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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ② 「コカコーラ・キッド」

またまたマカヴェイエフ監督作品ですが

母国のユーゴスラビアで、自身の映画がその過激さにより上映禁止になったマカヴェイエフは、その後スウェーデンで「モンテネグロ」を撮った後、オーストラリアで「コカコーラ・キッド」を撮った。

私は「モンテネグロ」の数年後、多分1990代年始めに、この「コカコーラ・キッド」を見たのだが、どこの映画館でどういう風に見たかは、覚えていない。チラシもパンフレットも残ってないので恐らく名画座のようなところで見たのかもしれない。だから今回は情報を得るためにネットで検索して調べてみた。

その情報が他のマカヴェイエフ作品より多いのは、上記のような順番で撮られた、彼の作品では一番ライトでポピュラーなエンターテーメント性の強い映画だからだろう。米・仏・豪で大ヒットし、カンヌ映画祭にもノミネートされたらしい。

その割には、DVD化もされてないし、大手レンタルビデオの会社も扱ってないので、またしても私は大手通販サイトで中古の一点物のビデオテープを手に入れなければならなかった。

ネット上にあるこの映画のレヴュー、コラムは他のマカヴェイエフ作品より多いとはいえ、やはりすぐ全部読めてしまうほどの件数で、更新日が古いものばかりだ。それもそのはず、当のマカヴェイエフは2019年1月になくなっており、たぶんその後のコロナ禍で、追悼映画祭だの追悼特集などが組まれるほど話題にならず、今日に至っていると推測される。

私は、ただでさえ、54才の身で25才下の男の子に失恋したりして、もう決して自分は若くないことを思い知らされたショックからなかなか立ち直れないのに、一時代を築いた天才監督がひっそり亡くなっていたことに、父親を亡くした時と同じように、足元が崩れ落ちるような心の空虚さを感じざるを得なかった。

人生折り返し地点という立ち位置だが、自分より上の人が少なくなるのはとても寂しいものだ。もう絶対私たちは彼らに何かを問いかけて人生の答えを教えてもらうことはできず、人生は必ず終わりが来ることを、常に意識して走り続けなくてはならない。

ただ、図らずも私には将来の希望も生まれてきた。自分から何か働きかけて、マカヴェイエフ作品を、ビデオ上映会でもいいので、上映する機会をつくり、彼の法事的なものができないかという夢である。今後ネット上にコラムなどを書いておられる知識豊富な先輩諸氏に何らかの働きかけが出来たらとも思うが、単なる思いつきに過ぎないので、何を言っているのだと笑って下さると嬉しいです。

今回調べたネット上の情報で新しいものは、今年のもので、マカヴェイエフの他作品の音楽に関するものだった。どうしてもまた聞きたくて探していたら、最近見つかったというものだった。

実は私もこの「コカコーラ・キッド」の映画を昔見た時の状況よりも、その数年後にどうしてもこの映画のサントラが欲しくて、渋谷のタワー・レコードで探し回っていた時のことの方をよく覚えている。結局サントラ自体がなかったのだが、この時貰ったおまけの黄色いウチワを今でも大事に持っている。

そう、マカヴェイエフ作品はいろんな方面から人の感性に訴えかける映画ということで正解だと思う。私自身若い時一度見ただけで、記憶にしっかり焼き付いてしまうほどのインパクトがあるから。映像だけでなく、音楽もいいのだ。またビデオで見直した今、一日中音楽が頭の中でリピートされている。

ただ、この作品のコラムやレヴューを書いている人は、男性(だと思われる)人ばかりでちょっと残念だ。

女性にももっと見て欲しい映画

さて「コカコーラ・キッド」の内容だが「モンテネグロ」と同じようにエッそれだけですか?と言いたくなるほどシンプルなもの。

オーストラリアのコカコーラ社のテコ入れのため、アメリカ本社から派遣された遣手の営業マン「コカコーラ・キッド」ベッカーが、一本もコカコーラの販売実績のない、「地コーラ」を開発販売する、山奥の個人所有の広大な領地を発見してしまったため、そこへ乗り込んでいき、販売攻勢を仕掛けるというストーリーだ。

