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わたしにはたらこがある

最近めちゃ好きなのはたらこ。

たらこって素晴らしい。今まで家で食べようとか全く思っていなかったけれど、人生損していたなと思う。


たらこはうまい。スーパーで買うと大体3切れ(たらこを数える単位は切れで合ってる??)入っていて、私は1番値段が高くて賞味期限が長めでふっくらしているのを選ぶ。

1日目はそのままご飯に乗っけて食べて、2日目はごま油でトースターで炙ったのをご飯に乗っけて食べる。3日目はなんらかの野菜と一緒に炒める。れんこんをたらこと炒めて、チーズを乗っけてパリッとするまで焼いたやつがマジでうまかった。


私の中で海産物不動の1位は海老だった。特にエビチリが大好きで、王将やバーミヤンでは必ず頼む。ご飯を作る気力が無い時は、スーパーでエビチリを買って帰っていた。

海老は本当にうまいけど、高いし調理がめんどいのが辛かった。私にとってはお外で食べるうまいもの。海老を日常的に調理し食べるなど、決して手に入らぬ幸せの形だ。せいぜい冷凍シーフードミックスの中のエビを愛でる位である。(冷凍シーフードミックスは、ホタテもイカも入っているのがすごいよ。なんなんだ、あれは)


たらこはうまいだけじゃない。なんというか、私の生活にちゃんとフィットする。尊すぎる推しとは同居することは出来ませんが、似ても似つかない恋人ができた感覚。気負わなくて良い、なんなら、推しを一緒に推せる。


生でも焼いても良い。ただご飯に乗っけるだけで成り立つ幸福。パスタにあえても最高。既に好きだったものもたらこと一緒なら、さらにさらに好きになる。

主食にも合う。野菜にも合う。家の冷蔵庫にたらこがあるというだけで生まれる生活の奥行きがある。肉や魚では補いきれないなんらかのタンパク質なり栄養なりが、私の細胞の足りていなかった部分にカチッとはまる。大好きだ。NOたらこ、NOライフ!


今までもたらこは好きだった。外食でパスタを選ぶなら明太子。たらこと芋のサラダとか、あれば絶対頼んでいた。たらことマヨのディップなど、醤油的な感覚で売ってくれ!と思っていた。本当に不思議なのだけど、相当好きだったはずなのに、スーパーで買って食べようとは思わなかった。一度家の敷居を跨いでしまえば、もうそこに居なかった事が信じられない位、ありとあらゆるものにしっくりくる。たらこは幸せの象徴だ。福は内だ。じゃんじゃん中に入ってくれ。


幸せって、必死になって追い求めるものじゃない。努力をして手に入れるものでもない。手に入らなかったと泣くものでもない。もう既にそこにあるものを、拾い上げて家に持って帰って愛でる。そういうものだ。

子どもが拾ってくる小石みたいに、なんでもない日常の端々に、もう既に存在している。わたしにはたらこがある。物心ついた時から、あった。ただそれを、日常的に食べても良いと自分に許可するまで、すごく時間がかかっただけだ。たらこはうまい。だから食べる。それで良い。


幸せとか楽しいとか、そういうものだけが良い。自分に何かを課して幸せになろうとしたり、老後まで我慢するものではない。嫌な事はほっておいてもおこるんだから。たらこを選んだその日から、私の生活はたらこ色に染まったのだ。たらこは良いぞ〜〜〜!


noteを始めて1年が過ぎた。1年後、たらこについて力説しているなんて思いもよらなかったけれど、私の生活がじんわりと暖かく満ち満ちているのが嬉しい。今日も私はスーパーのたらこコーナーの中で、1番ふっくらと美味しそうなのを選ぶ。そうやって、幸せの粒度を上げていこうと思う。




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