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都市対抗野球 一瞬の夏

リモートワークが増え、同じ部署でも同僚や上司と顔を合わせなくなった。たまに会うと仲はいいが連帯感は希薄になりつつある。もし会社に社会人野球チームがあって、企業がひとつになれれば、どれほど楽しみが増すだろう。

アマチュア野球は夏にクライマックスを迎える。しかし、高校野球には春のセンバツがあり、大学野球はリーグ戦がある。社会人野球も秋に日本選手権があるが、箱根駅伝と全日本大学駅伝と同じくらい差がある。彼らには都市対抗の夏がすべて。誰もが7月の一瞬の夏を目指し、駆け抜ける。

都市対抗野球は日本アマチュア野球の最高峰。第1回大会は1927年(昭和2年)でプロ野球の誕生より10年も早い。正式名称は第1回全日本都市対抗野球大会。12チームで覇権を争い、8月3日から8月9日まで神宮球場で行われた。記念すべき初代王者は中国・大連市の満洲倶楽部。優勝旗である黒獅子旗が海を渡った。

歴史を重ね、今大会は94回目。32チームが黒獅子旗を目指し、トーナメントの山を登る。都市対抗野球は「社会人の甲子園」と呼ばれるように、学生のような選手宣誓があり、試合前と終了後にはチーム同士でエールの交換を行う。

応援団コンクールもあり、観客も投票者として楽しめる。数ある野球大会の中で都市対抗野球が一番好きと言う者も少なくない。

東京近辺のチームであれば自宅に帰れるが、東海地区はチーム全員がホテル生活。遠征費だけでもバカにならない。

7月25日(火)、雲ひとつない東京は最高気温36℃を記録。17時の東京ドームの空は朝と色が変わらない。

負けたら終わりのノックダウン方式の山を登り、決勝に駒を進めたのは史上3度目となる22年ぶりの東海地区対決。トヨタ自動車(豊田市)、ヤマハ(浜松市)

トヨタ(豊田市)は源田壮亮を擁して初優勝を果たした2016年以来の2度目の優勝を、東海地区第2代表のヤマハ(浜松市)は1990年以来、4度目の頂点を狙う。

ヤマハの野球部がそんな強いとは知らなかった。両チームは東海地区予選の第一代表決定戦でぶつかりトヨタが勝利。車もバイクも大のホンダ党なのでヤマハの勝利を願う。三塁側のシートを取っておいてよかった。

社会人野球をプロへのステップにする者もいれば、都市対抗に人生を懸けている者もいる。高校球児のように炎天下を駆け回るのは無理かもしれない。しかし、東京ドームの芝生の上にも滴る汗がある。涙がある。ドラマがある。

地方球場の泥だらけの予選を勝ち上がってきたからこそ、憧れの東京ドームの芝生がある。

野球観戦で初となるエキサイティングシート最前列。選手の体調にあわせ冷房がガンガン効いているので寒い。贅沢。スポニチの校閲でアルバイトをしていたときは1回戦のチケットをもらいENEOSの試合をバックネット裏で観た。

リクライニングのチェアがあって料金は3,600円。巨人戦なら14,000円もする。1/3の純情な値段。都市対抗は平日に決勝が行われることが多いので発売日に取れば最前列で観られる。

入場時はヘルメットとグローブが渡される。しかし着けてる人は2人くらいだった。

ヤマハは野球には珍しい紫のユニホームが目を引く。

応援団もカラー・パープル。

スピルバーグの映画の中に「紫の美しさを感じなければ神も寂しがる」とあるが、そのとおりの麗しい色。

ヤマハは土曜日からの3連戦。疲れもあるだろう。これが吉と出るか凶と出るか

プロ野球は一人ひとりが個人事業主。魅せる野球が求められる。しかし都市対抗はチームの勝利が至上。WBCは都市対抗や甲子園に近い。

ノック時間は両チームとも7分ずつ。大学野球と同じ。打撃練習はなし。まずはヤマハから。

トヨタは鉄壁の守備を誇る。源田壮亮も地道な守備練習により覚醒した。

ノックが終わるとグラウンド整備。美しい東京ドームが蘇る。

両チーム、というより両市へエールの交換。大学野球でも試合終了後なのにスポーツにしては珍しい。両方の市のPR動画を流し、始球式。

プリンスホテル出身の宮本慎也。今は無き野球部のユニホームで登場。かつての同僚も万巻の思いだったという。社会人野球は強豪であっても会社が費用を出してくれなければ廃部になる。都市対抗と日本選手権くらいしかアピールの場がない中、厳しい状況に置かれる。