その間に秘書のテリーとの恋の顛末や、領地の持ち主マクドウエル男爵との攻防などが描かれる。

どちらかというと、コカコーラに批判的な内容で、何故コカコーラ社はこんな映画を作ることを許可したのかなど、謎は多い映画だが、やはりマカヴェイエフ作品、私のスキが溢れている。

まず、主人公のタイトルロール「コカコーラ・キッド」ベッカーを演じるエリック・ロバーツがいい。今回調べて分かったことは、彼はジュリア・ロバーツの実のお兄さんだということ。初めて見た当時も、かれが悪巧みを思いつく時の嬉しそうなニカっという感じの笑顔。なんか既視感があるなとは思っていた。その笑顔があるから元海兵隊という設定の仕事熱心なエリートという役柄だが、とても可愛いげがあるのだ。

無理矢理連れてこられたパーティで女装した男にせまられて「俺は何してるんだ」と情けなく涙するところ。マグドウエル男爵の領地での田舎っぽいダンスパーティーで子供に渡された花束に結構感動するところ。そしてやはり裸にサスペンダー姿ですかね❤️

「モンテネグロ」のタイトルロールを演じた男優(シュヴェトザール・チュヴェトコヴィッチという人らしい)の世界遺産級の半裸体は私の中のセクシー大賞なのだが、彼氏にするには維持管理が大変そう。その点「コカコーラ・キッド」はタイプが違うので可愛がれそうです。ってこういう妄想は楽しいですよね。

そして、マカヴェイエフ作品は男性もセクシーに撮るけど、女性もいい。

今回、主人公の相手役、秘書のテリーを演じるグレタ・スカッキもとても魅力的だ。ただ、秘書といってもそこはオーストラリア?だからか、カチッとしたキャリア・ウーマン風ではない、潔癖症のベッカーとは正反対のだらしない性格。

ちょっとブカっとしたサイズの服(おなかが見えてたりする)。無駄に大きなイヤリング。素足にサンダル。そして仕事中はそれを脱いで裸足になる。おやつを食べたその手で書類を触りベタベタに。そのうえ元旦那が会社に頻繁にあらわれ、いつも大喧嘩。幼稚園くらいの娘も連れてきていて、娘はコピー機で顔のコピーを何枚も取り、そこら中紙だらけにしている。会議中は風船ガムを噛んで、破裂させるし、挙げ句の果てはベッカーに向かっていい男だわと舌なめずり。

これは、コカコーラ社の地方営業所感を出すための演出なのか?

ただ、こんなテリーの意表をつく行動はベッカーにとってはインパクト大。恋ってきっとこういう風に始まるんだろうね。そして、男って女が少々だらしなくても、それはそれで許せるのだろう。

テリーはスキだらけの女で女の私が見てもすごく可愛らしい。

スキのある女はモテると言うけど、テリーのグレタ・スカッキは私の密かな女のお手本である。こんな風に恋を素直に始められたら。まあなかなか真似はできないけどね。

子持ちの年増女という描かれ方だが、グレタ・スカッキはこの映画が作られた、1985年当時は24才。女盛り。ちょっとたるんだお腹も見れる子供とのお風呂シーンも大好きだ。

「モンテネグロ」の主人公の主婦(スーザン・アンスバッチ)もほうれい線も何のその、その綺麗な脚を魅力的に見せるような撮り方で、すごくセクシーだった。やはりマカヴェイエフは天才だ。普通は女性は隠したくなるような場所もちゃんとよく見ている。そこがかえって色っぽいんだよと。

意味深な結末

この映画は、わりと素直に爽やかなエンディングシーンだが、ラストにテロップが唐突に現る。

「日本では桜が満開の頃。第三次世界大戦が勃発した。」

思えばこの頃、私はまだ20代前半。この映画全体にある乾いたオーストラリアの風のように、スカッと爽やかな未来(コカコーラのように)が訪れると信じてた。世界もまた、これからさまざまな天変地異、紛争、疫病が襲ってくるなんて誰も知らない時期だった。マカヴェイエフは炭鉱のカナリアか。感性がとても研ぎ澄まされた人だったのだろう。


追伸  この映画の動画配信がUーNEXTで最近始まったようです。(2022年9月7日に書いていますが)このコラムを書いた時はビデオテープを手に入れるしかなかったのに•••。ともあれよかったです。ビデオ上映会より、今日的ですもんね。マカヴェイエフに光あれ!!

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