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失恋する私の為の人生見直し映画コラム  ③「神経衰弱ぎりぎりの女たち」


1990年代初頭のある日の近鉄小劇場

私はこの映画をこの場所で見た。同時上映の同じペドロ・アルモドバル監督の初期作品「バチ当たり修道院の最期」のチラシを現在まで大事に保管していたので、当時の様子を少しずつ思い出すことができた。

ただ、私は何故「神経衰弱ぎりぎりの女たち」ではなくて「バチ当たり・・・」の方のチラシしか持っていないのかが思い出せない。やはりあまり知識がない中で、チラシ置き場から適当に持って帰った一枚だったと思われる。

しかし、映画館ではなくて、近鉄小劇場という場所で見たということは、かなり鮮明に覚えている。そして近鉄小劇場という場所は当時の時代背景をとてもよく表している場所だったなと、遅ればせながら気がついた次第である。

私は、この場所に二回来ている。どちらが先だったか忘れたが、その前後のそう変わらない時期に、同じバイト先の人にチケットを買わされて、小劇場の芝居を見に行った時である。

その頃私はまだ京都にいた。

大学は卒業したが、就職活動をせず、当時流行のフリーターという立場で、夢を追っているということを口実に、なんとなくブラブラ生きていた。今思えばまだバブルの時代だったからこそ、そんなことが通用したのだ。この時、ちゃんと就職活動して、途中で辞めるにしても会社員を経験しておけばよかったと今でも後悔する。まずここから私は人生の選択を間違いはじめていたのだ。ただ間違った道にだったかもしれないが、京都でのフリーター生活は、私のその後の人生を支えてくれる、大切な思い出を授けてくれた。

同じように夢を追っている同士がいたから。

そんなに寂しくなかったし、このままではいけないと焦る気持ちもあまり芽生えて来なかった。ただアルバイトを3つくらい掛け持ちしなくては生活できなかった。その中に同僚に同世代の女性が多くいた(上司も女性だった)、アルバイト先が一番思い出深い。とても居心地がいい雰囲気の職場だったから。制服も鮮やかな色のブランド物のスーツ(当時流行っていたもんな)、ストッキングにパンプスを履き、普段はまるでおしゃれしなかった私も、繁華街の中心部にある、そのバイト先に行く時は少し華やいだ気分になったものだ。

バイト仲間には、就職活動をしている学生や、演劇や美術関係の仕事と掛け持ちしている人がおり、1986年に男女雇用機会均等法が施行された影響なのか、「何物か」になろうと夢を追っている女性も多かったように思う。

まるでこの映画「神経衰弱ぎりぎりの女たち」に出てくるような、華やかで、おしゃれで、一生懸命で、強くたくましい同士たち。バブルという時代の後押しもあったけど、その人たちの中にいると、心強かった。そして自分も頑張らないとな、という気持ちになってくるのだった。

そうは言っても、当時の私は頭でっかちで、映像関係の仕事につきたいと口ばっかりは大きなことを言っている、やな感じの若者だった。おまけにコミュニケーション不足からか、人との距離を早く縮めようとして、はじめから核心をついた相手が答えにくいような質問を、ズバっとしてしまい、相手をビックリさせてしまうことがよくあった。

一緒のシフトに入っていた、少し年上で、ある小劇団にも所属していたAさんにも「演劇って何が面白いんですか?」という感じの議論をふっかけ、困らせた。Aさんはなんて答えたかは忘れたのに、その時の困ったような、それでいて一生懸命答えを探してくれていた顔は何故だかよく覚えている。

とにかく見てみな、みたいなことになったのか?その後、Aさんが出演する芝居のチケットを本人から買い、確かに近鉄小劇場にその芝居を見に行ったのだった。

関西の小劇団の華やかなりし頃

私は、映画はかなり見ていたが、演劇はあまり見ておらず、当時の関西の演劇事情にもまるで疎かった。ただその頃が一番関西の小劇場が活気付いている頃であり、様々な小劇団が凌ぎを削っていたんだと、今更ながらわかってきた。

Aさんは新撰組の一人の役で、殺陣をすごく練習したと言っていたが、さすがに大勢の殺陣の場面は勢いがすごくて、大迫力だった。普通にしてても髪が豊かで綺麗な人だったが、それを(そうだあれは沖田総士だったのか?)ポニーテールにして、揺らしながら刀を捌いていく姿は素直にカッコいいなと感動した。

