたものである」と言い、「本来意図していない社会的・政治的問題解決のためにこの指標が使われ始めたなら、単純な概数に対する崇拝が大きな問題を引き起こす。・・国民所得の尺度はこの種の幻想に惑わされやすい」と述べています。
経済指標がもともとどんな意図で策定され、何を測っていて何を測っていないのかを知り、本来の意図以外の目的には使用できないのだということを理解することが必要であるということです。
国民所得はただ所得額を測るものであり、決して人々の福祉や豊かさのレベルを測るものではないということも、クズネッツは強調しています。
この報告を受けたアメリカ連邦政府は、「国民所得」の国民への公表は控えることにしました。
 
クズネッツの報告を元にした米国最初の国民総生産(GNP)統計は、太平洋戦争開戦翌年の1942年に発表されました。
そのデータは戦争の費用調達を行う政府当局が運用しやすいように加工されており、国民の生活レベルの悪化や物価高騰を招かずにどの程度の軍事支出が可能なのかを評価するための指標として活用されました。
言ってみればGNPは、スムーズに戦争を遂行するための道具として誕生し,
その最終的な勝利に対してプラグマティックな成果をもたらしたのです。
「国民所得の推計は日本に対する勝利に多大な貢献をした」と終戦後、NBERの元所長ミッチェル氏は語っています。
 
GNPは第二次世界大戦終了後、世界各国の政府で採用されるようになりました。
やがてその国の「国民」が生産した富の量ではなく、その国の「国内」で生産された富の量GDP:Gross District Productが基準として多く用いられるようになると、その数字は「国力」そのものを表す指標として捉えられるようになっていきます。
その結果「GDPが増大すること=良いこと」という量的価値基準が生まれ、各国政府によって「最大限のGDP成長こそが国家の究極的な目標である」という経済発展至上法則が、グローバル資本主義社会におけるデファクト・スタンダードとなっていったのです。
 
クズネッツの当初の意図に反して、国家の最大目標として拡大解釈されるようになったGDPには、当然のことながら、国民の豊かさの尺度を測るにあたっての欠点が多々あります。
そのうちの一つは市場経済内においての取引しか数値に表れないところにあり、家事や子育てなどの家庭内コミュニティ活動やボランティア活動など、非営利での社会活動に関しては完全にスルーしてしまう点です。
また水質汚染や大気汚染、生態系や地球環境の損失などに対する費用は全く考慮に入れていないため、むしろそれを行う企業や団体の活動としてプラスに評価してしまいます。
犯罪や交通事故、医療事故、通勤等にかかる無駄な費用なども、マイナス要素としてはカウントされず、逆に国の豊かさの数値として評価されてしまうのです。
1968年米大統領選の候補者ロバート・ケネディは、「私たちは余りにも長い間、物質的な蓄積を、人が持つ素晴らしさや共同体の持つ価値よりもはるかに優先させてきた。・・GNPには人生を価値あるものにするものは一つも入っていない」とカンザス大学での講演で語っています。
GDPの増大と国民一人ひとりの豊かさの追求との間には、明らかにギャップが生じており、この矛盾を解消するための新たな指標が求められるようになったのです。
 
GPI:Genuine Progress Indicatorはこうしたさまざまな「人々の生活の豊かさ」に影響を及ぼす諸要素や、市場経済システム外で行われる「隠れた豊かさ」の諸活動の価値も評価に組み入れ、逆に犯罪や環境破壊などの要素をマイナスすることで、人々の感じている豊かさの実感度を測る指標です。
アメリカ社会をGDPで見るとどんどん豊かさが拡大していますが、GPIで測った場合では、1970年半ばを頂点にむしろ下降する傾向にあります。
日本でも1970年代初めまではGDPとGPIは並行して伸びていましたが、その後両者の方向が乖離し出しました。
日本人一人当たりのGDPは現在でもプラス傾向にありますが、GPIは1990年をピークとして、それ以降は横ばいまたはマイナスに向かって進んでいます。
日本国民一人ひとりが世の中の豊かさについて感じている実感に近いのは、おそらくGPIの方ではないでしょうか。
 
1972年には第4代ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが、「幸せはモノやカネ以上に大事な要素」であるして、国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)という概念を提唱し、GDPに変わる国策の主軸に据えました。
国王は「経済発展は南北対立や貧困問題、環境破壊、文化の喪失につながり、必ずしも幸せにつながるとは限らない」として、「持続可能で公平な社会経済開発」「伝統文化の振興」「環境保護」「良き統治」という4つを、国民の幸福に欠かせない柱として捉え、国民中心の開発を進めていこうとしています。
またブータン国内での指標づくりのため、国民の幸福の概念を
①   living standard(基本的な生活)
②   cultural diversity(文化の多様性)
③   emotional well-being(感情の豊かさ)
④   health(健康)
⑤   education(教育)
⑥   time use(時間の使い方)
⑦   eco-system(自然環境)
⑧   community vitality(コミュニティの活力)
⑨   good governance(良い統治)
という9つの要素から検討し評価しています。
幸福を経済よりも上位の価値として位置づけたブータンの政策は、これから世界各国が持続可能な開発にシフトしていく際のモデルの一つとなり得るものでしょう。
 
世界経済フォーラム(WEF:World Economic Forum)は2017年、「包括的成長発展レポートThe Inclusive Growth and Development Report 2017」を発表しました。
先進国全体で過去5年間、一人当たりの年間平均所得は平均2.4%下がり、一人当たりのGDP成長率は平均で1%未満にとどまったことをこのレポートは示しています。
またGDPだけでは把握できない不平等の対策や持続可能性を評価するための指標として、包括的発展指標IDI:Inclusive Development Indexを使用しています。
IDIスコアは次の3分野、12項目で評価しています。
①   Growth & Development(成長と発展):一人当たりGDP、労働生産性、健康平均余命、雇用
②   Inclusion(包括):所得ジニ係数、貧困率、富ジニ係数、平均世帯収入
③   Intergenerational Equity & Sustainability(世代間格差と持続可能性):調整純貯蓄、従炭素集約度、公的債務、属人口比率
日本は①の内の健康平均余命と②の富ジニ係数では世界トップクラスですが、③の項目全般でスコアが低く、先進30カ国中24位となっています。
 
これらの他にも国の豊かさを表す指標にはさまざまなものがあり、どれを採用するかによって、その国の評価もさまざまに上下します。
そしてどの指標に重きを置くのかということは、その国の国民が何を価値としており、どんな未来を目指しているのか、ということの表れです。
GNPやGDPは経済的成功の評価基準としてこの数十年間世界中で使われ、多くの国の経済的水準を人々が飢えずに暮らせるレベルまで引き上げることに貢献してきました。
しかしそれは、持続可能な成長や開発についての未来を私たちにもたらすものではありませんでした。

人間の社会も経済も、地球という自然環境の内部に組み込まれており、そこでは人間も他の生き物たちも共存しているのだ、という基本的事実を前提とした豊かさの指標を使うことが、これからの社会には必要となるでしょう。

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