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踊れない僕のダンスミュージック ~それでも僕は 憧れていく~

ダンスの素養がない
なのにダンスミュージックには憧れがありすぎる

幼少期にはものすごいグルーヴ感で
腰くねらせてニョロニョロと
可愛いコックさん踊りを をどっていたようで
その写真も実家のどこかにあるのだが
その写真は回収が難しい

その回収のインポッシブルさ加減を伝えるには
俺と俺を取り巻く環境
そして実家の間取りを少し伝えなければならない

おそらくその写真が挟んであるフエルアルバムは
熊本の実家の三階(屋根裏)の
俺の部屋だった 現物置
その奥にある押し入れにあるはずなのだが
ここへは弟の部屋を一度通り
はしごを登らないと行けない

前回の帰省で回収を試みたが失敗している

なんと弟の部屋がなんと施錠されていたのだ

遅れてきた思春期か!
俺と6歳違いだとして
45 6 歳
遅い…

この感じはわかる
おそらく
一生回収できない予感がする

なのでその写真の様子を思い出し
うろ覚えで書くことにする

俺が天草にいた頃なので
保育園の年中さんくらい
大きくて5歳 おそらく4歳くらいだろう


10名くらいのお友達と俺が
紙で作ったコック帽をかぶり
白いタイツを履いて
プラスチックの柄のついたザルを
フライパンに見立てて持ち 踊っている
…のだが
俺だけやたらとフィーバーして
全然振りが違っている

という様子が写っていたと思う

母が面白がって話すそのときのエピソードが
思い出を補強 魔改造している可能性もあるが
母がいつもその話の結びで言う

「まさのりが好き勝手にノリノリで
先生が考えた振りを無視して踊って
あんまり盛り上がったから
終わったあとで先生が
『いまのはまさのりくんの踊りが間違いで
他のみんなのが正しい踊りです』

と注釈を入れたくらいだったのよ」

というくだりはきっと本当なんだと思うので
俺はおそらくこの頃まで
踊れていたのだろう

その後
天草栖本町から熊本市内へ
父親の仕事の都合で転居

天真爛漫に我儘に
タイツのおまたの違和感だけを気にしていた
ノリノリまさのりな俺は息を潜めた


やがて俺の写真から笑顔が消え
音楽に合わせて身体を揺することすら
できなくなり

合唱で褒められ声に自信を持ち
ロックに目覚めるも

「歌にノリがない べったりまったりしすぎてる」

と言われて苦しみまくることになるのだ

できないなら違うことをすればいいのに
憧れは止められない

ついたまにそんなことをしたくなってしまう

いま考えるとかなりファンキーでソウルフルだった気がするゴレンジャー
B面の「声のお便り」のアカレンジャーのお兄さんが殺された話で怖かった思い出

俺は天草に何を置いてきてしまったのだろう
「まさのりなのにノリがない」
なんて落ちでしめたい訳ではない

それでも僕は 憧れていく

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