高級車を何台も乗り回すプロ野球のスターとは違う。社会人野球は我々に近い。芸能人やアイドルより素晴らしい始球式。やはり先人が投げてこそ。

時は来た。18時4分プレイボール

1回表

都市対抗といえば企業間の対決の印象が強いが、あくまで地区対抗にしているのは補強選手の存在が大きい。都市対抗大会の「補強選手」は、同地区の地方予選で敗退したチームから最大3選手をレンタルできる制度。

今回、ヤマハは東海地区予選で敗退した貞光広登(ホンダ鈴鹿)、吉田有輝(JR東海)、そして先発の東邦ガスの補強選手である背番号31・辻本宙夢(26歳)を補強。

地元静岡県の出身。2回戦のJR東日本東北でも先発し、6 1/3を3安打に抑え、決勝戦の先発を託された。

気負いはなく、気合がみなぎっている。しかし先頭打者を打ち取るも、あっさり2番にヒット打たれる。

続く3番サード、トヨタのキャプテンにして巨人の北村拓巳の兄・北村 祥治(29歳)。グローバル生産推進センター 生産支援室の所属。

社会人の侍ジャパンでも主将を務めるキャプテンシー。真ん中に甘く入ってきたストレートをヤマハファンのレフトスタンドに叩き込む。

コースは甘くても球に勢いがあり、ホームランにした北村がすごい。1回は2-0でトヨタ。

2回裏

トヨタの先発は嘉陽 宗一郎(27歳)。これが都市対抗3回目の登板。昨年の日本社会人選手権のMVPでもある。

初戦のホンダ戦は131球を投げ、1失点完投。準々決勝の日本通運も106球の1失点完投。

187cmの長身から投げ下ろす150キロの直球が武器。沖縄県出身。入社6年目。生産管理部 計画室の所属。

1回は球威のある直球で完全にヤマハ打線を抑え込む。さすが社会人野球で屈指の投手。

これは沈黙もあり得ると思ったが、ヤマハの4番・網谷圭将(25歳)が見事なレフト前ヒット。

元プロ野球の経験者。構えたときの迫力が違う。これぞ4番。

チーム初ヒットに応援も活気づく。ヤマハは日本一の音色を持つ野球チームといわれる。楽器の企業だけに演奏者も巧み。都市対抗の応援はどうしてこうも特別なのか。労働者の鬱憤を晴らす叫びなのか。それとも社会を力強く生き抜く不屈の音色なのか。普段は日の目を見ない企業戦士や地方が脚光を浴びる歓喜の唄なのか。プロ野球も甲子園もWBCも、都市対抗の応援には敵わない。

5番は補強選手の貞光 広登。

大事なクリーンアップを他の企業戦士が任される。これぞ都市対抗の麗しい制度。

昨秋の社会人野球日本選手権の王者トヨタを破るにはヤマハだけではなく、浜松市が一丸となって挑まなければいけない。

チームを勢いづかせ1アウト満塁の大チャンス。嘉陽の投球を見る限り、この回で追いついておきたい。

しかし、千載一遇のチャンスに、下位打線が倒れ、セカンドゴロのダブルプレー。都市対抗4試合でエラー0のトヨタ鉄壁の守備がうなりを上げる。

地元・愛知県出身、背番号6のセカンド佐藤勇基(25歳)の巧みなフィールディング。勝負はこの瞬間に決したと言ってもいい。それほど大きいプレー。負けたら終わりのノックダウン方式において、いかにミスをしないかが勝敗の鍵。WBCで何度も魅せた源田壮亮の魂はトヨタに宿っている。

3回表

野球において守備が重要なのは打線にも勢いを与えるからだ。好プレーによって窮地を救われたトヨタは水を得た魚のように連打で1アウト一、三塁のチャンス。

支配人のニックネームを持つ4番・逢澤 崚介の犠牲フライで一点追加。

これでエースも本来のピッチングに立ち直り、再びヤマハ打線を沈黙させる。

4回表

ヤマハは早くもピッチャー交代。背番号17の清水 蓮(25歳)