そして、記憶に間違えがなければ、その芝居の主人公の、獄中の吉田松陰を演じていたのも女性だった。すごくハリのある綺麗な声の人だなと感じたが、その人は、若き日のキムラ緑子さんだった・・・。

「演劇って何が面白いんですか?」それは言葉では表せないものだったのかな?一生懸命やっていれば、やっているほど。考えることより、感じることの大事さみたいなものは確かに体感できた。Aさんにしても、キムラ緑子さんにしても、輝いていて、かいてる汗もキラキラしていた。思わず、後にも先にもない貴重な体験をさせてもらえて今はとても感謝している。あの時だけしかない同じ空気を吸えたこと、演劇の醍醐味とはこういうものだよね。

私は、自分の好きなことに対して、体当たりで取り組むとか、コツコツ努力する姿勢が足りなかったと反省している。正解というものばっかり探して随分回り道してきた。とりあえずやってみれば?この時の経験はそう言って私を後押ししてくれている。

そんな思い出のある近鉄小劇場も何と2004年には閉館していた

これはまさに今、調べてわかったこと。あの頃は特殊な時代だったんだなあ。時代の流れは速い。「モンテネグロ」を見たルネサンスホールももうとっくに閉館していた。なんと寂しいことだろう。またしても自分が年を重ねてきたことを実感してしまった。

バブルの時代は文化にも充分かけるお金があった。それを当然のように思っていた当時の私たちは、文化的にとても贅沢ができていたんだと気がついた。

そんな時代の中で、恋に仕事に頑張っていた、Aさんのような同期のバイト仲間。あれから接点がなくなって消息もわからないが、「神経衰弱ぎりぎりの女たち」をまた見返した今、当時の時代背景と一緒に彼女たちのことが懐かしく思い出されてきた。

女同士って団結できる。同じ男を取り合わない限り。

「私は不幸な女。これほど愛しているのに愛してもらえない。」

映画冒頭からこの歌詞の歌が流れ、バックにはオシャレなファッション誌をコラージュしたような、色鮮やかな女性たちの写真が次々映し出される。

ペドロ・アルモドバル監督の映画は鮮やかな色使いが特徴的だ。初めて見た時から大好きなシーンは主人公のペパが男に去られたショックで、睡眠薬がないと寝られなくなり、その睡眠薬を流し込むために、真っ赤なトマトを大量に刻み、ミキサーにかけ、ガスパチョを作るシーンだ。

ガスパチョはジュースというより冷たいスープという感じで、映画の舞台のスペインを感じさせてくれてとてもいい。ニンニクと塩も入れて、色鮮やかで、見ているだけで味が伝わってきそう。失恋した直後って、ショックだけど、無意識に体を動かしていて、ひたすら料理に没頭したり、掃除を始めてみたり。頭はあまり働かないけど、体は動くみたいな。もう動かすしかないでしょう、みたいな。そして異常にはかどったり。めちゃくちゃな心理状態とめちゃくちゃな行動。こういう感覚すごくよくわかる。

主人公ペパを演じるのはカルメン・マウラ。当時42さい。私は当時20代前半。ただ、彼女の心情はとてもよくわかった。男に振られ、逃げ惑う男となんとか連絡を取ろうとして、電話をかけまくるとか。いい年して何やってんのとは思わなかった。恋をすると年齢なんかは関係ない。なんか今より悟ってたな。ああいう時私もそうだった、大変だったと自然に共感していた。

今回見直してみたら、男の身勝手さの方が気になった。なんで男ってあんなに優しかった時もあったのに、こんなに冷たくなれるかなと。そこもお国柄や年齢関係なく、共通点だと思った。

でも、ペパは潔く強い。ペドロ・アルモドバル監督は「私は女というジャンルの映画を撮りたい」(パンフレットより)と語っている。この映画の登場人物は不幸な女の時もある、その時でさえ「女」を満喫していると思う。貪欲に味わい尽くそうとしている、とさえ思う。ちょっと演歌の世界みたいだが、考えようによっては、私って私ってと恋愛することにより不幸になった自分に酔えるのも、女の醍醐味の一つなのではないだろうか。今回見直して、気が付いた点である。



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