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Sin clock

2016年『アリーキャット』から7年、最高純度にして最高密度の窪塚洋介が帰ってきた。真骨頂である「透明な怒り」「漆黒の桜」「真っ赤な雪」をスクリーンに刻みつけてくれた。

監督の牧賢治は商業デビュー作。普段は会社員をやっている。これまでは借金をしながら自主制作で映画を撮ってきたが『Sin clock』の規模では不可能。サイバーエージェントの藤田晋に企画書を送り制作に至った。今後、日本映画を牽引するような怪物になるか。

2月15日(木)21時45分。ライターの仕事を終えて新宿ピカデリーに駆け込んだ。観客は映画館で見かけないヤンキーや若いカップルが多い。ポップコーンの音やダベリ声などマナーが悪くて迷惑だがこの映画とシンクロしている。

『Sin clock』何をやってもうまくいかないタクシー運転手3人が数十億円の絵画を強奪する一夜のクライム・ムービー。全員3月3日生まれ、3ヶ月前に転職した共通点を持つ。Sin clockは「罪なる時計」の意味。深夜3時に作戦を決行。

多くの人生が溶け込んだ夜の闇は、最高密度の透明を持っている。スポーツ新聞社で働いていたとき毎日タクシーで新宿に帰り、多くの運転手さんから話を聞かせてもらった。牧賢治と窪塚洋介は都会(神戸)の夜の真実を見事に捉えていた。夜の静寂と疾走感、朝の虚無と祝福を同時多発的にシンクロさせている。

日本映画で初めてニューシネマとフィルム・ノワール、韓国ノワールを超えた。そのための方程式を発案してくれた。『俺たちに明日はない』『明日に向かって撃て』『真夜中のカーボーイ』『冒険者たち』『サムライ』『暗黒街のふたり』の男たちは過去を描かない。現在進行形で展開する物語の中に、人格や過去の影を匂わせた。そこに奥行きがあった。余計な不純物がないことがニューシネマやノワールの良さだった。しかし、日本映画で擬えても勝てない。

この映画のタクシー運転手たちはどんな仕事もうまくいかない。その姿をじっくりと描いてくれたからこそ自分と重なる。大学を卒業したあと勤めたカー用品店では毎日お客様から「殺すぞ!」と怒鳴られ、ライターになる前にやった派遣の肉体労働でも現場監督から「殺すぞ!」と何回も叱責された。

物語のキーマンとなるような優しい先輩はどの職場にもいたが、それでも救われない毎日を送り、これまで8回も会社を変えている。お客様や警官からなじられる窪塚洋介の姿は自分と完全にシンクロした。窪塚洋介というタクシーの後部座席に乗っているかのよう。この共鳴が今までのニューシネマやノワールにはなかった。

多くの観客や映画評論家のように、今作を犯罪映画として観てしまったら物足りないだろう。ましてやセカンドチャンスに懸ける男たちの話でもない。『Sin clock』は犯罪を観る映画ではなく、彼らと共犯する映画なのだ。タバコの白煙は掴めない雲のような夢、轟く銃声は声にならない叫び、銃口はペニス。これは男たちの射精を描いた映画である。射精に意味はない。毎日、腹が減って飯を食うように、溜まったものを出し切るだけ。

すべてが終わった朝の窪塚洋介は射精を終えた男の恍惚をしている。あらゆるものを失ったが、それでも人生は続く。牧賢治と窪塚洋介はスコセッシとデニーロの『タクシードライバー』に見事に迫った。


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