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雑誌を作っていたころ047

「ドリブ」の終焉

 傾き始めた青人社の頭痛の種は、看板雑誌の「ドリブ」であった。部数が出ていないのに妙に一流誌風の編集にこだわり、湯水のように取材費を使う編集部は、会社にとって放蕩息子のようなものだった。ある日、青山さんはドリブ廃刊を宣言しようとしたが、そこに大浦くんたち「おとこの遊び専科」のスタッフが立ちはだかる。

 彼らの言い分は、「廃刊にするならその前に自分たちにやらせてほしい」ということだった。ずっと日陰の存在に甘んじ、会社に利益をもたらしてきたのだから、最後は日の当たる場所で思い切り暴れてみたいというわけだ。ぼくはその意を受け、半年間の猶予をもらった。

 かくして大浦くんは嵐山さんから数えて8代目の編集長に就任し、「最後の大暴れ」が始まった。表紙とメイングラビアは篠山紀信氏、アートディレクターは長友啓典氏。デザインはK2。連載陣は中田潤、カーツさとう、杉作J太郎、いしかわじゅん、みうらじゅん。「羊の皮をかぶった狼」ならぬ、「血統書つきのふりをした野良犬」であった。

 編集費は創刊時の6分の1。できるだけ外注せずに、手作りでページを練り上げる。たった8カ月だったが、彼らは思う存分に暴れてくれた。もし1年待っていたら、きっと黒字にできたことと思う。しかし「ものづくり」のわからない社長は無情にも廃刊の断を下した。

 最終号は通巻197という中途半端な数字で終わった。200勝まであと9勝に迫りながら名球界入りを逃したヤクルトの松岡弘を思い出した。

 最終号のセンターページには、スタッフの記念写真を掲載した。篠山さんが「どうせなら卒業写真を撮ろう」と言い出して実現したものだ。3代目編集長の渡邉さんほか、雑多なメンバーが写っている。ぼくもなぜかスーツ姿で混じっている。このころはいろいろな会社に「青人社の身売り」を打診して回っていたので、こんな恰好をしていたのだ。

 最終頁には「みなさんさようなら。私たちは幸せでした」というメッセージ。ここまで堂々と読者に別れを告げて消えていった雑誌は他に類を見ないだろうと思われる。連載もすべて最終回であることを意識して書かれていた。

 こうして青人社の看板雑誌はその役目を終えた。ぼく自身も、もはや会社に居場所がないと感じていた。


「ドリブ」最終号の表紙


「ドリブ」最終号に掲載された「卒業写真」


「ドリブ」最終号の奥付


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