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瞑想 シャーマン世界の旅

前回紹介したように、ヒトが持った原初の世界観であるアニミズムは、ユーラシアの広大な大陸を渡り歩くうちに、シャマニズムを生み出していきました。
すべてのモノにアニマ(精霊)が宿っていると考える世界観をアニミズムとするならば、シャマニズムもまたアニミズムの世界観の中にあり、その一形態であると言うこともできます。
しかしヒトビトが皆、一様にアニマを観じていた原初の世界からすれば、超自然界へのアクセスのためにシャマンという特別な存在が必要となるシャマニズムの世界は、確実に別なものへと変容しています。
部族の誰もが精霊たちと交わる夢の時代「ドリームタイム」は終わりを告げ、限られた者のみが大いなる叡智にアクセスし、部族のリーダーとして他のメンバーを先導していく時代となったのです。

ユーラシア大陸全域を席巻したシャマニズムは、部族の移動と共に南北アメリカ大陸に渡り、またすべてのヒトの故郷であるアフリカ大陸へも逆輸入されていきました(諸説あり)。
「シャマン」という言葉は前回書いたように、シベリアの狩猟牧畜民エヴェンキの宗教的職能者samanを指しますが、世界中に広まっていったこの普遍的現象については「シャーマニズム」、職能者のことは「シャーマン」と表すのが今では一般的になっています。
そのためここからは、彼ら彼女らのことを「シャーマン」と呼んでいきます。

シャーマンはヒトがヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)となったときから持っていた、ASC(変性意識状態)能力を残している存在ですが、その役割や能力の表れ方は、時代や地域、社会形態によって分化していきました。
世界47民族の呪術・宗教的職能者を調査した、アメリカの人類学者M, ウィンケルマンによると、自らの魂が超自然的世界を旅する「脱魂型」シャーマンは、ヒトの社会の原型である狩猟・採集型社会にしか見られないとし、これを原初タイプとみなして狭義の「シャーマン」と呼んでいます。
それに対して、神や霊を自分自身に憑依させる「憑霊型(霊媒)」シャーマンは多くの社会に存在し、これら2つを合わせると、世界全体の約8割の社会がシャーマンを持っていることになるそうです。
また呪術を使って病気を治したり、部族の敵を攻撃したりする「呪医(呪術師)」や、自分自身は超越的世界と直接コンタクトせず神に対して祈る「祭司」などを有している社会もあり、原初的なアニミズムが守られているムブティ・ピグミーなどごく一部の例外を除けば、すべての部族社会にはシャーマン的な人物が存在するとしています。
狩猟・採集で成り立つほぼすべての社会で、まず脱魂型シャーマンが現れ共同体の中心的な役割を担っていましたが、各地域で農耕・牧畜型社会が誕生し、社会形態が移行していくとともに、憑依型シャーマンや呪医、祭司などに役割が分かれていったのではないか、と考えられています。

現代の世にシャーマンの存在を広く知らしめたのは、ルーマニア出身の宗教学者ミルチャ・エリアーデの著作『シャーマニズム:古代的エクスタシー技術』(1951年刊行)でしたが、その後ペルー生まれの人類学者カルロス・カスタネダの『呪術師と私』がベストセラーとなったことで、1968年以降世界的なシャーマンブームが起こりました。
メキシコ北西部に住むヤキ・インディアンのシャーマン、ドン・ファン・マトゥスの教えを紹介したカスタネダのシリーズは、当時絶頂を極めていたカウンター・カルチャーの担い手たちに受け入れられ、その後のスピリチュアリズムやニューエイジ・ムーブメントを牽引する大きな潮流の一つとなりました。
カスタネダの影響を受けた米西海岸のニューエイジャーたちは、古代メキシコのシャーマンたちが行っていたとされる、エネルギー宇宙への旅を実践するようになり、こうした現代のシャーマン的考え方や生き方は「ネオ・シャーマニズム」と呼ばれています。

シャーマニズムは現代社会のマジョリティである一神教的宗教観からは、過去の遺物として否定的に見られ、特に共産主義諸国では迫害され、徹底的な弾圧を受けていましたが、ソ連邦の崩壊以降にわかに復活し出しました。
1992年に社会主義政権から民政移管したモンゴルでは、シャーマンを名乗る人が急増し、300万人民の100人中1人を占めるまでになりました。
「シャマン」の聖地であるバイカル湖畔に暮らすブリヤート人たちの、エスノ・アイデンティティ(ルーツ)探しから始まったこのシャーマン感染は、首都ウランバートルをも呑み込み、国家規模の社会現象となっています。
ヒップホップ・ミュージックが盛んなウランバートルでは、リズムに乗せて韻を踏むことで降霊させるラッパーシャーマンたちの姿もよく見られ、若者たちに人気を博しているようです。

このような現代のシャーマン人気は、行き詰った社会的パラダイムの中で、自分自身の精神性に立ち帰り、自己の本質を探究したいという「瞑想志向」の表れであり、自らの「ルーツを探す旅」であると言えます。
次回は目を日本に向け、日本人としてのルーツを探す旅に出たいと思います。

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