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受け入れる覚悟をもつこと

春分の日の前後から、なんとなく浮かんでいた言葉が、自分の中でいくつかあって、言語化できたものは、ちょっとアウトプットしていたんだけど、それ以外にもできそうだったので、書いてみたいと思います。

私が最近思ったことは、もうすべてを受け入れてしまおうってこと。

これまでは受け入れる事が、とにかくに苦手というか、出来ていなかった気がします。
別にすべてを受け入れる必要って多分ないはずなんだけど、なんていうか、人からの善意も好意も優しさも、素直に受け取れていない自分がいました。

大丈夫だろうか、これを受け取ってしまっても、問題ないだろうか。
その裏に何かあるのではないだろうか。
ありもしない、裏や反対側のことを常に考えていたような気がします。
もちろんいつもそんなことを考えていたわけでなく、どちらかというと、反射的に心や頭が反応していたのだと思うのです。

人からなにかをもらうことがとにかく怖かった。
大丈夫だろうか。
なにか悪いことがあるのではないだろうか。
ありもしないことが頭の中でぐるぐると巡っていく感じです。

でも、今年の春分の日の前後から、自分の中の何かが切り替わったというか、書き換わった気がするのです。

それは、もうすべてを受け入れてしまっても大丈夫ってこと。

なんでそんなふうに、思うようになったのかはよくわかんないけど、もう大丈夫なのだと思えたのです。

物事には、裏と表があります。
陰と陽。
プラスとマイナス。
ポジティブとネガティヴ。
光と影。
良い面と悪い面。
メリットとデメリット。

多分他にも言い換えできることはたくさんあるでしょう。
だから私は、怖かったのだと思います。
物事には、陰陽があって、良い面だけを見続けることはとても難しいことと思っていたから。

たぶん、その事実は変わらないと思うのです。
世界は陰陽があるからこそ、成り立っているから。

陰陽があるからこと、様々な出来事が生まれて、進んでいくことが出来るのが、この世界の仕組みだから。

だから、私は陰陽全てを受け入れて、清濁併せ吞むような気持ちで、すべての出来事や物事を受け入れていこうと、決めたのです。

といっても、私が世界のすべてを受け入れるなんて、とてもおこがましいし、実際にはそんなことできないのですが、そんな気持ちというか、覚悟が自分の中に生まれたのは、事実なのです。

もちろん、裏側や人の悪意や暗くて、ネガティヴなエネルギーをそのまま受け取る必要は、ないと思っているのですが、なんていうか、それすらも、わたしは、受けとめて、流すことが出来るのではないかと思っています。
その前に、きちんと処理するすべも、今の自分ならあるとも思っています。

昨年いった尾道リトリートで、私のテーマというか、MOTOKOさんやyujiさんに言われたことは、陰陽和合や新しい価値観としての女性性や男性性の捉え方をしているとのことでした。

なので、なんとなく人とは違う感覚や世界に対しての捉え方を自分はしていて、その大元にあるのは、とにかくフラットで中庸である自分がいたような気がします。

この世界で生きていく上での、少し違った感覚として、私にしか見ることのできない世界。
私というレンズを通してみると、あらゆることが同じ世界線でみているような感覚でしょうか。

でも、こんな感覚がある一方で、その中立さや中庸性は、どこか中途半端だったような気もします。
中立であるために、どこにも振り切ることができずに、中途半端に物事を捉えて判断したり、良い面だけを見つめたり、ネガティヴでマイナスなエネルギーに影響されたりして、振り子のように、中途半端な自分自身だったような気がします。

それでもここ最近は、自分自身の軸というか、自分の中で一本筋が通った感じがあって、このままの自分で大丈夫で、自分自身であること自体が中庸なんだと思えるようになってきました。

だから、この世界のさまざまなことを受け入れていく覚悟が出てきたので、書いてみました。

どうなるかは、まだまだわからないですが、とにかくその覚悟が出来た事だは、書いておかないといけないと思って、noteを書きました。

これから先のことはわからないし、まだまだ中庸だと思っても中途半端になってしまうことも、多々あると思います。

それでも、自分という一本の軸がしっかりしてきたので、その意識をしっかり持って、この世界をサバイブしていこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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