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和尚のつぶやき #286(余りものではない)

余生を静かに過ごす
余生を楽しみにする
余生を生きるなど
余生と言う言葉が使われます
余暇も同じように使われます
余りの人生
余りの暇な時間と言うことです
人生や時間に余りものは
あるのでしょうか
現役で仕事をしている時が本番で
後は余りものなんでしょうか

いつ尽きるかわからない
人生の時間において
余りものなどありません
自分だけはいつまでも生きると
思っている人間の傲慢です
炊き立てのご飯と
余ったご飯に何の違いがあるでしょうか
食べる者の身勝手でしかありません
自分の命も
自然界の恵みも
私たちには何一つ
生み出す力はありません
ただ与えてもらっているだけです
それを余りものにしてしまうとは
残念なことです

決して何も余ってはいません
自分の人生の時間も
余ってはいないのに
仕事や年齢で
大切な時間を余りものにしてしまう
貴重な人生の時間を
最後まで感謝しながら
丁寧に生きる
それがこの世に生を受けた
私たちの使命ではないでしょうか
何かを成し遂げるより
自分の命をしっかり生き抜くことが
大切だと思います
余りと言うと割り算を思い浮かべますが
答えも余りも数字に違いはありません






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