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幸せになる許可、失敗する権利


 離婚して親権を持っただけでは、子どもの苗字は自分と一緒にはならないという、衝撃的な事実をご存じだろうか?
 子どもを自分の戸籍に入れるには、入籍届というものを役場に提出しなければならない。その、入籍届を提出する際には、家庭裁判所の許可証が必要だ。
 許可証をもらいに、ふらっと家裁に行けばよいのではない。家裁に行くためには、自分の戸籍謄本と、離婚した事実が記載されている元配偶者の戸籍謄本が必要。私の場合は、新しい戸籍を県外にしてしまったため、県外の戸籍謄本をゲットするためには書類を郵送しなければならない。だから、新しい戸籍をうっかり県外にしてしまった人は、戸籍謄本をいちいち余分に取り寄せておくのがおススメです。(私は以前多めに取り寄せておいたので、かなりスムーズでした)
 
 家庭裁判所。裁判所なんて、縁もゆかりもないところだと思っていたけど、行かなくてはならない。果たして、裁かれるほど悪いことを、私はしたのだろうか。私は何にも悪くない。いつだって悪くないほうが、働きアリのようにせかせか動き回らないといけない。
 
 離婚したいほうが多く動かないといけないのが厄介だ。いや、結婚だって、苗字が変わるほうがアッチコッチに行って手続きをし、貴重な休日をつぶす必要がある。なんなの?バカなの?人間が2人結婚したり離婚したりするだけなのに、なんでこんな、二重三重の手間が必要なのでしょうか。「お前はバカか?」と、心の中の出川哲郎がわめく。英語で言えば、“Are you serious?”マジかよ?正気かよ?狂ってやがるぜ。
 
 シングルになるともらえる児童扶養手当の手続きだって、住民票を移し、子どもが入籍済の戸籍謄本が必要となる。これだけ様々な書類を揃え、手続きをして、手当がもらえるのは一か月も二か月も先なのだ。まず、金をくれ。同情するなら金をくれ。手続きは、その後。なんのための手当なのだろうか。
 
 今日、家庭裁判所へ行き、子どもの氏を変える手続きをした。「これで終了ではありません。私どもは許可を交付できるだけで、許可証が届き次第、役場で入籍届を提出して下さいね。」と、窓口の方が教えてくださった。
 
 許可。許可と聞いた瞬間、私は爆笑してしまった。窓口の方ごめんなさい。めっちゃ感じ悪かったと思うけど、やっぱり爆笑なのだもの。許可。私が誰に対して、何に対していただこうとしている、何の許可なのだろうか。さっぱりわからない。
 
 離婚したほうが幸せになれると思っているから離婚するのだ。幸せになるのに、許可は必要なのだろうか?必要ないでしょ、どう考えても。やっぱりバカなの?
 
 人生には失敗する権利がある。人は変わるし、何が起こるのかわからないのが人生だからだ。結婚した相手と一緒にいられなくなることなんて、予測不能のケアレスミスに過ぎない。全然、ぜんっぜん、たいしたことない。「あ、無理……。」と思ったからサッと離れたいだけなのだ。
 くっついて、はなれるという、生活していれば当たり前に起こる出会いや別れを、二重にも三重にも手続きに手続きを重ねさせられ、ただでさえ弱っている心をさらに弱らせていく。自己肯定感が下がり、「男はいいよね、こんな事しなくったって、離婚出来て。」と、相手をひがむようになる。いやいや、男はよくないだろ?あんなのになりたいか?よくないから、離婚したんでしょ?気を確かに!!(素晴らしい男性もいますよ!素晴らしい男性の事は大好きですよ!)

 失敗はただの失敗で、自分も悪かったなあと、変に自分を責める必要は、全くない。ただちょっと、しくった、しくじっただけ。英語でいうところの“Oops!!” みたいな、誰の人生にもありうる事。
 
 失敗する権利のある人生で、幸せになる許可を求める必要はない。幸せになる権利は、生まれた瞬間から、誰にでもある。失敗は成功のもとだと言うしさ。そのうち良い事もあるよ。絶対。
 こんなに理不尽で訳の分からない事ばかりでも、私がこの経験をした事によって救われる、誰かや何かがどこかに存在している事を願って、この文章を書いています。
 
 私は絶対、幸せになるんだ。

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