楽器事業本部の所属。ダイナミックなフォームからMAX149kmで勝負。

この回にビッグプレーが生まれる。ルーキーの舟久保 秀稔(23歳)が壁際のレフトファウルフライを横っ飛びでキャッチ。

フェンスに激突しながら、しっかり球を捕球。完全に流れを変えるプレー。反撃の狼煙は上がった。

4回裏

三塁側ベンチのヤマハの応援が大きくなる。ジッタリン・ジンの『夏祭り』、爆風スランプの『runner』と選曲が見事。

しかし、ここでトヨタが強さを見せる。逆転されてもおかしくないクリーンアップではじまる上位打線との対決を三者凡退に抑える。

まさにエースのピッチング。

5回表

エースの踏ん張りに応えるようにトヨタが追加点。1アウト一、三塁のチャンスに第1打席でホームランの北村のショートゴロの間にランナーの和田佳大(26歳)がヘッドスライディング。こんなにも社会人野球にヘッドスライディングが似合うとは。都市対抗野球の華。

5回裏

ついにヤマハの反撃が始まる。先頭打者は地元・静岡県出身の大本 拓海(26歳)。立命館大学出身。楽器・音響営業本部の所属。

ここまで零封に抑えられていた嘉陽の甘く入った高めのストレートをフルスイング。

トヨタの社員が大挙するライトスタンドに白球を叩き込む。

失った点を少しでも奪い返す。大本は大役を果たし、主将の川邉 健司に扇の要を託す。

大人しかった応援団も大盛り上がり。追い上げたいところだが、先ほどファインプレーの舟久保が塁に出るも盗塁失敗でチェンジ。追加点を奪われない強さ。トヨタが底力を見せる。

ヤマハの守護神・波多野 陽介は出番を待つ。7回表は近藤がつないだ。

7回裏

ラッキーセブンの7回裏、トヨタのライト多木裕史(33歳)がフェンス激突のダイビングキャッチ。エースがチームを救い、バックがエースを救う。王者の野球。理想のエルドラド。

お祭りムードとはこのこと。ヴィクトリーレッドのトヨタには夏祭りが似合う。なぜジッタリン・ジンの『夏祭り』を応援歌にしない?

8回からヤマハは左のエース佐藤 廉、9回表は抑えのエース波多野 陽介を投入して総力戦。

9回裏

天国と地獄が揺れる最終回。土壇場の9回裏に奇跡が起きる。応援もトヨタに押されていたが、スタンド中断にいた共栄大学の野球部が前に乗り出し、大声援を送る。若き血潮のパワーが東京ドームに響く。都市対抗がドームで行われるのは、この声援を響かせるためだ。都市対抗は東京ドームを野球場からライブ会場に変える。野球というコンサートを生み出す。

先頭はリードオフマンの秋利雄佑(30歳)、生産企画統括部。ここまで3打席凡退。 

対するは背番号15・渕上佳輝(26歳)。本社工場総務G所属。ニックネームは「優しい平井堅」。8回から登板し、最終回のマウンドも連続で任された。

外角へのストレートを振り抜いた白球はヤマハファンの待つライトスタンドへ。

見事な流し打ち。値千金のホームラン。今回大会、トヨタが2失点するのは初めて。

この追い上げに、熱狂していた三塁側の応援はさらに沸騰。『サンバ・デ・ジャネイロ』が鳴り響き、歴史的な大声援を送る。この光景こそ都市対抗野球。思わず涙が出てくる。野球で涙が出るのはWBC以来。

最後のバッターは4番の網谷。

トヨタベンチも固唾を飲んで見守る。

初球のカーブを振り抜き、打球は北村の待つサードへ。

東京ドームを甲子園に変えるヘッドスライディング。しかし栄冠はトヨタに。

この光景にエキサイティングシートで立ち会えたのも縁。

プロ野球への復帰を目指して臨んだ網谷だが、今は関係ない。ただ勝ちたかった。この仲間で優勝したかった。

最も感情を露わにしたのはヤマハではなく、補強メンバー。泣くな辻本、都市対抗の花。

素晴らしい戦いだった。野球の本当の凄さは数字には表れない。

黒獅子旗はトヨタへ。

白獅子旗はヤマハへ。

MVPの橋戸賞は嘉陽。25回で3失点、防御率1.08。

ヤマハには銀メダルが授与。3位決定戦がないのもWBCと同じ。

網谷のバッティングは11月の社会人野球日本選手権で観たい。たった1試合でヤマハのファンになった。秋こそ戴冠を。

来年もまた、スタジアムで会おう。


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